エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




此のところ忙しく、ブログを書く時間が全然無い。
さう云ふわけで、今回も旧ブログに載せた記事の使ひ廻しである。そんなことをしてまで更新するのは本末転倒の観も在るが、自分で面白いと思へるのなら、再掲載には別に問題ないやうな気もする。再放送、再上映の類ひだと考へることにする。


ブログを始めた頃、友人の矢野から「君のブログには華と云ふものが無い。文字ばかりで、写真も無ければ絵も入つてゐないぢやないか。電話帳だつて絵くらゐは載つてゐるぞ。君は絵描きだらう? 自分の作品を宣伝し給へ」とメエルで意見してもらつた。意見は有難いが、電話帳と比べられてはかなはない。
しかし「広告も入つてゐないなんて、ブログと云ふものが分かつてをらん」と訳知り顔で講釈してゐるのを読んで、少なくとも、この男も分かつてをらんと云ふことは分かつた。
 
成程、イムパクトの有る視覚的要素がもつと入れば、なほ見場が良く成るであらうことは想像に難くないが、悲しいかなイラストレエシオンや写真等を縦横無尽に配すること未だ適はず。出来ないことをしようとするのは自然の理に刃向う様なものだ。したがつて、僕は今の儘が一等好きだ。
 
例へば小説を思ふ。ギョオテやモオパツサンの小説に気の利いたイラストレエシオンが載つているのを見たことが無い。表紙の外は文字ばかりである。然るに、『若きヱルテルの悩み』には華が無いと云ふ意見は聞いたことが無い。
亦うちは浄土真宗で、父の命日には坊主が経を上げに来るが、その経本を覗き込んでみても、絵も写真もイムパクトのある広告も載つていない。珍紛漢紛な文字の列が並んでゐるだけだ。だからと云つて、此の経には華が無い等と云ふのは見当違ひも甚だしい。

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