ザ・キンクスは大好きなバンドだった。
ちょうど10代の終わりころに初期の60年代のアルバムが一挙に復刻され、それを繰り返し聴いた。
また、リーダーのレイ・デイヴィスがプロデュースしたプリテンダーズのアルバムには「ストップ・ユア・ソビング」や「アイ・ゴー・トゥ・スリープ」がカバーされていて、当時もう忘れられた存在に近かったキンクスの名前をかろうじて埋もれさせないでいた。
それが1983年にMTVの影響力によってカリプソ・タッチのシングル「カム・ダンシング」が爆発的にヒットしたことでバンドは息を吹き返し、デイヴィスも今日まで生き残っている。
美大出身のデイヴィスはブルースのカバーから始まって、次第に内省的な曲やコンセプトアルバムの作成に傾注し結果的に大衆性を失くしたのだが、1982年の初来日コンサートは上述の再ブレイク前だったものの、「懐かしのバンド」では決してなく、とにかく力強いパフォーマンスだった。
ストーリー仕立てで完成度の高い「カム・ダンシング」のビデオ・クリップ。
二役のデイヴィスの演技がほほえましい。
極秘裏に進めてきれいにまとまったM&Aの案件が地元紙で報じられた当日、たまたま僕は岩手県立美術館へ「江口寿史イラストレーション展 彼女」を観に来ていた。
傘雲のかかった美しい岩手山を東北自動車道から眺めながら、どちらが本物の自分なのだろうな、と考えると笑いが込み上げてきた。
展覧会は最高に楽しかった。
当日券は1200円。購入する際に内心その安さに驚いていたくらいだから、観覧する前からあれこれ考えて、もうすでに十二分に楽しんでいた。
江口のインタビューはいつも面白いのだが、少し前にアカ日新聞に連載された自伝インタビューは秀逸だった。この展覧会についても言及していて、近くに巡回してきたら観たいとその時から思っていた。
僕は17歳からアカ日を購読している。きっかけは、いわゆる受験対策だった。父親に無駄だと言われて腹を立て、小遣いから購読料を支払った。それが結局惰性で40年以上続いてしまった。
アカ日自身も40年たって、まさかこんなにも記事が赤化するとは想像していなかったろうし、江口だって、早くから売れっ子マンガ家だったけれど、まさか自伝がアカ日新聞に連載されることになるとは考えてもいなかったろう。みなの上に長い長い時が流れたのだ。
450点もの大小イラストが整然と展示され、その白い壁の上にスローガンというか、警句が掲げられている。例えば、
「ハイファッションにはほとんど興味が無い。ちょっとダサいくらいの普段着っぽいほうが好き。」
あー、わかる、と思った。
彼(作家)は自分の好きなもの、魅力的なもの、素敵なもの、可愛いものを描き続けてきた。
僕もそれでいいじゃない。
なんだか久しぶりに、自己肯定出来た一日だった。
来月21日、その名も「週刊 空母赤城」が創刊されるという。
創刊号は299円、第2号以降は1,999円。全110号の予定というから、総額は218,190円となる。
色々な意味で、かなり胸がざわついている(だいたい、あと2年も生きてられるかしらん)。
誤解を恐れずに書くと、旧日本海軍の航空母艦赤城は日本人が作ったモノの中で飛び切り美しいフォルムを持っている。
子供の頃に三度、なけなしの小遣いをはたいて買ったプラモデルを組み立てていて、そう感じた。
息子も中学時代に一度作っているのを見たことがある。
赤城を旗艦として第一航空艦隊を率いたのは米沢出身の南雲忠一中将。
その下で空母飛龍に乗艦して第二航空戦隊を率いたのが猛将山口多聞少将。
この二人の確執は、真珠湾攻撃、その後のミッドウエイ海戦を題材にした映画が作られるたび、さまざまな俳優が演じている。
日本にとって虎の子の空母四隻を沈められる大敗北を喫し、太平洋戦争の転機となった「ミッドウエイ」(2019年)では南雲を國村隼、山口を浅野忠信が演じている。
「トラ・トラ・トラ!」(1970年)では東野栄治郎と藤田進、「連合艦隊司令長官 山本五十六」(2011年)では中原丈雄と阿部寛だった。
また、チャールトン・ヘストン版の「ミッドウエイ」(1976年)では、日系俳優のジェームズ繁田(「ダイ・ハード」のナカトミ社長)が南雲を演じていた。
「トラ・トラ・トラ!」より、「長門」艦上でもめる二人(1分23秒~)。三橋達也が源田参謀。
「ミッドウエイ」(2019年)より。日系俳優にありがちなのだが、源田参謀がヘコへコしていて気味が悪い。
「連合艦隊司令長官 山本五十六」
「アニメンタリー 決断」(1971年)より。山口から南雲へ催促の信号(6分33秒~)
コロナ禍ですっかりなくなったが、以前は時々年配のフラダンスチームが施設に慰問にいらしていた。
ある意味、目のやり場に困るひとときだったが、演目の中に「パーリー・シェルズ」が入っていると僕はご機嫌だった。
このフラの代表曲は、監督ジョン・フォード、主演ジョン・ウエインの、最後のコンビ作となった「ドノバン珊瑚礁」(1963年)のタイトル曲として使われており、耳になじんでいたから。
「リバティ・バランスを射った男」、「西部開拓史」(長編オムニバス映画の1エピソード)と重い作品が続いた後のこの「ドノバン」は、打って変わって緩急のよく効いたスラップスティック・コメデイで、隅から隅まで愛おしい佳品である。
と、言い切りたいところなのだが、エンディングだけが、よろしくない。
ネタバレになるので書かないが、ヒロインを含む、登場するすべての女性キャラクターたちに対して敬意を払ってきたフォードが一体どうして?と首をひねってしまう。
おかげで長年この作品が好きだとは大っぴらに言うことができないでいる。
後年、ジョン・ウエインが主演した「勇気ある追跡」およびそのリメイク「トゥルー・グリット」にもその行為が登場するが、ルースタ―・コグバーン(ウエイン)は銃を抜いて相手を止めるのだ。
これがフォードの老いによるものなのか、誰も言及していないので、もう知る由もない。
なお、この作品の原作は「南太平洋」のジェームズ・ミッチェナー、衣裳は「リバティ・バランス」に続きイディス・ヘッドが担当している。ここは押さえておきたいかな。
予告編。ほぼ殴り合い。
第二次大戦後、医師として現地に残り、母と自分を捨てたと恨んでいた父親(ジャック・ウォーデン)に、勝気な娘が再会するシーン。観るたび泣いてしまう。衣裳も素敵だ。
リー・マーヴィン!
事業所建物は、職員たちが利用者様(入居者様)のためを思い、季節感あふれる装飾を施したり、日々の活動での作品を掲示するなどしてくれている。
以前、隣県に新設したグループホームが初めての実地指導を受審した際に、装飾が足りないのでは、との指摘を受けたことがあった。僕としては、職員たちが建設間もない建物を大切に使ってくれている証しなのだがな、と内心思ったものだった。特に僕は個人的にあまりごてごて飾り立てるのを好まず、ひょっとすると職員たちはそれも感じていて(気づいていて)、気遣ってくれていたのかもしれない。
先日、久しぶりに他法人の事業所を訪問した際に、もちろん、あちらの職員たちは良かれと思ってのことだろうけれど、壁、天井梁などがびっしりと装飾され、また所狭しと備品が置かれており、目に飛び込んでくる色や情報量で頭がくらくらしてしまった。
翌日、自社のグループホームに立ち寄り、管理者と打ち合わせている最中にふと館内を見渡すと、昨日とは打って変わったその質素さに、大きな落差を改めて感じた。
「ここはシンプルだねえ。」
思わず声に出すと、事情が分からない管理者は怪訝そうな表情を浮かべた。
「どこもホームは相当額の補助金が入り意匠を競うようにして建設されているわけだから、装飾に密度は求めなくてもいいと思うんだよね。過剰にデコらなくてもそのままで十二分に美しいので、『殺風景』や素っ気なさを恐れずに、このまま余白を大事にしていきましょうか。」