偉大な先達が亡くなって、1か月経った。
やっと、追悼の思いを表する気持ちになれたので、一文を草する。
逝ってしまった先達を今更ながら想って
貴方は、いつも先頭を歩いていた。
貴方と一緒に歩いた、幾つかの山と幾つかの異国の旅は、その都度ごとに僕に幾つかの啓示を与えてくれた。
人の世の許せぬ卑劣さと素知らぬ顔で過ちを認めぬ者たちへの大いなる怒りと。
そして、貴方が生涯燃やした山への憧れと
貴方は偉大な先達のまま、僕との短い出会いの時を歩み去ってしまった。
今、僕が此処にこうして居るから、今こそあなたが欲しいのだ。
共に過ごした酒と焚火と語らいの中で、あんなにも若々しく、そして憎々しげに、僕を挑発した貴方を今こそ求めるのだ。
生への拘りさえ、己の尊厳に比すれば軽いものだと、貴方は逝ってしまった。
其の死に様まで、僕には一つの啓示のように聞こえるのだ。
まことに見事なペースメーカーとして、貴方は何時も先頭を歩いた。
貴方の後を、幾人もの人々が歩きたがった。
そして、死が訪れる数か月前まで、こよなく愛した山々を強靭にも歩いた。
もう一度で良いから、九十九折のガレ場を歩きたかった
もう一度で良いから、焼けるような異国の酒を飲み交わしたかった
祈る術を持たない僕は、今はもう、数少ないけれど熱かった貴方との時を想いながら、独りくどくどと酒を飲む
先達として、敬愛する数少ない友人として逝ってしまった、Mさんへ
睡夢人
頂いた親鸞に取り組んでます。
愚禿親鸞と名乗った、かの先達も偉大なだけに、激しく生きたのでしょうか。
貴兄の思いの強さが伝わってきて、なんだかMさんという人を前から知っているような気になってきます。
いつかは送らねばならないのでしょうが、いつまでの一緒にとの願望は強かったことでしょう。
今度は、貴兄が先達です。貴兄の後を歩いてくる者が多数いることも忘れないで下さい。