ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

You'd Be So Nice To Come Home To

2015年10月30日 | 珠玉

どんなに素敵だろう
帰ったときにきみがいてくれたら
暖炉のそばできみがいてくれたら
空高く木枯らしが子守唄を歌っていても
僕の望みはそれだけだ

冬に凍てつく星の下でも
八月の灼けつく月の下でも
帰ったときにきみがいてくれたら
きみを愛せたら
素敵だし、パラダイスだ

You'd Be So Nice To Come Home To
You'd be so nice to come home to
You'd be so nice by the fire
While the breeze on high, sang a lullaby
You'd be all my heart could desire

Under stars chilled by the winter
Under an August moon shining above
You'd be so nice, you'd be paradise
To come home to and love

コール・ポーターが1942年に書いた名曲。第二次大戦中、戦地でこの曲を聞いた兵士は、早く戦争が終わって、家に帰ること、待っている恋人や家族にまた会うことを心の底から願ったに違いない。

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2015年10月26日 | 珠玉

 喉がカラカラだった。
アメリカ軍の火炎放射器攻撃から逃れてジャングルに分け入り、もう何日が過ぎたのか。Nはそれすらも分らなくなっていた。
敵の上陸以来、現地人の対応は手の平を返したように冷たかった。
それどころか、噂によれば日本兵を捕獲してはチョコレートやタバコと引き替えにアメリカ軍へ引き渡しているという。
連中にも気をつけなければ。
 喉が渇いて、舌が半分、口から飛び出してきていた。
その時、前方の木々の枝の間から、一筋の光が差したのをNは感じた。
もつれる足で小走りに行ってみると、青く繁った大きな葉の陰になるようにして、小さな泉がそこにあった。
畳2枚分もあるだろうか、深さは膝の丈くらい。
砂底から、気泡とともに澄んだ水がこんこんと湧き出ていた。
誰かが見ていたら、Nは気が狂ったと思われたに違いない。
逆さになって頭を水面に突っ込み、小踊りし、軍服を脱ぎ捨てて泉に飛び込んだ。
やがて落ちつきを取り戻すと服を洗い、木の枝に干して草むらに裸で寝そべった。
どのくらい眠ったろう、軍服はすっかり乾いていた。
身支度を整え、もう一度水面をのぞいてみた。
すっかり若がえったNの顔があった。
彼はジャングルを出て、アメリカ軍に投降した。
ちょうど敗戦の日だった。

 内地に引き上げてきたNは闇市で薬屋を始めた。
南方の島で死にかけた命と思えば、何でもできた。
アメリカのドラッグストアやスーパーマーケットを模して始めたスーパーは大当たりし、チェーン化して会社はどんどん大きくなって行った。
 Nは時々あの泉を夢に見た。
初めて大型ショッピングモールをオープンさせた日、娘を旧華族に嫁がせた日、日本商工会議所の副会頭に推された日、いつも同じ夢を見た。
 50年後、Nは関連子会社の工場移転にかかる視察と称してその島へ渡った。
いぶかしがる役員や秘書をふり払い、Nは一人ジャングルに分け入った。
今となってはあの泉を見つけられるなどとは思っていなかったが、不思議なことに、やみくもに歩き回っても道に迷ったというような感覚はなかった。
ああ、喉が渇いた。
そう思った瞬間、一筋の光が差してきた。
胸が高鳴った。
駆け出した先に、泉があった。
Nは服を脱ぎ、水に飛び込んだ。
両手で頭をなでつけた。
泉から上がると、Nは前と同じように裸で寝そべり、まどろんだ。
ああ、オレはまた見つけた。50年後に。
オレはもう50年、生きるかもしれない。
オレは何でもできる。
この高揚感よ。
 Nは服を着た。
また50年後も来るからな。
Nは別れを惜しむように水辺へ戻り、水面をのぞき込んだ。
そして大声を上げた。
そこには黒こげの何かが映っていた。

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芋煮会

2015年10月23日 | なごみ

 今年も気仙沼ぽらんでは、ホールに続くウッドデッキで利用者様と職員が芋の子汁をいただきました。
炭火で焼いた秋刀魚や味噌おにぎりにジュース、男性利用者様にはノンアルコールビールもお出ししています。
そのせいか、笑顔も二割増しでした。
 屋外で食べるとなぜこんなにもおいしいのでしょうね。
電柱にとまったカラスが秋刀魚の骨を狙ってるよ、だったり、次はここでカレーライスを食べたいね、などと談笑しながら、のんびりとした秋のひとときが過ぎて行きました。


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ユニフォーム

2015年10月20日 | ジョン・フォード

 気仙沼市から委託されているLSA(生活援助員)事業の新しいユニフォームを作りました。
ネイビーブルーのスウェットフルジップパーカーに、左袖(肩下)へ黄色で法人名の刺繍を入れて。“騎兵隊カラー”(=南北戦争時の北軍軍服カラー)にしてみました。








「騎兵隊」(1959年)より。ジョン・ウエイン(中央)は北軍指揮官の大佐、ウイリアム・ホールデン(右)は軍医で北軍少佐。

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ネーミング

2015年10月19日 | 日記
 遠方からの来客への手土産に何かお菓子でも、と思いお店に入ったところ、先月発売されたばかりという「気仙沼マドレーヌ」が目に入った。
ホヤぼーやがたくさん並んでいて可愛らしいったらないのだが、ネーミングもまたすんなり胸に入り、即、二箱購入した。
気仙沼、という荒っぽい漁師町のイメージに、優しくマドレーヌ、とつないだそのミスマッチぶりがいい。
 ネーミングは大事だ。
当法人の女性ケアマネジャーの集まりは「くれない会」という。
山崎豊子の「白い巨塔」に登場する、浪速大学医学部の教授夫人会にちなんだ名前だ。
ちょっと怖いイメージだが、当法人の会へ行ってみれば(※男子禁制)、みなセンスの良い、素敵な職員ばかりで、そのミスマッチぶりがかえってほほえましく思えるだろう。
それが、いいのだ。

○「白い巨塔」、くれない会について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E3%81%84%E5%B7%A8%E5%A1%94






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