ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

謝辞

2015年12月29日 | 末広がり

 本年も大変お世話になりました。
おかげさまで、この一年をなんとか終えることができそうです。
本年中に賜りましたご支援やご厚情に対しまして、改めて御礼申し上げますとともに、皆様が末広がりの幸い多い新年を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
引き続き、当法人をよろしくお願いいたします。

   特定非営利活動法人なごみ





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エズミに捧ぐ

2015年12月28日 | 日記
白のソックスをはいた少女、足首から足全体に掛けて実にかわいらしい。いきなり彼女は顔を上げて私を見ると「あなた、わたしのお手紙が欲しいかしら?」と、言った。心持顔を赤く染めている。「わたし、とても明確な文章のお手紙を書きますのよ、わたしぐらいの・・・」
「それはぜひ」私は、紙と鉛筆を取り出すと、名前と階級と部隊における一連番号と、それから軍事郵便局の番号を書きつけた。
「わたしの方から先に出しますわね」紙片を受け取りながら、彼女は言った「そうすれば、あなたはプライドの心配をなさらなくてすみますでしょう?」彼女は宛名の紙片を洋服のポケットに入れると「さようなら」と、言って、自分のテーブルへ帰っていった。

「エズミに捧ぐ」J・D・サリンジャー(野崎孝訳)より




 学生時代、アルバイト先で知り合い親しくなったSくんの夢は、英米文学の短編集を自分で編むことだった。
サリンジャーの「エズミに捧ぐ」とトルーマン・カポーティの「ミリアム」は必ず入れるとのこと。
でも、そうすると集英社から出てるものと似てくるかもよ。
「そうなんです、それが悩ましいところで。」
いたって大真面目だった。
 早くからグレて不良少年になった彼はそのころも尻ポケットにジャックナイフを隠し持っているくらいだったが、僕とは不思議にうまが合い、彼のアパートで安バーボンを飲みながら「タクシードライバー」や「ビデオドローム」といった映画を観て夜を明かした。
 彼が「エズミに捧ぐ」で最も好きだというくだりが、冒頭に置いたものだった。
「この大人びた配慮が嬉しいですよねえ。」
たしかにSくんは硬派で、女性に対してはからきし意気地がなかった。
そうだね、お互いこういうひとにいつか会えたらいいね。
 あれから長い年月が過ぎたけれど、彼は広い東京でそんなひとに出会えただろうか。
僕は―。
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たとえばわたしのクリスマス

2015年12月22日 | 日記












メリー・クリスマス!
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もみの木

2015年12月18日 | 日記
 20年ほど前、宅地造成中の雑種地内で見つけた高さ120センチほどのもみの木を自力で掘り出し、軽トラックに積んできて自宅に植えた。
雑木に囲まれていたため幹は光の方向へZ型に大きく曲がり、北側は枝葉もほとんどない裸のような状態だった。
そんなみすぼらしいものを一体どうするの、ホームセンターで買った方がずっとマシだよ、と土工たちは笑った。
そんなあざけりには耳を貸さず、居間の前に据えると、次はその木をからめてウッドデッキを自作した。
 それから5年間、もみの木は10センチも成長しなかった。
さすがに不安になってきた6年目の初夏、思い立って自己流で枝を大胆に剪定してみた。
するとどうだろう、その夏はぐんぐんと背が伸び、2メートルを超した。
味をしめた僕は、毎年時季が来るとさらに大胆に枝葉を落として行った。
その結果、10年目には二階の屋根高を上回る、5メートル超の大木に育っていた。
その後、庭師のアドバイスに従い先端をつめて伸びを止めたところ、今度は枝を横に張り始め、ひねこびた幹は丸々となって以前の不格好さが失せ、親の欲目?か、現在は風格すら感じられる木になっている。
 ペット一匹、草花一本育てたことがなかった僕が、この木を通じて学んだことは本当にたくさんある。けれども、それをここに書くと教訓じみてきそうなので、やめておこう。
来年もまた、時季が来たらきれいな円錐形に黙々と刈りそろえるだけだ。



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GHポラーノの杜

2015年12月15日 | 珠玉

 グループホームポラーノの杜が開所7周年を迎えた。
開所当日は、晴れてはいたものの、風の強い日だった。
他法人と公募で争い、死闘の末に獲得したホームで、その後も自治体とボタンを掛け違えて開所が延びたり、落札業者とうまく行かなかったり、とトラブル続きだったこともあって、その日を迎えた喜びはひとしおだった。
幼かった娘と、施設管理者とでワルツを踊った。
こんなことは後にも先にも一度きりだ。

 ここでやめておくべきだったのか。
けれども、岩手へ進出していなければ、2年3か月後の大震災で間違いなく当法人は吹き飛んでいたろう。
答えの出ない問いを、また今年も繰り返す。


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