ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

「マンチェスターとリバプール」

2022年10月31日 | フランス映画

 

 

 好きな女優を尋ねられると10回に8回はマリー・ラフォレと答える。(残りの2回はバルドーとジーン・セバーグだ。)

「太陽がいっぱい」(1960年)で鮮烈なデビューを果たしたマリー・ラフォレだが、彼女はもともと歌手志望だったためか、女優としてのキャリアを築くことにあまり欲を持っていなかったように見える。どこかいつもなげやりで、そこも大きな魅力なのだが。

「マンチェスターとリバプール」(1968年)は「恋はみずいろ」などで有名なアンドレ・ポップの作品で、マリー・ラフォレ最大のヒットとなった失恋の歌だ。

 

「太陽がいっぱい」の初登場シーン。フラ・アンジェリコ(宗教画家)、ギター、ラフォレ、押しの強いモーリス・ロネ。最高だ。

 

マンチェスターとリバプール

 

マンチェスターとリバプール

私は思い出多い名の通りを歩いている

この雑踏の中

見知らぬひとたちの中を

 

マンチェスターとリバプール

私はずっと旅してきた

失くした美しい愛を求めて

私の知っていたあなたを求めて

 

愛してる、愛してる

独り言のようなあなたの声

愛してる、愛してる

私は何度も繰り返し思ったの

 

マンチェスターは悲しみにくれ

リバプールは海の上で泣いている

どうしていいか分らないの

白い船は冬を恐れている

 

マンチェスターは雨の中

そしてリバプールはもう見つからない

今日の霧の中で

愛も失くしてしまった

 

愛してる、愛してる

あなたの独り言に耳を傾ける

愛してる、愛してる

あなたがもういないのは分っているけど

ラララ…

 

 

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防災研修会

2022年10月28日 | なごやか

「みなさん、おばんでございます。

社会福祉法人千鈴会の井浦でございます。

月末のご多用の中、またお仕事を終えてのお疲れのところ、このようにたくさんお集りいただき、ありがとうございます。

この令和4年度防災研修会はけせもい市様と福法組との共催とさせていただいており、そんなことから組合長の私が、僭越ではございますが、一言ご挨拶申し上げます。

 本日お二人の講師の先生はわざわざセンダード市からお越しいただいており、それぞれご専門の分野について講話を頂戴することを、とても楽しみにしてまいりました。

今後、われわれ民間介護サービス事業者が再び災害に直面した時にどのように行動するのか、どう振舞えばいいのか、その大きな課題への答えを、おのおのがお話の中から見つけらればと考えています。

私事で大変恐縮ですが、私の二人の子供たちは揃って東日本福祉大学総合福祉学部社会福祉学科に進学しており、本日の講師のA先生がそちらに在籍されていると知って、少し驚いています。

娘の方はまだ在学中ですので、本会の後にぜひとも先生へ私の名刺をお渡ししようとたくらんでおりました(笑)

 また、浦上社長様におかれましては、当組合の副組合長を長く勤めていただいている、人望厚い経営者様ですが、東日本大震災では大きな被害を蒙られ、筆舌に尽くしがたいご苦労をなさっており、そのような体験を持つ方が策定された避難確保計画はたいへんなリアリティを持ったものになっていることと思います。

3月11日の深夜2時、自分の施設が流失したことを報告しにこのワンテンビルへやって来た私は、おもての八日町通りで被災した自動車のドアを残らず開けて中をまさぐっている、複数組の車上荒らしを目撃しています。

その直前には、施設のあった本吉町大谷地区で、野球バットを持った三人組の自警団に遭遇しています。

そんな日を生き抜く知識と知恵を、本日もまた増やし、大切な利用者様と職員をわれわれの手で守って行けたらと願ってやみません。

長くなりましたが、これを私からの挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。」

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コイについて

2022年10月24日 | 日記

 まだ若かった頃、よく仕事を依頼した士業の方がいた。

僕よりだいぶ年長で、一見、風采の上がらない初老の男性だったが、口が堅く、仕事も丁寧なのが気に入って使っていた。

ある時、なにがきっかけだったか、池の話題になった。

以前僕が池を受注して大失敗した話を披露したところ、彼は目を輝かせながら、自分も作ったことがある、と言う。

へええ、Tさん、日本庭園ですか?

彼はすぐさま首を横に振り、「コイなんです」と答えた。

聞き違えたのかと思い再度尋ねると、鯉の繁殖用の大きな池を作ったらしい。

餌やりの時など寄って来るとやはり可愛いですか?との僕の問いに顔を赤らめながら、人間様よりずっと可愛いですね、と答える。

たまたま自宅の近くに成金の豪邸があり、そこは建物1億、植木1億、錦鯉が1億、との評判だったのを思い出し、ねえ、Tさん、この町で一番鯉に詳しいひとって誰なのですか、と尋ねてみた。

Tさんはあっさり答えた。

「私ですね。」

「あの人(成金)には私が教えたんですよ。」

面くらっている僕と目を合わせないようにしながら彼は毎年、一大産地の新潟県長岡市山古志村へ稚魚の買い付けに行って地元の方々と交流を深めていることなどをとつとつと語った。その村が先年、地震で壊滅的な被害を蒙り、胸を痛めていることも。

 その後も僕らは一緒に仕事をしたが、東日本大震災の大津波でTさんは自宅も鯉も、顧客から預かっていた書類もすべて流されてしまった。

その年の暮れに、廃業する旨印刷されたハガキが一枚届いている。

失意のTさんがどうなったのか、わからないままだが、今朝、テレビで新潟中越地震から18年たった山古志村の復興と現状についてのミニドキュメンタリーをたまたま見ていて、ひょっとして、人間様より可愛いと言っていた鯉の故郷で暮らしているかもな、そうだったらいいな、と祈るような気持ちになった。

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クロード・エイキンス

2022年10月21日 | ハリウッド

 デーム・アンジェラ・ランズベリーが亡くなったとの報道に接し、稀有の名女優だった彼女の作品や登場シーンを思い巡らすうちに、一人の脇役俳優に行き当たった。

ランズベリーの当たり役に、長寿テレビシリーズとなった「ジェシカおばさんの事件簿」がある。その第1シーズンに準レギュラーとして顔を出していたクロード・エイキンスという男優だ。古い映画ファンが減り、その名前を聞いて、ああ、あいつか、と頷くひともだいぶ少なくなっているだろうが、ちょっと名の知れた脇役俳優だった。そのキャリアをこれから駆け足で書いて行く。

(大きな声では言えないが、NHKでの初放映時、「ジェシカおばさん」を欠かさず観るようにしていたのは、このエイキンスが出ているから、というのも理由の一つだった。)

 

 軍隊上がりの容貌魁偉な彼の俳優デビュー作は大作「地上より永遠に」(1953年)。

その他大勢の兵士役でクレジットはないものの、セリフはあった。

左から三人目のポマード頭がエイキンス。

 

"歩く暴力”アーネスト・ボーグナイン登場!

 

 その次は、やはり戦争大作の「ケイン号の叛乱」(1954年、エドワード・ドミトリク監督)。

転出する艦長へ水兵たちがお金を出し合って時計を贈るというちょっといいエピソードに登場する。劇中、同じくまだほんの脇役だったリー・マーヴィンとのコンビで笑わせてくれる。

前列左がリー・マーヴィン。一人置いてエイキンス。

 

 そして、エイキンスの悪名をとどろかせることになる金字塔的作品の「リオ・ブラボー」(1959年)だ。いやいや違った、西部劇の金字塔だった。監督ハワード・ホークス、主演ジョン・ウエイン。「底抜け」コンビを解消しピンの芸能人としての今後のキャリアをこの一本に賭けたディーン・マーティンの必死さも、良い方向に作用している。

エイキンスは街の顔役の弟役で、映画の半分以上留置場に入っており、時々無駄口を叩いては主人公たちにどやされている。

左からジョン・ウエイン(保安官)、エイキンス、その兄の顔役。

 

ダイジェスト版。決して最後まで観ないでください。

 

 さらに続けると、テレビ映画として撮影されたものの、暴力描写が苛烈で劇場公開されたドン・シーゲル監督の「殺人者たち」(1964年)。

この映画については何度か書いてきた。ヘミングウエイの短編が原作で、悪役のボスにのちのアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン。

主演は、自分の映画を撮る費用を稼ぐため出演作品を選ばなかった名優ジョン・カサベテス。

エイキンスはレーサー役のカサベテスについていたメカニック役だ。

そしてカサベテスを消したものの、彼の背景にカネのにおいを嗅ぎつけて生前の痕跡をたどって行く殺し屋がリー・マーヴィン。

エイキンスの自動車工場に現れ、思い切り脅す。

マーヴィンは翌年「キャット・バル―」の一人二役でアカデミー主演男優賞をもぎ取り、一躍主演級スターにのし上がった。

エイキンス(左)を脅すマーヴィン。

 

殺し屋の相棒がLGBTという、当時としては特異なキャラクター設定だった。

 

 大ヒットした「荒野の七人」の続編「続・荒野の七人」(1966年)はだいぶ地味な顔ぶれで記憶にも残らない凡作だった。

地味な七人。右端エイキンス。

 

 結局エイキンスは、リー・マーヴィンやアーネスト・ボーグナイン、チャールズ・ブロンソンのように(脇役からの)大化けはしなかったものの、70年代からはテレビシリーズで主役を務めるまでになり、いい晩年を送っている(1994年没)。

 

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「ワーロック」

2022年10月17日 | ハリウッド

 

 

 1956年のオスカー授賞式のドロシー・マローンとアンソニー・クインの写真を見ていて、そういえばこの二人が共演した映画があったな、と思い出した。

西部劇「ワーロック」(1959年)だ。

この作品は人間関係がやけに込み入っていて、尺の割にガンファイトが少ない。

それを自分なりのふざけた言い方をすると、「労多くして功少ない(長時間付き合った割に得るものが少ない)」西部劇、なのだ。

そうは言ったが、見どころもあり、たとえば稀代の早射ち(ヘンリー・フォンダ)の相棒で悪評高いギャンブラー(アンソニー・クイン)のキャラクター設定は、西部劇に不要なくらい複雑で興味深い。

また、ラストのガンファイトは西部劇史上に残るものとなっている。

 ドロシー・マローンはクインの元彼女だが、夫をクインの計略によってフォンダに殺され、復讐に燃えている。義弟を連れてフォンダのいる町ワーロックに来る途中、自分の悪事が露見するのを恐れたクインに駅馬車を襲撃され、義弟も殺されてしまう。

一人ぼっちになった彼女は、まもなく保安官助手(リチャード・ウイドマーク!)と愛し合うようになるのだが、ウイドマークは早射ちフォンダとの勝ち目のない決闘に臨むことになってしまうー。

だいぶ端折ってあらすじの一部を書いた。要するにマローンは恋多き女性という設定だ。クインも復縁を迫ってくる。

 

足の悪いクインはガンファイト時、常にフォンダの後ろをカバーする役割を受け持っている。チームファイトで常勝なのだ。(1時間15分10秒から)

 

60年代に入るとマローンはテレビシリーズ「ペイトン・プレイス物語」で大人気を博す。ミア・ファローの美しい母親役だった。

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