エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 私は海鼠紅一也(なまこべに・かずや)と申します。今回の記事は永吉さんに代って私が書かせていただくことになりました。よろしくお願いします。

 さて、ことの次第ですが、永吉さんのお友達が経営する「ゾガヴェグズ」というパブが大阪市の谷町にあって、私はそこの客でした。元気だった頃の永吉さんは毎日のように店に通っては鯨飲していたようなのですが、病を得てからは、月に一度か二度顔を出す程度になり、私と親交をもつようになった時分には、ほとんど飲めなくなっていました。

 永吉さんがゾガヴェグズに現れなくなってから三か月ほどしたあるとき、私がカウンター席でひとりで飲んでいると、背後でジャリジャリという音が聞こえてきました。この店の床には玉砂利が敷きつめてあって、それを踏む音で、客が来たことを知らせる工夫になっていたので、私はとくに気にしなかったのですが、アルバイトの女の子の「何してはるんですか?」という声で振り向くと、永吉さんが玉砂利のうえを這いながら店の中に入ってくるところだったのです。
 永吉さんが、私を見据えたままオオトカゲのように這い寄って来るので、気味が悪くなって立ち上がろうとすると、彼は話がある、と言いました。
「ひとつ頼みたいことがあってなあ、聴いてくれへんか?」
「そら、聴きますけど……家からずっとここまで這って来はったんですか?」
「そや。わしは世捨て人になろうと思てるんや。人の行き来するところに出て行くときは、なるべく目立たんようにせんならん」
「普通に歩くより、よっぽど目立つと思いますけど……まあ、ともかく起きてくださいな。話しにくうてしゃあない」



 自分には子供がいないから、自分が存在した証を残すことができない、それに何の功績も上げていなので、死んだらたちまち忘れられてしまうのが寂しい、遺伝子も功績も後世に伝えられないのなら、せめて名前だけでも残したい、そんなわけで海鼠紅くんに「永吉克之」を襲名してほしい……それが永吉さんの言いたかったことなのです。

「襲名すると何かせんならんのですか? 戸籍とかどないなるんです?」
「いやいや、改名するんとちゃうねん。十二代目市川団十郎かて、堀越夏雄っちゅう本名があるやろが。ゆうたら、芸名を継ぐみたいなもんやな」
「ほんなら日常生活では、本名の海鼠紅一也でええっちゅうことですか?」
「もちろんやがな。いっこも難しいことあらへん」
 そんなわけで、私は二代目永吉克之となることを承諾し、先代の永吉さんは、後で連絡すると言って、また地面を這いながら帰っていっていったのでした。



 その後、先代はまったく、ゾガヴェグズに顔を見せなくなりました。後で連絡するなんて言っておいて電話一本よこしません。こちらから連絡をしようにも、隠れ家だからという理由で、二代目の私にすら居場所も電話番号も教えてくれません。メールアドレスは知っているのですが、家の住所とメールアドレスは磁石のN極同士どうしのように反発しあって、爆発する危険性があるから決して送ってはならない、と訳のわからないことを言うのです。
 とはいえ、日常生活では、二代目の名前を使うと混乱を来すので、ずっと海鼠紅一也で通していました。それに芸能人じゃないから襲名披露をすることもないので、名前を継いだ後も、それ以前と何ら変わりのない生活をしていましたが、あまりに何も変らないので却って不安になりました。

 家族四人で夕食のテーブルを囲んでいるときでした。小学生の子供がふたりいるのですが、兄弟が口をそろえて噛みついてきたのです。
「おとうちゃん、永吉とかいうおっさんの名前を継いだて言うてたけど、永吉みたいな変な前になんの、ボクいややで」
「そや、いじめられるからボクもいやや! おとうちゃんきらいや、わー!」
「泣かんでもええがな。お前らは関係ないねん。海鼠紅害吉、海鼠紅狂仁のままでええねん。心配すな。おとうちゃんかて、普通の生活では本名のままや」
「へぇえ。ほんなら二代目永吉克之はどこで使うん? 普通の生活やないとこてどこのこと?」
 誰に似たのか、長男の小賢しい口振りを、さすがはわたしの子だと言わんばかりの惚れ惚れした眼つきで眺めていた妻が口をはさんできました。
「ほんまそうやわ。日常生活以外の生活て、どこにあんの。なあ」
 私は返答に窮したまま、無言で食べ終わると。さっさと食卓を離れました。背後で、長男がケケケ笑う声が聞こえました。



 二代目の名前を使う機会がないまま一年が過ぎたころ、先代から通天閣の写真が載った絵ハガキが届きました。隠遁者が通天閣に行くはずがないから、たまたま家にあった絵ハガキを使ったにちがいありません。宛名は本名の海鼠紅一也になっていました。でないと届かないからでしょう。それと、差出人は名前だけで、相変わらず住所は伏せてありました。

「引き継いだ名前をどこで使えばいいか分らなくて困っているのではないかと思います。私のブログに記事を一本書かせてあげますから、そこで名前を使ってください」

 内容はそれだけで、何をどう書けばいいのか説明がないのです。まったく不親切な人だなーとブツブツ言いながら、検索して、先代のブログを見つけ出し、それを参考に手探りで書いたのが、今回の記事です。なんとか先代の名を貶めないようなものにしようと工夫しましたが、結局、ここに到るまでの経緯を書いただけになってしまいました。どうかご容赦くださいますよう、読者の皆様にお願いします。〈二代目 永吉克之〉



 ところで、今回の記事は本日4月22日(木曜)に投稿されました。したがってそれ以降の出来事はすべて未来形でお話しなければなりません。

 投稿した翌々日、先代からまた絵ハガキが届きます。今度は、道頓堀の夜景が載っていますが、写真の側にまで殴り書きしてあって、ひどく興奮しているのがひと目で分るでしょう。そこにはこんなことが書いてあるはずです。

「海鼠紅おまえに書かせても下らんもんしかできんのは分ってたけどせっかく二代目の名前を使うチャンスをくれてやったのにその名前に泥を塗るような真似しやがってどーゆつもりじゃこの恩知らずが飼い犬に手を噛まれるとはこのことでおいぜんぶめちゃくちゃになってしもたからでそれは曇りのいゆだだてそそかえらひらだふ……(以下、解読不能でしょう)」

 その便りを読んだ私は、はたして自分がまだ二代目と認められているだろうかと気になるでしょう。ブログの方はその後も、先代が隠遁者でありながら投稿し続けているでしょう。そして、先代のイメージをすっかり傷つけてしまってたことで、まったく申し訳のないことをしたものだと、私は慚愧の念に苛まれていることでしょう。
 ところがしばらくして、実は先代が、1年余り前、最後にゾガヴェグズで私と会った次の日に、自宅で脳卒中で倒れ、発見されたときにはすでに白骨化していたことを知って驚くと同時に、それではいったい誰がブログを投稿したり、私を罵ったりしていたのかという謎が生まれるでしょう。しかも、依然として先代のブログには、記事が投稿され続けているでしょう。
 誰がどうやって投稿しているのか、さまざまな憶測が飛び交うなか、先代がペットとして飼っていた九官鳥が記事を書いているという噂が広まり、九官鳥は二代目永吉克之と呼ばれ、全国に知れ渡るでしょう。しかし本来の二代目である私が書いているのではないかなどとは誰も思わないでしょう。私は何のために二代目を継がされたのか、さっぱり分らなくなるでしょう。

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 熟(つくづく)思うのだが、私は医者との出合いには本当に恵まれなかった。スカばかりが当たった。よくこれまで生きて来れたものだと思う。

 もう20年以上も前のことになる。ある日、両眼に圧迫されるような痛みを感じたので、眼科に行った。眼底検査までしたのだが、担当した若い医師は、原因がわからないと言う。ただ、ベテランらしい看護婦が「これ風疹じゃないかしら」と、独り言のような、医者に助言するような、曖昧なスタンスで言ったのを憶えている。
 帰宅してからしばらくは、訳のわからない薬を飲んで寝ていたのだが、そのうち高熱を発するようになり、これは看護婦の言った通り風疹なんじゃないかと、内科で診てもらったら、そうです、これはあーた正真正銘、風疹ですよ、と断言された。目の痛みもその影響だったらしい。若い眼科医よりも、ベテランの看護婦の見立ての方が正しかったわけだ。

 また、これもずいぶん前の話だが、首の付け根から後頭部にかけて執拗な痛みがなくならないので不安になって、とりあえず外科で診てもらった。レントゲン写真をみながら、中年の医者が「ここに少し骨がつき出てるでしょ。多分これが刺激してるんでしょうね」と言う。そこで首筋に電気を流す治療をして、また訳のわからない薬をもらって、その後も何度か医者へ感電しに通ったが、一向に痛みが和らぐ様子がなかった。
 たまたま、知人にそのことを話すと、それただの「凝り」ちゃうんかいなと、マッサージ師を紹介されて揉んでもらったら、二日後には痛みが完全に消えた。最高学府で専門教育を受けた、国家資格を持った外科医より、近所のおばちゃんの見立ての方が正しかったわけだ。

 もっとひどい話もある。小学校の時、かかとの骨の軽度の炎症を骨髄炎と誤診されて、しばらく松葉杖の生活を強いられた……が、もうその話はいい。遠い昔のことだ。その間はタクシーで登下校をしなければならなかった……が、もうそれはいい。名古屋市北区の総合病院だった……が、もういい。

 おいおい、ミネソタじゅう歩いたってこんな馬鹿げた話は聞けねえぜ、ドク、あんた、そうは思わねえかい的な誤診ばかりで、殆(ほとほと)呆れるが、今になってみれば、要するに「ハズレ」を引いてしまった私の不運だったのだと考えることができる。つまり、自分の身に起きた災難を、すべて「当たり外れ」の問題にすり替えるのだ。困難と真っ正面から闘えない弱者には、この対処法が有効であると、私は自信を持って言うことができる。



「当たり外れ」がつきものの商品がある。楽器や衣服、自動車など。小説や映画なんかもそういう言い方ができるだろう。しかし野菜類や魚介類、ペットのような「生モノ」は特にその傾向にある。いかに霊長類の長、人間といえども、しかもその中でも選りすぐりのインテリげんちゃん、お医者様といえども、生モノなのだから、楽器よりもハズレが多いのは当然。

 結婚生活の破綻は、運悪くハズレの相手を選んでしまったことが原因だ。また、共同経営を持ちかけてきた相手の大風呂敷に虎の子をつぎ込んだ結果、失敗して文無しになったとすれば、それは運悪くハズレのビジネスパートナーを選んでしまったからだ。
 夜中に路上で酔っ払いに殴られたとすれば、それはハズレの通行人と遭遇してしまったからだが、ハズレの道を歩いたからだとも考えられるし、ハズレの時間にそこにいたからだとも考えられる。
 会社の昼休みに、近くの公園内の、海が見渡せる眺めのいいベンチで昼食を食べようと思って行ったら、そのベンチがすでに熱々のカップルに占領されていたとすると、それはハズレのカップルのいるハズレの公園を選んでしまったからだ。アタリのカップルなら、抑(そもそも)誰かの昼食時に、公園にいるなどあり得ない。



「くそ、このハズレが!」と私は叫んでオレの右の頬を私の右手で、力いっぱいぶん殴った。というのは、オレがまた、終電がなくなるまで飲み屋にいて、大金を使ってタクシーで帰ってきたからだ。しかも、私の気に入っていた傘をオレが店に忘れてきたとあっては、私ももうオレに甘い顔を見せるわけにはいかないのだ。
 しかし、私がうっかりして、オレが眼鏡をかけたまま殴ったので、眼鏡の蔓に拳が当たって、蔓がひん曲がってしまった。ほらほらまたカネの要ることしやがって。私は当分、酒抜きだ。眼鏡を買い替えるカネが貯まるまで酒抜きだ。オレもしばらくは、この歪んだ眼鏡をかけてなくちゃならなくなっちまった。
 タクシーや傘や眼鏡だけの問題じゃない。私の生活と人格を破綻させたのは、僕の責任だ。私が僕というハズレ引いてしまったせいだ。僕があのとき多美代と結婚していたら教師を辞めることもなかっただろうから、今頃は、松山中学で教頭くらいにはなって、髭のひとつも生やしていたかもしれない。
 吾輩ハ僕デアル。名前は私だ。倩(つらつら)思ふに、此れは仕方の無いことなのだ。吾輩のやうなハヅレを引いた小生が不運だつたとしか云ひやうが無いのである。哀れ也、吾輩の人生は、小生と云ふハヅレを引いた時より凋落の道を辿り始めたのである。
 うん、そういえば、僕の髪の毛はクセがあって、ちょっとカールしてるんだ。だから髪が伸びると、普通の人なら重力に従って下方向に長くなるんだけど、私の場合、水平方向に膨張するような形態をとるので、昔のドイツ軍の鉄兜のようになる。頭髪もハズレだった。
 ああ、だからだから。実の母親から莫大な金額のお小遣いをもらったことすら憶えていることができないようなハズレの政治家を選んでしまったのは、日本人の、政治家を見る眼がハズレだったからだ。ここはひとつ、クジ運がなかったものとすっぱり諦めて、日本が崩壊するのを眺めているとしよう。この世界はハズレだった。来世に希望を託そう。厭離穢土欣求浄土。(合掌)

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