ひとそれぞれだろうが、個人的に男性が一番嬉しいのは、贈ったプレゼントを相手が使っているのを見た時ではないかと内心思っている。
小さな贈り物や土産物でも一つ一つしっかり考える性質なので(重くならない気遣いも当然含んでいる)、よけいそう感じるのかもしれない。
心掛けているのは、相手の日常になじみ、なおかつちょっとだけ日常を華やかにするものを選ぶこと。これが案外難しいのだ。
サックス・フィフス・アベニューでクリスマスプレゼントを選ぶロバート・デ・ニーロ 「恋におちて」1984年
露店で家族への土産の果物を選ぶドン・コルレオーネ(デ・ニーロ) 「ゴッドファーザーPARTⅡ」1974年
あれは私が勤務するホームへNさんが入居されて2年目のクリスマスイヴのことでした。
Nさんは脳梗塞のため記憶があいまいになっているのと、時々会話が成り立たないほかはほとんど手がかかることもなく、日中は居室の窓際に座って考え事をしたり、古い雑誌をゆっくりめくって眺めたり、と穏やかな暮らしぶりでした。
なんでも若いころに小さな芸能プロダクションでマネージャーをしていたという噂で、実際、名の知れた歌手やタレントからの大きな小包が時節になるとホームに届くのですが、Nさんはいつもそれらを開封することもなく、私たち職員で分けるように、とそのまま渡してくださいました。
その日の午後、私が外勤から戻ると、同僚から今しがたNさんに珍しく来客があり、一緒にお茶を出してくれないか、と頼まれました。
ノックすると、しばらくして涼しげな女性の声で返事がありました。
ドアを開けてみて、驚きました。
Nさんは床に片膝をついて頭を垂れていました。
来訪者の女性は、その前にすっと立っていました。
私たちには背中向きなので、表情はわかりません。
その光景は、まるで―まるで、中世の老いた騎士と女王のように見えました。
私たちはあわてて部屋を退出しました。
それから小一時間ほどして、来訪者は丁寧な挨拶を残して帰られました。
Nさんは見送ることもなく、そのあと夕食の声掛けにも応えず、居室から出てきませんでした。
翌朝、ベッドに横たわって亡くなっているNさんを、職員が発見しました。
死因は心臓発作でしたが、不思議なことに口元には笑みが浮かんでいて、医師がしきりに首をかしげていました。
室内は、昨日の来訪者が持参した花束のバラがほのかに香っていました。
また小屋を作りたい。
掘っ立て小屋でいいので。
内心、いつも作りたい。
最後に自力建設したのはもう15年以上前で、道具は散逸してしまったし、体力も著しく衰えているけれど、まだ作る自信はある。
これまで独力で4棟ほど作り、1棟だけ残っている。
幅も高さもユニック車の荷台に載るサイズで、持ち運び可。
残りの3棟は2×2材パネルの組み立て式で、軽量化を心がけた。
ピーター・ネルソン(ツリーハウスの第一人者)が見たら、きっと親指を立ててくれただろう。
そんなことを普段考えている僕が、ある日ばったり出くわしたのは、100万都市の真ん中だというのに、小屋で営業しているおでん屋さんだ。
以前はカフェの店長だったというオーナーに聞いたところ、自力建設ではないそうだが、駐車場ビルの事務室を改造した厨房+カウンターの前面へ、小屋を張り出すように増設して、手作り感満載の店内だ。
すっかり気に入り、出張のたびに通っている。
先日は息子を連れて行ったところ、ああ、お父さん好みだね、と笑いながら言われてしまった。
今年はとりあえずこのイケアのお菓子の家で我慢しておこう。
今年もまたインフルエンザ等が流行する季節がやってきました。
介護・福祉関係者にとって使い捨てマスクは時季に関係なく必需品なのですが、そのひとそのひとの「お気に入りの品」について、まったくと言っていいほど話題にのぼることがないな、と内心不思議に感じています。
私自身は、長く愛用していた商品がありました。
大判で、ノーズワイヤーとセンターワイヤーが入った立体設計ながら、60枚で500円前後とリーズナブルでしたが、難点なのは、あるドラッグストアチェーンのPB(プライベートブランド)商品に近いモノらしく、そこでしか販売されていないため、いつなくなるかわからないという危機意識が常にあり、毎年買いだめしていました。
(一度センターワイヤー入りを使用すると、とても快適で、ほかのものが使えなくなります。)
けれどもとうとう一昨年で販売終了となり、去年からは同じ構造のものをネットショッピングで購入することになってしまいました。
使い心地は、やはり快適です。
喫茶店アルファヴィルのアルバイトで、NPO法人なごやかの事務職員でもあるIさんの誕生日を口実に、私たちはまた理事長にねだって老舗の料亭へ行くことになった。
職員たちには平等を心がけているんだけれどなあ、とぼやきながらも、もてなしの手配をする彼はいそいそと嬉しそうだ。
当日、理事長の後ろについて重厚な門構えをこわごわくぐった私たちは、庭を一望できる和室に通された。
本日の主役は床の間の前ね。
笑いながら彼はIさんへ言った。
一品一品丁寧に運ばれてくる会席料理に舌鼓を打ちながら、私は室内をきょろきょろ見回した。
「なんだかすごく立派な天井ですね。」
私の視線の先を見上げた理事長は大きくうなずいた。
「これは網代といって、杉やヒノキなどの片板(へぎいた)を編んだもので、編み方には矢羽編(やばねあみ)、市松編(いちまつあみ)、籠目編(かごめあみ)などがある。
ここはきれいな矢羽だね。
この部屋は茶室を模しているようで、ほら、こちらの天井に段差がついているだろ?
これは下り天井(落天井:おちてんじょう)という様式で、茶室で亭主の座る点前畳(てまえだたみ)の天井を、客座の天井よりも一段低く作る。客に対する亭主の謙譲の気持ち、上座と下座を視覚的に表現しているんだ。
ちなみに、そちらの客座の方の天井は野根板天井(のねいたてんじょう)といって、椹(さわら)や杉を薄く剥いだ長板を竹の垂木(たるき)に載せて仕上げているね。
今こんな天井を作るとしたら、とんでもない費用がかかるだろうよ。」
そんな気がしてきました。それにしても、理事長は何でも知ってるんですね。
彼は苦笑して首を振った。
「たまたまきみが知っていることを尋ねてくれただけだよ。
僕は小さな設計事務所の息子だからね。さしずめ『門前の小僧、習わぬ経を読む』かな。
でも、これからはさりげなく天井を見上げる習慣をつけるといい。本当に立派な建物は天井にも様々な心配りがなされているから。」