マーサ&ザ・バンデラスの3曲目のカバーは、キンクスの「ダンシン・イン・ザ・ストリート」(1965年)にしよう。この曲はミック・ジャガーとボウイがデュエットでカバーして大ヒットしたのを記憶している方も多いと思う。
ザ・フーもお気に入りの曲だったようで、フランスのテレビショウで演奏した最狂の映像(1966年)が残っている。
6分08秒から。
ついでにザ・ブロッサムズ時代のダーレン・ラブの熱唱も(1965年)。
彼らと同時代に活躍した、歌って弾けるオルガン奏者のジョージー・フェイムの「ショップ・アラウンド」(スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ)も最高に素敵だ。声が良く、おしゃれで、カバーのセンス抜群。非の打ち所がない。
最初期のモータウンヒットをいち早くレパートリーに取り入れたのがビートルズの「マネー」(1964年)だった。
1969年、バンドの正式解散直前にジョン・レノンはカナダ、トロントで開催されたロックンロール・リバイバル・フェスティバルへの参加を急遽決めた。観衆を前にしたライブ活動をサボっていたレノンはステージに上がる直前まで極度の緊張から吐いていたという。
カバー曲から始まって、ビートルナンバー、最新ソロシングル、と進んで行く簡潔なステージは撮影が稚拙でイライラするものの、やけっぱちを通り越した強烈なエネルギーが伝わってくる。
隣でヨーコ・オノが披露する前衛パフォーマンスのバギズムは個人的によくわからないが、清々しい青空のアルバムジャケットは、確実に時代を超えていると今なお思う。
モータウン・ヒッツのカバーをまとめて紹介したいといつも考えているのだけれど、あまりに数が膨大でどこから手を付けていいか迷って、結局後回しにしてきた。欲張らず、少しずつ書いて行こう。
まずは、というか、やはりマーサ・&ザ・バンデラスの「恋はヒートウエーブ」(1963年)を。ザ・フーがカバーしたことでイギリスのモッズ青年たちに広く愛聴された、初期モータウンのヒット曲だ。
1965年のザ・フーのライブ。ドラムスのキース・ムーンはこのころからすでに最強(最狂)だ。ビートバンドのカバーの魅力は、ブラスやピアノをどのようにギターやベースで再現するかにかかっていると言っていい。
マーサ・&ザ・バンデラスの「ジミー・マック」はスネークマン・ショーのファーストLP(別名「急いで口で吸え」)に収録されているサンディー&サンセッツのカバーで知ったという方も昔はかなりいた。下の武道館でのライブ(1980年12月、YMOの前座)はレコードとはやや異なってオリジナルに近いアレンジなのが面白い。
マリ・ウイルソンの91年のベストCDに突然収録された未発表バージョン「ホワッツ・ゴーイング・オン」はマーヴィン・ゲイの名曲の最高にチャーミングなカバーなのだが、残念ながらユー・チューブにはない。代わりにやはりゲイのカバー「エイント・ザット・ペキュリアー」を挙げておく。
モッド・バンドのザ・ジャム時代に「恋はヒートウエーブ」をカバーしているポール・ウェラーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もいい。
ザ・フォー・トップスは何と言っても「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」がお気に入りなのだけれど、この「サムシング・アバウト・ユー」も彼ららしい圧の強いダンス・ナンバーだ。
カバーしているのはデイヴ・エドモンズ。盟友ニック・ロウとけんか別れし他のメンバーにも逃げられてバンド(ザ・ロックパイル)解散の憂き目に遭うが、ELOのジェフ・リンに助けられて作った商業ロック風のアルバムがヒットしていた頃(1984年)の作品だ。
(翌年初来日し、渋谷ライブ・インで観た。朝の山手線以上の殺人的混雑だった。)
(この項続く)
国内で新型コロナ感染症の発症者が確認されて4年がたった。
幸いにも僕はこの間コロナにもインフルエンザにも感染しないで過ごした。
娘が言うには、パパは友達がいないからだよ、とのこと。
確かにそうだけどできれば、自分の職責に対してどのように行動したらいいのか常に考えていた結果だと言ってくれるとより嬉しいな。
4年に渡った新型コロナの蔓延によって多くの企業や店舗が倒産・廃業に追い込まれ、人々の行動様式は大きく変化した。
ただし、悪かったことばかりではない。
みながなんとなく不要なのでは、と感じていたモノが省略されてなくなった。
無駄な宴会も、長い会議も、盛大な葬儀も、出張も帰省ラッシュも、別に要らないじゃない。
もともとパーソナル・ディスタンスがひどく遠い僕にとっては、過ごしやすくなり、働きやすくなった部分が確実にある。
これが元通りにならなければいいのだが。
観光地のニュース映像などを観ていると、誰一人としてマスクを着用していないし、能登の被災地について、マスクを着けてないボランティアの方が多いですね、と女性の専門家が警鐘を鳴らしていた。
日本人って本当に忘れっぽい生き物だ。
残りの人生を素敵に生きたい、と思うようになってだいぶ経つ。
けれども、素敵に生きる、を具体的にイメージするのはなかなか難しくて、案外「子に美田を残す」という、老子の教えの逆を行くことかな、と想像したりもしている。
リア王のような転落はご免だけど。
素敵じゃない生き方ならすぐに思いつく。
2005年に話題になった残間里江子(宮城県出身)のエッセイ本のタイトル、「それでいいのか蕎麦打ち男」だ。
自らも団塊の世代である残間が、蕎麦打ちや陶芸、世界遺産めぐりなどにはまって内向きになっている男たちに、それでいいのかと問いかけている本、らしい(未読)。
作務衣に手ぬぐい頭でうんちく、本当に気持ち悪い。
同じ理由で「人生の楽園」(テレビ番組)が嫌いだ。
お店や商売は片手間にやるものではない。
昨年、自分と同じ職位の方が亡くなって、葬儀に参列した。
故人は僕より八歳ほど年上だそうなので、幸いまだ時間が残っているのかもしれないが、たまたま菩提寺が同じだったため、読経が義弟と甥だった。
参列者、弔電、献花、僧侶、、舞台装置が揃ったことで、終わりがくっきりイメージできてしまった。
ただし、献体する僕はそもそも葬儀を行なわないけれど。
いずれにせよ、その最後の時まで、安閑な日々など送りたくないものだ。
粋人サー・ノエル・カワード(イギリスの戯曲作家)
ご祖母様のご逝去を悼み、
謹んでお悔やみ申し上げますとともに
心からご冥福をお祈りいたします。
また、長年に渡り当法人をご信任いただきましたことに
つきましても、深く感謝申し上げます。
特定非営利活動法人なごみ 理事長
社会福祉法人千香会 理事長