エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 以下は、2007年、メールマガジンに掲載した記事に加筆したものです。

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 神秘の国、精神世界の胴元としてブイブイいわせていた印度が、いつの間にかIT分野での先進国になっていた。
 なぜ、いまだにカーストのような前近代的な身分制度が存続している精神風土のなかで、IT分野が進展しているのかというと、この国の数学教育が深く関わっているらしいのだが、そんな小難しいことはどうでもいい。

 この際だから、あらいざらい白状するが、私はまだ印度に行ったことがない。何かのついでに、ふらっと立ち寄ったことすらない。
 常に「日本人が旅行したい国」のトップで、毎年、日本から2億人以上の旅行者が訪れる国だが、お金がないのと、どうやって行けばいいのか方法がわからないのと、ぜんぜん印度に興味がないのとで、これまで行けなかったのである。

 手段を選ばなければ、お金は貯めることができる。また、印度人に尋ねれば、印度に行く方法もわかる。
 だから、私の印度行きを妨げていた最大の原因は、印度に興味がないことだった。興味がないことに大枚をはたくわけにはいかないから、印度に行くためには、まず印度に行きたいという気持を発生させなければならないのである。
 動物園で印度クジャクを見たり、印度ゾウを見たり、印度サイを見たり、とにかくいろいろ努力はしたのだが、どうしても行きたくならなかった。
 仕事とは関係なく、純粋に印度が好きで何回も旅行をしたという人の話を聞くたびに、口では、印度ってそんなに魅力的な国なんですねと言いながら、腹の中では、ウソつけこの野郎、ターバンを巻いた蛇使いと、なんだかゾウみたいな顔をした神様しかいないような国に、いったい何を見に行くというのだと、おおいに訝ったものである。
 しかしそんな国が、その高度な技術と卓越した英語力で世界のIT業界を席巻しつつあると聞いて、それまで抱いていた印度に対するイメージとのギャップに困惑しつつも、それがきっかけとなって、積極的に印度リンゴや印度バナナ、印度マグロなどを食べているうちに、印度とはどんな国なのか、この目で確かめてみたいという狂おしいばかりの渇望を抱くようになり、とうとう明日から印度に旅発つことになった。

《印度はどこにあるのか》

 実は、知り合いの外国人のなかに印度人がいないので、印度がどこにあるのか知る術がない。風説では、台湾を右に曲がって突き当たりを左に折れて20分ほど歩くとィリピンのセブ島があるから、そこから三つ目の交差点を右に入るとすぐにミャンマーがあって、その4階が印度らしい。
 しかし私は、印度は地球の中心部にあると考えている。地球の表層として地殻があり、その下がマントルで、さらにその下にいわゆる核があるが、この部分が印度なのではないのか。つまり印度は球体なのである。いわば地球内地球だ。大福餅の中心にもうひとつ小さな大福餅があるようなもの、と言えば分っていただけるであろうか。

 そもそも、こう考えるようになったのは、旅行代理店の入り口に並べてあった「悠久の印度七日間の旅」というパンフレットに載っているタジ・マハルの写真を見た時からだ。あんな素晴らしい建造物は地球の中心でしか作ることができないはずだ。タジ・マハルを地上に作れと言われたら、私は断る。
 また外交において、印度が非同盟主義を貫き、全方位外交を展開できるのは、国土が地球の中心にあることで、各国と等距離の位置にいられるからなのだ。



 いや待て。もし印度が地球の中心なんかにあったら飛行機はどうやって地上と印度を行き来するのだ。大空を鳥のように飛んでこその飛行機ではないのか。地中にもぐったら、それはもはや飛行機ではない。翼の生えたモグラである。サンダーバード2号に搭載してあるジェットモグラと同じ類いの道具になろうというのか。人びとの夢を乗せて空を駈ける飛行機が、世界征服の野望に狂った悪魔の組織、《国際救助隊》の手先になっていいはずがない。
 また、飛行機のパイロットの誇りはどうなるのだ。小学生の息子はパイロットである父がフライトに出かけるのを見て、学校で「ぼくのお父さんは世界の空を飛びまわって、いろんな国にいく仕事をしています。ぼくはそんなお父さんが、とってもすごいと思います」と作文に書くだろう。
 ところが、その父が「正彦、赦しておくれ。本当はな、お父さんは空を飛びまわってなんかいやしないんだ。真っ暗な地の底をモグラのように這いまわっているんだよ、何時間も何時間も…ただ真っ暗な闇のなかを…」などと泣きながら言ったら、正彦はいったいどんな気持になるだろう。
 そんな子供の夢を壊すようなことは認められない。そういった人道的観点から考えると、印度は北陸地方、おそらく富山県の滑川(なめりかわ)市あたりにあるはずなのだ。というのは、ここの特産品のひとつに「なめりかん」というアップルジャムがあるからだ。
 日本国内だからパスポートが要らないし、また、必ずしも飛行機を使わなくても行けるから、正彦の夢を砕くこともない。しかも「なめりかん」まである。八方丸く収まるとはこのことだ。よかったよかった。

 そんなわけで滑川のみなさん、近くに必ず印度があるはずです。「なめりかん」を凌ぐ名産品になることは間違いありません。私は明日は法事があるので行けませんが、なんとしても印度を見つけてください。

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 野球のことが書きたいわけではない。この記事を書き始めた時は、たまたま日本シリーズが終わって間もない頃だったから、私の意見を述べるためのモチーフとして採用しただけである。ちなみに地デジ移行以来、うちのテレビは映らないので、ずっとラジオ観戦だった。

 すでにご存知の通り、今季のプロ野球日本シリーズは、北海道日本ハムファイターズが読売に7連勝して覇者となった。7戦すべてで読売に1得点も許さない完封勝利。ホームラン84本という空前の圧勝。なかでも143奪三振をあげた投手陣の活躍は目覚ましく、ボールが外野に飛んでこないので、外野手たちはヌイグルミ姿で餅つきをして、丸めた餅を客席に投げ込んでファンサービスをしていたほどだ。

 断っておくが、私は北海道日本ハムファイターズのファンというわけではない。強いて言うなら、読売と対戦するすべてのチームのファンである。もし、コンサドーレ札幌が読売と異種球技戦をすると聞けば、私は突如としてコンサドーレのファンになるだろう。ミルコ・クロコップと異種格闘球技戦をすると聞けば、たちまちミルコの熱狂的ファンになるだろう。浅田真央と異種……もうやめておこう。



 今回のコラムのタイトル「ネガティヴ観戦」は私の造語である。スポーツの試合で、ひいきのチームや選手が勝つのを期待して観戦するのではなく、嫌いなチームが負けるのを期待して観戦することだ。

 あれはソウルオリンピックだったから、もう24年も前のことで、テレビで見たのか新聞で読んだのかも思い出せないが、試合会場にいた韓国人男性が、韓国が出場していないのになぜ観に来たのかとインタビューされて、「日本が負けるところを観に来た」と答えていたのを覚えている。そういえば、相手国がどこであれ日本人選手が姿を見せるとよくブーイングが起きていたのを思い出す。政治や歴史がからんだネガティヴ観戦の好例である。

 10月の日韓合同の世論調査で、「日本と中国がサッカーで対戦したら、どちらを応援するか?」と韓国で質問したところ、中国を応援が56%。日本を応援が15%。日本で「韓国と中国がサッカーで対戦したら?」では韓国が60%。中国が11%。だったとのことだ。

レコードチャイナ
調査結果のグラフ

 面白いのは、どちらの国でも1/4以上(29%)が「分からない・無回答」と答えていることだった。多分この内訳には、「こんなもん、どっちを応援せえちゅうねん!」という困惑がかなり含まれているのだろう。日本人の場合、「韓国大統領の竹島上陸および天皇への侮辱的発言」と「尖閣をめぐる反日暴動」では、どちらがましかと問われているような気がするのかもしれない。
 しかし、実際に韓国と中国がサッカーで対戦して、まあ、どっちもどっちだけど強いて言えば中国の方が嫌いかな、という人の希望通り中国が負けたとして、その人は果たして素直に喜べるだろうか。勝った韓国の選手同士が抱き合って喜んでいるのを見て、応援してよかったと思えるだろうか。何か空しさばかりが漂う。



 日本シリーズに話を戻す。北海道日本ハムファイターズが優勝に王手をかけていた試合の9回裏で、読売のバッターが三振してシリーズ敗退が決まった瞬間私は、よっしゃ! と叫んだ。その声は独り暮らしの侘び住まいに響き渡ったが、残響が遠のいていくのに伴って、私の狂熱も急速に冷めていった。溜飲が下がる思い、というのでもない。

 読売が日本シリーズに出場するたびに、対戦するチームがどこであれ、私は同じことを繰り返してきた。そしてシリーズが終わると必ず自らに問うことがあった。

「あなたは読売が負けることで何を得ようとしていらしたの? イワン・ニコラエヴィチ。読売の選手たちがうなだれ、呆然としてベンチを去ってゆく姿がご覧になりたかったのかしら。もしそうなら、あなたはなんという意地悪な方なのでしょう。それとも読売が優勝して、満面の笑顔で「ウラー!(万歳!)」と叫ぶのをお聞きになりたくなかったの? いずれにしてもあなたは意地悪な方ですわ、イワン・ニコラエヴィチ!」

「ああ、あなたの仰る通りです、イリーナ・ミハイロヴナ! 私はなんて罪深い人間なのでしょう。あなたは何もかもお見通しです。どうかその美しい手に接吻させてください、後生です!」

「またそんなことを仰って話を終わらせようとなさるのね。そうはまいりませんことよ、イワン・ニコラエヴィチ。よくお考えになってくださいまし。ごひいきでもないチームがお嫌いなチームに勝ったのだから、あなたにとってこの試合は祝福される者のいない闘い、敢えて言うなら、敗者しかいない闘いだったのじゃありませんか?」

「なんと巧みな表現を! 私のように豚から生まれた男にはとうてい思いつきませんよ、イリーナ・ミハイロヴナ!」

「自分の子供を殺した罪人の死を心から願っていた両親が、法廷で死刑を勝ち取った瞬間、ほっとしたものの、犯人が処刑されたからといって子供が帰ってくるわけではない、と寂しく答えるのをニュースなどで見たりすることがおありになるでしょう? イワン・ニコラエヴィチ」

「つまり、読売が負けたのもそれと同じだと。その両親の空しさと、いま私の胸の中で広がっている空しさとの間には通じるものがあると。こう仰るのですね、イリーナ・ミハイロヴナ!」

「おわかりになりましたか。やっぱり賢明な方でらしたのね、イワン・ニコラエヴィチ・マカーロフ!」

このように、今季はロシア風に自問自答したが、来季の日本シリーズ終了後はアフロ風にやってみようと思っている。


 ……無粋になるので断っておくべきかどうか迷ったのだが、事実としては、今年の日本シリーズは東京読売ジャイアンツが優勝した。巨人ファンのみなさま、おめでとうございます。

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