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無名藝人




【おしらせ】

 はてなブログで連載中の『徒労捜査官』更新しました。

 第11話《闇組織の策謀》悪の組織 vs 辻斬り犯

 週2回(火・金)の掲載でスタートしたこの連載ですが、そのペースだと年を越してしまうということを発見したので、週3回(月・水・金)にしました。

 以上。




「音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです。他の作品にはあまり興味を持っておりません」

 これは、水玉模様で毎度みなさまお馴染みのアルティスト、草間彌生が、新聞のインテルヴューで「好きなお食事や音楽は」と聞かれて、ぶっ放したコメントである。

 記事のソース


 私が20代の頃だから、地球~木星の距離ほど遠い昔のこと。
 日本列島の東部、太平洋を臨む地方自治体のひとつに東京という都市があるが、そのなかの狛江市という、電車の駅がふたつしかない、こぢんまりとした市に住んでいた頃、草間彌生が動いているところを実際に見たことがある。

 といっても、狛江市の和泉多摩川商店街で草間彌生が高菜漬けを買っているのを見たというのではなくて、私が狛江に住んでいた頃に、都内の美術館で草間彌生を見たという意味である。

 東京には23の区に分けられた特別区が設けられている。ちなみに大阪市は24区ある。1区勝ちだが、私は堺市の住人だから、そんなことはどうでもいい。

 そのなかに渋谷区という、映画にもなった「忠犬ハチ公」の像が駅前に立っている区がある。で、そこにある松濤美術館に行ったとき、たまたま草間彌生の講演があり、その傲慢とも思える発言に圧倒されたのを憶えている。

 50~60年代。ニューヨークで当時の先鋭的な現代美術家たちがくんずほぐれつしながら制作していたのに混じって彼女が発表した作品が、なかでも先鋭的であったということを主張すべく、吼えた言葉が、

「あたしはジャクソン・ポロックをぶっ飛ばしたのよ」

 である。私もまだ若くて記憶の確かな頃だったから、30年以上も経ったいまでも鮮明に思い出せる。あのジャクソン・ポロックをぶっ飛ばしたとは、そこまで言って委員会と、他人事ながら心配したものだ。

「去るものは日々に鬱陶しい」という諺がある。しかしジャクソン・ポロックの死後、ほぼ60年経つが、いまだに回顧展などが開催されるほどのレジェンダリーな芸術家である。

 すでに国際的名声が確立されている故人をぶっ飛ばすのは勇気がいる。松濤美術館での講演の時点で、すでに死後30年近く経過していたはずのポロックをぶっ飛ばしたと公言して憚らないのだから、この人の自画自賛レベルも手前味噌レベルも並はずれている。

 てなわけで冒頭のコメントであるが、私はこれを読んで、やっぱりアルティストとはそういうものなんだなと、サウイフモノニワタシハナリタイと、というか、そういや僕もそうだなと、斯く再認識したのであった。


 私が俳優モドキをしていた頃、自分が出演した映画やドラマがテレビで放映されると、2秒くらいしか映らないエキストラでも必ず録画し、自分が映っている場面以外はすべてカットしてできた超短編ドラマを繰り返し見て、陶酔していたものであった。

「手ずから焼いた目玉焼きは極上のキャビアに勝る」(F. ウッズワース)

 ……という格言はいま私がでっち上げたものだし、F. ウッズワースなる人物も捏造だが、私が自分が出演している映像に陶酔するのも、草間彌生の「音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです」も結局、手ずから焼いた目玉焼きなのである。考えてみれば実に単純かつ一般的な感情なのだ。

 眉目麗しき他人の餓鬼よりも、不細工でもてめえの血を引いたご子息の方が可愛いというわけだ。そういう人類普遍の自己愛をついたウッズワースの格言はこれからも生き続けるであろう。


 実は私も「他の作品にはあまり興味を持っておりません」の部類に属する人間なのである。
 以前は、これはと思う展覧会があると東京にでも観に行っていたものだが、近年は、近所の美術館にすらめったに足を運ばなくなった。

 もちろん他の作品から学ぶことを疎かにしてきた罰は受けている。それは、審美眼が曇ったまま磨かれずにいまに至ってしまったということだ。

 たまぁーに京都あたりまで美術展を観に行っても、高い交通費使ってわざわざ来るほどでもなかったな、でもまあ気晴らしにはなったしFacebookに投稿するネタくらいにはなるかな程度の収穫で帰ってくる。多くのものを学び損なっているはずだ。

 草間彌生をぶっ飛ばすつもりはないが、彼女の作品を見てもほとんど興味が湧かない。試みは面白いと思うのだが、それが感動を生むまでには到らない。それとも、感動できないのは私の審美眼が曇っているからなのか?

 私は自分の作品を見ている方が好きだ。小説だって、ドストエフスキーよりも、自分の小説の方が興味深く読める。何度読んでも飽きない。よくこんなものが書けるもんだといつも感心する。1度でいいから作者に会ってみたい。どんな人なんだろう。案外、平凡な人だったりして。

 音楽でも、MacのGarageBandで作曲した曲やみずらから演奏したギター曲を何度かYouTubeにアップしてFacebookで共有したりしていたが、いずれも視聴回数が屈辱的なまでに少なかったので、いまでは非公開にしている。

 しかし曲自体は非常に優れているのだ。だから削除はしていない。曲は、いずれ私の真価が認められたときに、ドヤ顔で再公開される日を待っている。


 YouTubeでこんな映像を見つけた。

「草間彌生~わたし大好き~」(2008年)ドキュメンタリー映画(予告編)
< https://www.youtube.com/watch?v=w_pdiVKOXiE >

 このなかで「自分のやったこと全部ステキ」とまで言っているが、アルティストはこうでなきゃいかん。

 だいたい、自分の作品を第三者の視点から冷静に見るなんてアクロバティックなことはできない。それは、目覚めていながら幽体離脱して自分の行動を観察するようなものだからだ。
 
 そんなことをしとったら、アルティストなんかやってられまへんで、正味の話が。自分に対して親バカになれるよって、こんなこと続けられるんや。

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