出演
富樫准次郎/是沢敬/葛葉チエ/園村哲也/津島亮/トニー吉見/長峰鏡子/幸田べん助/和田徳江/濱健太/今根慎司/竹西ひろむ/江戸川ハツ子
解説
私は昨年、リバイバル上映で観た。今でいうインディーズ系の作品で、公開当時はほとんど話題にならなかったらしいが、この作品が近森監督のデビュー作であり遺作(2作目の脚本を執筆中に交通事故死)であるというジャーナリスティックな要素も手伝って、一部の崇拝者たちの間で生き延びてきたようだ。
SFといえばSFかもしれない。
最初のシーンで、宇宙空間を航行している大型宇宙船がいきなりスクリーンに大写しになる。CGなんかない時代だから、こういう撮影では、ピアノ線のような、なるべく目立たない素材で宇宙船の模型を吊るすのが定石だったが、この映画では、錆ついた太い鉄の鎖で吊るされていた。鎖は船首と船尾に何重にも巻きつけてあり、それによって、重力のない宇宙空間で船の重量感を暗示しようという、監督の工夫が見て取れた。
船内のシーン。自動操縦に切り替えてひと休みしようと船長の古賀賢三(富樫准次郎)が操縦室にいるふたりの操縦士(是沢敬、葛葉チエ)を伴って階下へ降りていくと、そこは120畳敷きの大広間になっている。普段着に着替えた4人の乗組員が、新聞を読んだり、腕立て伏せをしたり、魚拓を自慢したり、油絵を描いたり、麻雀をしたりしている。このシーンによって、これが日本の宇宙船であることを暗示しようという、監督の工夫が見て取れた。
船長は三和土でブーツを脱いで畳に上がると、その足で右手に進み、部屋の奥まで立ち並んでいる障子の一枚を開けた。縁側を隔ててその向こうには石燈籠の立っている和風の小さな庭があり、その鑑賞池の縁にいた3匹の野良猫のうちのボス猫(園村哲也)が、池のフナを1尾、口にくわえているところだった。いきなり障子が開いたので、びっくりした猫たちは、殺されんばかりの慌てようで、竹垣をくぐって表に逃げていったが、フナは離さなかった。
長く単調な船内生活をしていた乗組員たちにとって、垣根の外にいる野良猫にときどき餌を投げてやるのが数少ない楽しみのひとつになっていた。しかしそのうち、人間に慣れた猫たちが庭に入ってくるようになり、船長が大切に育てている池のフナを襲うようになったのだ。地球を発ったときには5尾いたものが2尾になっていた。船長は溜め息まじりに言った。
「また、やられたか……」
気まずい空気が大広間を満たした。乗組員はみな、こうなったのは自分たちが野良猫に甘くしたのが原因だとわかっていたからだ。船長が自分たちの気持を慮って、咎めだてをしないことに、つい甘えていたのだ。
そのとき、庭の上に広がる黒い空に、黒い飛行物体が現れたことに誰も気がつかなかった。闇の中のカラス、雪の上の白ウサギ、赤道の出血、これらは人類にとって永遠のテーマである。そして、そのカラスの先端で青い光が仄めいたとき、それに気がついた私(津島亮)は「みんな伏せろ!」と叫んだが、やはり遅かった。船長は眉間を朱に染めて、縁側から砂地の庭にゆっくりと落ちていった。
私は伏せたまま急いで障子を閉め、努めて冷静を装いながら、全員に言った。
「船長が撃たれた。撃ったのは北朝鮮の船(トニー吉見)に違いない。船体に国旗もつけずにいるのがその証拠だ。あの青い光に気づいたか? あれは空対空ミサイルだ。船長はそれにやられたんだ」
船長が庭に落ちたときに、左腕を肘まで池の水のなかに突っ込んだ。2尾の夫婦のフナ(長峰鏡子・幸田べん助)は、突然のことに眼を丸くして、しばらくはヒレをひらひら、エラをぱくぱくさせながら手を眺めていた。
「脅かすぢやない。私、また猫かと思つたわ」
「此れ人間の手だな。誰だらう?」
「莫迦ね。いつも餌をくれる船長さんの手ぢやないの」
「そんなの、何処で判るんだ?」
「結婚指輪のデザインよ」
「お前、良く見てるなあ。矢つ張り女と男は違ふ生き物だ」
しかし、船長の手が少しも動かないことに不安を覚えた雄フナは、手首の動脈に尾ヒレで触れてみた。
「おい、死んでるぞ」
「そんなの、何処で判るの?」
「脈拍が無いからだよ」
「貴方、良く考へ付いたわね。矢つ張り男と女は違ふ生き物だわ」
女性が感覚的で、男性が論理的であるという、世間一般の認識に追従せよというのではない。夫婦は相互補完的であるのが理想だということだ。アンドロギュヌスの神話を知らなくても、人間は本能的にそういう関係に居心地のよさを覚える生き物なのである。
その後フナの夫婦は、こんな落ち着かない池にはいられないと言う雄フナと、落ち着かなくても確実に餌がもらえる、船長は死んでも乗組員たちが養ってくれるからここにいたいと言う雌フナがいさかいになり、結局、雄フナが池を飛び出し、竹垣をくぐって表の通りに出たところで、例のボス猫に食べられる。
雌フナは、じっと耐えていれば、いつか変る、いつか良くなるという希望を持つことができた。ヒトラー(今根慎司)やスターリン(江戸川ハツ子)の時代の強制収容所では、そんな希望を持てる囚人ほど、生きて収容所を出られる率が高かったという事実を知っていた。
今現在あなたがいる所、そこがあなたの本来いるべき所なのだ、と教えられているような気がする幕間狂言であった。
エンドロールの最後に、新約聖書(和田徳江)からの一節が現れて、フィルムは終る。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさいません。むしろ、耐えることができるように、試練とともに、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリント人への手紙 10章13節(竹西ひろむ)より
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