エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




これは、今は閉鎖されている旧ブログに載せた記事である。未練がましいとは思うが、われながら気に入っているので、このまま葬り去るのも、いとくちをしと思ひて再掲載す。まあ、ずいぶん長いことブログ書いちょらんというのもあるけんどの。


「速読」というものがある。

テレビでデモンストレーションしているところしか見たことがないのだが、とにかく読むのが速い。文庫本を1ページ1秒くらいのペースで読むのだから、もはや無法というしかない。
たしかに、芸術性も神秘性もいぶし銀のような渋みもないDVDレコーダーのマニュアルなら、それだけ速く読めれば時間の節約になって、たいへんケッコーなことだが、 芸術性も神秘性もいぶし銀のような渋みもある文学作品まで1ページ1秒のペースで読まれたら、作者はたまったものではない。

手許に、ドストエフスキー作『未成年』(新潮文庫)があるが、上下巻あわせると1000ページを超える。上のペースだと速読者たちはこれを約17分間で読んでしまうことになるわけだ。ドストエフスキーはすでに死んでいるが、これを聞いたら、絶望のあまり、もっと死んでしまうかもしれない。
『未成年』は大作だ。半年やそこらで書いたとは思えない。手間をかけて取材もしただろう。編集者と火花をちらす論争をしたかもしれない。執筆に熱中するあまり夫婦生活をなおざりにして、妻から「この役立たず!」と罵られたかもしれないのだ。
そんな思いをして書き上げた労作を、わずか17分間で読んでしまうのは、あまりに無慈悲とは言えまいか。速読者にも人並みに温かい血が流れているのなら、作者の立場に立って、せめて1週間はかけて読んでやってほしいものだ。

お客様に喜んでもらおうと、なかなか手に入らない食材を脚を棒にして集め、何日もコトコト煮込んで作ったカレーを、とっておきの高級皿に盛って出したところ、それを10秒で丸呑みにされてしまったとしたら、作った人はどんな気持ちがするだろう。
構想5年、製作期間3年、しかも自主制作でスポンサーがつかないから、ローンが残っている家を担保にして借りた資金をもとに作った映画のビデオを速送りで観られたら、作者はどんな気持ちがするだろう。かりに1分間観ただけで忍耐の限界に達してしまうような退屈きわまる作品でも、速送りせずに最後まで観るのが礼儀というものではないだろうか。

速読者にはハンディをつけるべきだ。速読者用の本は、文字を極端に小さくして虫眼鏡で読ませる、あるいは、印刷をひどく滲ませて、何と書いてあるのかよく解らなくする。ページの順序をばらばらにして、次のページがどこにあるのか苦労して探させるなどが考えられるが、そういった特別仕様の印刷だとコストがかかるのなら、速読者が本を買うのを妨害する、速読者が買う場合は極度に高額にするといった方法も可能である。

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体はひとつだ。
そして一日は24時間しかない。
しかも平均寿命から逆算すると残された私の寿命が28年(※)ということが分った。なんだ、まだ28年もあるじゃないかと思われるかもしれないが、実質的に仕事ができる年数は、

28÷168cm(身長)×50(年齢)×0.7(好きな数)=5.8

つまり、あと6年足らずしか本格的な仕事はできないのだ。

だから、これまでのように、興にまかせていろんな分野で活動するのはやめて、ひとつの分野に専念しようと思っている。しかし、長らく親しんできた多くのことをやめるのはつらいものだ。

いったい、私は何をやめればいいのだろうか。


(※)日本人男性の平均寿命は78歳(2004年厚生労働省調べ)だから、現在50歳の私は、確実に28年後に死ぬわけだが、男女合わせた「日本人」の平均寿命は、81歳なので、日本人として生きれば、31年後に死ぬことになる。
男として生きるべきか、日本人として生きるべきか、それが問題だ。


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