エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 60歳を迎える誕生日までにはまだ10日ほどあるが、60歳になっていないと、今回の内容がすべて作り話になってしまうので、とうに誕生日を過ぎていることにする。


 最近、「還暦」という言葉が鼻につくようになった。年齢を尋ねられて「もう60ですよ」と答えると、決まって「おや還暦ですか」と返されるのはもううんざりだ。生きているのがイヤになる。死んでしまいたい。死んだら火葬にせず、モグラ君や微生物君たちの餌、土壌君たちの養分にしてもらえるように身ぐるみ剥いで土中に埋めてほしい。

 3月といえば還暦のシーズン。還暦ビジネスも書き入れ時。近所の商店街にある還暦ショップが特売をしていた。赤い頭巾とちゃんちゃんこ、それに扇子を束ねて「還暦セット」として、¥150。

 人生で一度(120歳まで生きれば二度)っきりしか使わないのに、強烈な安さに目が眩んで心神耗弱状態に陥り、気がついたら50セットも買っていた。

 誕生日の朝。独り住まいの自宅で頭巾を被って、ちゃんちゃんこを羽織って、扇子を手にして座布団の上に坐ってみた。

 1時間ほどそうしていたが何も起きない。還暦になったら、自動的に祝ってもらえるものと思っていたのだが、いつまでたっても祝ってもらえる様子がない。

 せっかく座布団の上で扇子をもっているので、誰もいない空間に向かって落語など披露したりしながら9時間待ったが、結局なにも起こらなかった。

 失望に続いて憤怒に駆られた私は、頭巾とちゃんちゃんこを引き裂くようにして脱ぐと、便器に叩き込んで水を流した。おかげでトイレが詰まって業者を呼ばなくてはならなくなった。

これが還暦の実態なのだ。


 還暦はどうでもいい。

 時間というのは底意地が悪い。 
 アレもせにゃならんコレもせにゃならん、ああ時間がないと嘆いていると、アレもコレもできないうちに一日を終わらせてしまうくせに、真冬の停留所で、震えながらバスを20分間待つとなると、この腕時計止まってんじゃないのかと腕を振ってしまうほど経つのが遅い。ちなみに、最近の時計はゼンマイ仕掛けじゃないから振っても意味がない。

 しかし、いつの頃からか、炊飯器で飯が炊きあがるのがやけに早く感じるようになっていた。故障したわけではない。食べるとちゃんと炊けている。腹ぺこで炊けるのを待つのは辛いから、時間の経過を速く感じるのは結構なことなのだが、これが炊飯以外のことにも現れてくると、時として脅威となる。

 60を過ぎると、朝日が、動画を見るようにずんずん昇っていくのがわかるほど時間の経過が速く感じられるようになる。しかし、そんな調子で一日が終わり、人生の残り時間もずんずん減っていくのかと思うと、焦りに似た恐れが涌き上ってくる。

 銀行のATMで現金を下ろす時、ディスプレイに残高が表示されるが、私はよそを向いてそれを見ないようにしている。預金が減るのを見るのが怖いからだ。
 それと同じように、時間という、決して増えることのない預金が刻々と自動引き落としされていくのを実感するのは怖いものである。

 残高がゼロになるのが怖いのではい。なんなら今日にでもゼロになってくれればありがたい。まだ手をつけていない確定申告の書類作成も、壊れた冷蔵庫を粗大ごみ置き場まで引きずっていくことも、食べるためにやむなくしている仕事のために早起きをすることも、なにもかも、面倒なことも楽しいことも洗いざらい放擲して、あの世で楽隠居できるのだから。

 怖いと感じるのは、自分はこの歳になるまで何をしていたのだ、という後悔と自責の念が、残高ゼロに近づくに従って苛烈の度を増すからなのである。

 先日、食事中に妻(独身なので妻はいない)にこの話をしてみた。

私「ああ、俺、いままで何しとったんやろ」
妻「またその愚痴かいな。はよ食べてぇな。片付かへんやろ」
私「いろんなもんに手ぇ出しすぎて、結局どれもこれも中途半端や。このまま中途半端な余生送って、中途半端に死ぬんやろか」
妻「中途半端な死に方て、どんなんやねん」

私「まだ胸中にくすぶってる希望の火は消して、《生きるために生きる》に徹するのも悪ないなぁと最近思うようになってきたんや」
妻「もう食べへんねんな? ほな片付けるで」

私「だいたい、生きてるだけでも大変やのに、それを60年も続けるて、ちょっとした偉業とちゃうか? そや、例えばボクシングの世界戦でやな、チャンピオン相手に12ラウンド、一歩も退かんと全力で闘ったら、そんだけで充分に偉業やろ。たとえ負けても悔いは残らんと思うんやけど、どや?」
妻「あんたは一歩も退かんと全力で闘ってきたんかいな。はい、お茶」
私「それ言われると辛いな。もう少しで自己正当化できるとこやったのに……」

妻「人生に満足するためには、《偉業》が必要やねんな? あんたには」
私「お前は満足してんのか?」
妻「してへん。けど、不満もないわ。人生には一本道しかないやん。同時に二本の道は歩かれへん」

私「ほう。君は運命論者なんだね。でなきゃ決定論者?」
妻「好きなように呼べばいいわ。あなたはどうなの?」
私「僕は違う。だからこそ自分を責めてるんじゃないか。変えることができたはずの運命を変える努力をしなかった、ってね」
妻「愚かね。因果律、つまり世界は原因と結果の連鎖から成っているの。だから意志の自由なんてないのよ」

私「……そうか。そない考えといたら、自分を責めんでも済むわけやな」
妻「そやろ。どや?」
私「なんかしんどいわ、この会話」

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