ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

認知症サポーター養成講座

2016年06月27日 | なごみ

 市営幸町公営住宅の集会場をお借りして、住民のみなさんを対象に高齢者相談室主催の認知症サポーター養成講座を開催しました。
講師は当法人のSCMです。
Sさんの講話を聞くのは2度目ですが、その優しく、まっすぐな人柄がよく出た、胸にしみ渡るようなお話でした。

「これらの『行動・心理症状』というものは、治療や環境、対応の工夫によって改善できることも多いのです。
 認知症症状の対応は難しいと感じられる方はたくさんいらっしゃると思います。認知症の症状も十人十色です。これが正しくてこれが間違いというやり方はないと思います。
私も認知症介護の仕事に就いて15年程になりましたが、日々、試行錯誤でした。時には失敗もします。でも、自分がその人の立場だったらどう感じるのか…。その方の気持ちを一生懸命考えながら接したやり方。それらは、すべて花丸な方法なのではないかと思います。」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャグチャグ馬コ2016

2016年06月20日 | 日記
 鬼越蒼前神社に着いてみて、びっくりした。
社殿が新しくなっているのだ。
いつの間に?!
朝日を浴びた銅板葺きの屋根はキラキラを通り越して、目の奥が痛くなるほどギラギラと光っている。
総ひのきの柱も壁も、あまりに新し過ぎて、立派というよりはまるでキットハウスの観があるのだが、銅板が緑青を吹いてくるころには木肌もあめ色に焼けて風合いが出てくるだろう。少しの間、辛抱だ。
 今年は総勢73頭だったとのこと、見当たらない馬主一家もいて気になったが、一方であねこ姿で参加する市民が心なしか増えているようにも感じた。
言葉だけでなく、みなが本気になって大切に守って行って欲しいおまつりだ。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日

2016年06月19日 | favorite songs

 パンクロッカーがハゲてしまっても、レコード会社から契約を打ち切られても、自分の昔のヒット曲を娘とデュエットできたら、最高じゃない。
さらにそれが当時ガールフレンドだった歌手とデュエットするために作ったのだろう、と世間のひんしゅくを買った曲ならなおのこと。
ミック・ジョーンズ(元クラッシュ)のニヤけ顔がさらにデレデレで観ちゃいられない、羨まし過ぎて!


(2008年)

(1981年)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日

2016年06月17日 | 日記
 亡くなった父はとにかく仕事仕事の毎日でほとんど家にいることがなかったけれど、どういうわけか日曜の朝だけは小さかった私たち兄妹と一緒に朝食を取るのを習慣にしていた。
 ダイニングテーブルへ私たちが並んでちょこんと座り、父が三枚トーストを焼く。
ジャムの瓶がうやうやしくいくつも並べられ、どれが食べたいか尋ねられる。
兄はいつもピーナッツクリームで、私はイチゴジャムだった。
三枚目はその逆を半分ずつ。
弱めに焼いたトーストへ端々まで薄くマーガリンを塗り、その上にリクエストしたジャムやクリームを塗ってくれた。
さらに、二つ折りして耳を別の皿に取り、父はそれだけをコーヒーと一緒に食べた。
食いしん坊だった私はそれも食べたいとねだり、父はマーマレードやコンデンスミルクで味付けしてくれた。


 朝、夫と向かい合って食事を取りながら、私はあの頃のことを時々思い出す。兄も父と同じように子供たちへトーストを焼いているだろうか、ああ、もうあの優しさに触れることは決してないのだな、と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーソン・マッカラーズ(下)

2016年06月15日 | 日記
 1951年には新作中編「悲しき酒場の唄」へ初期の短編を加えた同名の短編集と、やはり同名の一冊全集が刊行されている。映画「ピクニック(1955年)の中でヒロインの妹役のスーザン・ストラスバーグがいつも持ち歩いている本だ。
あの映画のラスト近く、「男なんていらないわ、私はニューヨークヘ出てみんなをあっと言わせる小説を書くんだ」というストラスバーグのセリフは、マッカラーズとその作品群を念頭に置いたものだろう。
 この短編集には、O・ヘンリー賞を受賞した「木、岩、雲」も含まれている。夜明け前のカフェで新聞少年と中年男がぽつりぽつりと交わす奇妙な会話。
○男は若い頃から非常にセンシティヴな人間だった。しかし、感じたことや体験がすべて体の中にバラバラに置かれているような、やるせない違和感に悩んでもいた。ある日男は一人の女に出会い、恋に落ち、三日目で結婚した。男にとって彼女は一種のベルト・コンべアだった。体の中のバラバラのものが彼女を通すことによってどんどんつながって行くのだ。男は自分が完成したことを知る。
ところが彼女は突然彼を捨てて別の男と家出してしまった。男は再びバラバラになり、彼女を探して放浪の旅に出た―。
○男は女に会ってアイデンティティを確立した.女はただのあばずれだったのかもしれない。しかし男にとっては最高に価値ある人間だったのだ。
○放浪を始めて六年目の春。男の頭にまるで天啓のように″愛情の哲学″が閃いた。
「自分をはじめ、男性は愛の“クライマックスから出発するために失敗するのだ。木・岩・雲からスタートし、最後に女性に到達すればいい。」
男は道ばたから石ころを拾ってきてそれをいつくしんだ。
金魚を買ってきてそれを愛でた。そうやって彼はついにすべてのものを愛すことができるマスターになったと言うのだ。
○この哲学も面白い。
子供の頃にこんなことを考えたことがある。
○生長の早い樹の苗木を買ってきて庭に植え、僕はそれを毎日飛び越える。木はどんどん大きくなるが、一日分の伸びに限れば徴々たるものだ。木はとうとう大木になる。毎日それを飛び越す練習をつんでいた僕は自然ものすごいジヤンプカを身につけている―。くだらないか。
表題作の「悲しき酒場の唄」は「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」の鬼才エドワード・オールビーによって1962年に戯曲化された。病床にあったマッカラーズと入念に打ち合わせた上での劇化だったが、ブロードウエイではさはどヒットしなかった。早川書房刊の「オールビー全集」の中に訳出されている。
 マッカラーズは少女時代にかかったリューマチ熱が原因の関節炎を患っていた。この難病は徐々に彼女の体を蝕み、三十代で杖をつくことを余儀なくされ、四十代では外出も困難になるほどだった。心臓発作、手足の麻痺、視力減退やたびたびの骨折といった症状に悩まされた上、乳ガンまで併発した彼女は満身創夷となって1967年、五十歳の短い生涯を終えた。         
 最後の作品となった「針のない時計」を執筆する頃には既に右半身は不随で、片手でタイプライターを打ったため、一日やっと一ページしか進まなかったという(邦訳は講談社文庫から出ていたが現在は絶版)。
(1990年12月)




国語教師「おやまあ、お宅ではお嬢さんにそんなけがらわしい本を読ませているの?」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする