先人たちの失敗から学ぶという意味から、僕は仕事上「ロジスティクス」について好んでよく話す。
現代では物流を表すことが多いが、元々は「兵站(へいたん)」と訳される軍事用語で、後方から戦場へ兵員や物資を補給する活動の総称である。
その概念は、古くはアレキサンダー大王の遠征や、ペルシャ戦争、それに中国の兵法書「孫子」に既に存在しており、兵站をおろそかにした者は必ず大敗を喫する。
たとえば、ナポレオンのロシア戦役や第ニ次世界大戦におけるドイツ軍のソビエト侵攻(バルバロッサ作戦)、日本陸軍による南方侵略やインパール作戦など。
下の大河ドラマ「武田信玄」(1988年)のエピソードは一話の大半が武田軍の上洛戦(1572年)のためのロジスティクスと侵攻ルートについての軍議のシーンに費やされており、その内容は非常に詳細で面白い。
信玄の長男が親子関係のもつれから廃嫡・切腹させられた後に後継者となった諏訪(信濃国)出身の四男勝頼が、甲斐国の古参家臣団に受け入れられていない状況もしっかり描かれている。
村上弘明演じる高坂弾正は農民出身で字も書けなかったが、その精勤ぶりを信玄に認められ、重臣に取り立てられた人物。
信玄の死後、あるじの思い出話などを彼が口述してまとめさせたものが「甲陽軍鑑」である。
馬場信春(三木良介)と口論している阿部勝宝(佐藤慶)は勝頼の守役で、後年織田家に攻められた勝頼が天目山で自害する(1582年)まで付き従った忠臣だ。
馬場はそれより早く、長篠の戦い(1575年)で山形昌景(篠田三郎)とともに討死している。
(2018年9月)
「短い期間でしたが、ご縁をいただきありがとうございました。
私はこのなめとこデサービスに勤めてはじめて、栄養士・調理員として思うとおりに腕をふるえたように感じています。自由にさせていただきました。
ここ数年チャグチャグ馬コパレードは中止となっていて残念ですが、井浦理事長のように県外から楽しみにしていらして下さっている方がいることを知り、本当に驚きました。
地元民としてはマイナーなイベントだと思っていただけに、驚くとともに嬉しく感じています。
せっかくですので、もうご存知かもしれませんが、チャグチャグ馬コにちなんだ銘菓をご挨拶にお持ちいたします。喜んでいただけたら幸いです。
もしまた夫の転勤で舞い戻ってきたときは、面接の際におっしゃっていた『滝沢村の方は10点プラス』で、どうぞ再雇用願います。それでは、お元気で。」
これは僕が二十代で知り合った老大工さんが問わず語りに力説していた話だ。
もうずいぶん前に亡くなっている彼は若いころ相当乱暴者だったらしく、組にも出入りしたそうで、実際、あのひとが居る現場はちょっと、と尻込みする業者もいた。
僕とは何事もなく一緒に仕事をしたが、根が流れ者気質なのか、二現場ほどでぷいといなくなり、そのまま顔を合わせることはなかった。
「井浦さん、オレはお彼岸の中日だけは絶対に働かないことにしてるんだ。」
そうですか、ウチは元々お休みですから構いませんよ。
「オレね、弟子が終わって間もないころに、お彼岸の中日に仕事に出たんだ。玄関でおふくろに止められたんだよ、中日は働くもんじゃないからやめろって。でも若かったし、金が欲しかったから、うるせいってそのまま出てきたんだけど、その日の土蔵の改修工事で、倒れてきた土壁の下敷きになって3か月も入院することになってしまった。以来、オレはどんなに頼まれてもお彼岸の中日だけは働かないんだ。それにしても、母親ってありがたいね、一所懸命看病してくれたけど、それ見たことかとは一言も言わなかったもの。」
僕もこの話を聞いて以来、彼岸の中日だけは働かないことにしている。ただ、このエピソードが、彼岸の中日には絶対働くななのか、母親の言うことはよく聞けなのか、判断がつかないままなのだが。
一昨日の地震に際しては、イレギュラ―なアラームの鳴り方にもかかわらず、自分は今回もかなり冷静だな、と感じていた。これは、東日本大震災を経験したからというわけではなく、高校時代に発生した宮城県沖地震で相当慌ててしまったのが、(30年以内に)必ずまた来ると言われ続けていて、その長い長い年月の間、心の準備を怠らなかったためだと思っている。
たまたま自宅を改装中で、全面ビケ足場が掛かっており、それがやたらガシャンガシャンと音を立てていたが。
ともあれ、このけせもい市より揺れが大きかった宮城県南の方々、福島の方々には心よりお見舞い申し上げます。お気をつけて。
かつて私は恋をした とても楽しいものだった
でもそれはすぐに消え失せて
私のハートはガラスになった
本物の愛を見つけたと思っていたのに
ひどく疑わしくなって
愛は過ぎ去って行ってしまった
Once I had a love and it was a gas
Soon turned out had a heart of glass
Seemed like the real thing,
only to find
Mucho mistrust,
love's gone behind
ブロンディ初の全米ナンバーワン・ヒットとなった「ハート・オブ・グラス」(1979年)の歌い出しはこうだ。
この、自分にとっては同時代の曲が、東日本大震災のあった2011年の暮れに思いがけず自動車メーカーのCMに使用され、なんとなく気持ちが明るくなったものだ。
大ヒットしただけあって、これまでさまざまなアーティストが取り上げている。
最近だとマリー・サイラスのカバー(2020年)が有名だが、熱唱がちょっと苦手。
リリー・アレンのレゲエ・アレンジ(2009年)は、悲し過ぎて笑っちゃう、ユーモラスなカンジがとてもいい。
日本人だと、同時代のファッション・アイコン、甲田さんと木村くんのディップ・イン・ザ・プールによるカバーが秀逸だ。
1993年