キルギスは旧ソビエト連邦域内の国である。
ソ連崩壊と時を同じくして独立した国である。
元々は遊牧民族が回遊し、シルクロードを東西文化が行き来する地域であった。
共産ソビエト連邦スターリン政権成立と共に、この遊牧の民や文化交流の隊商の天地であった此の自由な地域を線引き、区割りしてしまったのである。
キルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、バキスタン etc 何々スタンとは、何々人の居る地域と云った程度の呼称であったのだという。
遊牧とは新しい草地、牧草地あるいは季節を求めて移動していく生活形態なのである。
彼らに定住志向はないし、線引き区割りする狭苦しい土地所有の概念は無かったであろう。
必要だったのは青い牧草であり、羊や馬と歩く自由な天地であり、異なる人種や文化をも受け入れる大らかさであったはずである。
キルギス、ウズベキスタンを旅して最も印象的だったのは、壮麗な記念碑や権威主義的な建造物が今や荒廃に任され、労働者が何万人も住んでいたのであろう放置されたままのアパート群が荒涼と広がる地域に立った時である。
いったい、人智は何を為したのだろう?? ガイドに聞いても、ガイドブックを見ても、此処は何を生産していた工場あるいは地域だったのか答えるものは居ないのである。
つい、十数年前まで何万人或いは何十万人もの人が営んでいた生活の跡が歴然として有り、広大な滑走路まで残されているのである。それなのに、此処を語る者が居ないというのは如何した事なのだろう。
僕の貧しい想像力は、きっと人為的に、地域ごとに、大量に、一気に、人の生活を動かしてしまったとしか思えないのである。
過去、スターリンはシベリア抑留の日本人を此の近辺に連行したし、ソ連領とした朝鮮族の地域人民を故国との交流を禁じ引き離すために、この地域に強制移住させているのだ。
この、荒涼たる地に立って、人智の愚かしさやイデオロギーの貧しさを思い、今、わが国で起こっている原発事故を引き起こした人間の浅はかさを思うのである。
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