今日は5月5日、こどもの日だ。
連日テレビのニュースは、大混雑する観光地の様子を伝えている。
東京は晴れているだろうか。
多摩動物公園、通称多摩動の人出はどうだろうか。
40年たっても、そんなことを思う。
大学時代の4年間、多摩動でバイトしていたことは何度か書いた。
まだディズニーランドの開園前後だったことから、こどもの日が入園無料の多摩動は毎年、殺人的な混雑ぶりだった。
僕は多摩動(都営)直接のアルバイトではなく、アイスクリームを納入していた雪印乳業からハイシーズンのみ派遣される下請バイトで、雨が降ると調整弁として休みになった。
だから天気予報はひどく気になった。
雨で休みが続くと、苦学生には死活問題だった。
詳しく書く気にはならないが、残念なことに、当時の園内での、後者への差別的な扱いはひどいもので、田舎から上京した素朴な学生にとっては理不尽極まりなく思えた。
一方で、雪印のみなさんには可愛がられた。
今だから明かせるが、卒業し就職してからも、慣れてよく気が利くきみがいいからぜひ出てきてくれないか、と懇願されて1年間、日曜日に手伝いに行った。
(今で言うダブルワークは就業規則で禁止されていたけれど。)
翌月曜日、出社すると、上司がにやにや笑いながら、井浦くん、ゴルフ焼け?と尋ねてきたが、いいえ、NTTからヘッドハンティングされた高給取りのあなたと違って僕は新卒の薄給ですからね、と内心嘆いたものだ。
でも、今になってみると、あの経験は反面教師として僕の中でよく活きている。
自分の会社では、正社員もパートもアルバイトも、契約書の範囲内で平等であること、懸命に働く限りは、全ての権利が等しく保証されることを、常に強く意識しているので。
(2022年5月5日記)
加藤財務大臣とベッセント財務長官の会談時の写真を見て、おや、と思った。
服装は相手への心づくしである、とはデザイナーの故芦田淳の名言だが、加藤大臣やるじゃない。
イェール大学卒のアイビー・リーガーで大富豪に、アメリカ製の定番ネクタイ(BB#1)を締めてみせる。立派だ。
下は当時の総理がアイビー・リーガーの新大統領を初めて訪問した時の写真。BB#3を締めている。
追記:二回目の日米関税交渉を終えて帰国し、記者会見に臨んだ格下大臣。BB#1を締めている。
ここからは政治と無縁の話題。
65歳になられた陛下、とても素敵なネクタイですね。ミニBB#1とお見受けいたしました。
別の日の、別のネクタイ。BB#1ですね。
三本の桜も全部散り、青々とした葉をつけ始めたな、と仰ぎ見て、ひょっと目を落とすと、足元にチューリップが一輪咲いていた。
チューリップって自生するんだっけ?
首をひねりながら、以前、他社のグループホームの管理者さんから聞いた、母の日のカーネーションは地植えするとそのまま繁殖する、という小ネタを思い出していた。
誰かが種を落としたか、あるいは鳥が運んできたか。
ひょろひょろと細長く、突然姿を現したような印象に、漱石の書いた百年の百合(「夢十夜」)もこんなカンジなのかな、とふと思った。
お気に入りの桜並木がある。
本市から北へ50キロ以上行ったところなのだが、同じころに咲き始め、気のせいか見頃が短く、あっという間に散ってしまう。
一昨年は満開に当たったものの、昨年両親を乗せて赴いた際はまだ開花前で、申し訳ないので別の場所へと連れて行った。
新年度になって各種実績報告や決算にかかる事務処理が重なる時期だけに、タイミングを合わせるのは本当に難しい。
もうだいぶ前だが、仕事が終わったあと気が向いて、そこから少し奥に入った日帰り温泉へ行った帰りのこと、ライトアップされていたその桜並木は、まるで純白の綿菓子か泡雪でできた巨大なアーチのようだった。
大きな古木が道の両側に並ぶ中、新しい苗木もぽつりぽつりと植えられている。
地域の名所を保存する動きがあるのだろう、とても大切なことだ。
今年は、先週日曜の20日にまた両親を連れ、内心ハラハラしながら行ってみたところが満開で、やっと面目を施している。



一昨年春からウォーキングを始めて二年が過ぎた。
雪と雨の日以外は土日祝日も毎日。
筋金入りの三日坊主の僕としては、ちょっと誇らしい気分になっている。
ただし、ウォーキングと言っても、昼食後に自宅の周囲を15分ほど歩いている程度だが。
本当はもう少し長いコースにしたかったものの、特に夏などはそのあと汗がなかなか引かず、午後の仕事に差し支えるのでその程度に収まった。
自分が健康にいいウォーキングに取り組むなんて、ロックじゃないな、と思いながら毎日継続するのは正直なところ骨が折れた。
会社に対して連帯保証人になっていたりする経営者の健康は、何よりも大切なのはよくわかっているが。
それであれこれ考え、思い至ったのが、およそウォーキングらしからぬ服装、いつもの自分らしい服装で歩きましょう、と。
汗だくになってもいいように、着古したジャケットや捨てられずにいた高価なコート、色あせたポロシャツなどをクローゼットからどんどん引っ張り出して、とっかえひっかえ着た。
加えて、日焼け防止にと夏はパナマ帽に綿か麻のストール、冬はウールのソフト帽にシルクのマフラーを必須にしてみた。
この日々の着回しが奏功して、結果、今も続いている。
自分のツボはそこだったのか。
この冬はややエスカレートして、エルメネジルド・ゼニアのスーツやジョルジオ・アルマーニのコートまで着ることができた。
ひょっとすると死ぬまでにワードローブすべてを着倒すことができるかも、という希望的観測の度合いが、ほんの少しだけ増している。