エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 今回のコラムが、2010年の私の地球最期のコラムになる。顧みるに、私はこの2年近く、「日刊デジタルクリエイターズ」というメルマガに「私症説」という看板を掲げて、なんとか先駆的な文芸の地平を切り開けぬものかと、さまざまな人体実験を行なってきたが、何ひとつ成功せず、読者を失う一方だった。キンゼイ報告によると、私のコラムの読者の、人口比における数はASEAN加盟国のなかでは最低らしい。
 先駆者の苦悩については、多くの先達がその実例を示してくれている。それでもリンゴは落ちると主張したアイザック・ニュートンは異端審問で有罪とされて宮刑に処せられて宦官に身を落として憤死したために、長い間、エゲレスには引力がなく、国民はみなふわふわと浮遊していた。
 国民がふわふわとしていなければ、産業革命は、あと1世紀早く始まっていただろうと言われているが、所詮、対岸の火事だ。現在わが国は、横暴な隣国の〈寸を許せば尺を望む〉外交への断々乎たる対抗措置として、平身低頭の揉み手外交に忙殺されているので、エゲレスの引力の心配なんぞをしている余裕はない。我が国の引力さえ動作確認できればそれでいい。
 引力とは物質と物質とが引っぱり合う力だから、人間同士も実は引っぱり合っているのだ。人間は天体よりも質量が小さいから、政府が柳腰にひっぱり回されている事実を、万有引力を論拠にして批判するのは難しい。むしろ、現在の日本が、唐という赤色巨星国家の重力(重力と引力はちがうけど、とりあえずどっちでもええやん)によって変形し始めているということに、官民挙げて右往左往するべき時に来ているのである。老いも若きも、金持ちも貧乏人も、領主も農奴も、1億3千万の大衆力をもって右往左往すれば、瞬時にして解決する問題なのだが、民衆の相互不信から、誰も率先して右往左往しようとしない。無論、私もそのひとりである。



 今でこそ、月に一度の連載になっているが、かつて私のコラムは、毎週、掲載されていたのだ。毎週である。毎週。シューマイではない。毎週。シューマイ=551という公式が大阪人の意識下に刷り込まれているが、私は家の近くの満喜楼のシューマイが好きだ。その店は台湾人がやっているので、唐人よりはまだ尖閣問題について話がしやすいが、比較的親日的な台湾とはいえ、領土問題はデリケートなので、私は北方領土問題を話題にする。
 台湾人がやっている中華料理の店なら、いくらメドベージェフの悪口を言っても、国家反逆罪でシベリアの強制収容所に送られて、飢えと寒さと病気と重労働で命を落とす可能性はあまりない。だから、無法にもわが国固有の領土に靴も脱がずに上がり込んだメドベージェフのことを、紹興酒で酔っぱらった勢いで、雌犬の息子!母親とやる奴!とさんざん罵ってやったが、店の人が誰も聴いておらず、皿を洗ったり床に水を流してモップでこすったりしていたので、すぐにやめた。
 台湾は関係ないとはいえ、満喜楼の店員にとって極東地域の領土問題は高度にデリケートな問題だったのだろう。そう判断して、インドとパキスタンが争っているカシミール地方の帰属問題について、私の主張をぶっ放してやろうと、まず紹興酒をコップいっぱいのどに流し込んで、ところでね、と指をいっぽん立てたのだが、その後が続かなかった。カシミール地方がどのへんにあるのか知らなかったからだ。
 そこで、その日の売り上げを計算している店員(多分、店主の妻だろう)に、カシミール地方ってどこらへんでしたっけね、と訊いたら、スミマセン、オミセモウシメマスと追い出されてしまったので、カシミール地方は捨てた。なぜヒロシマ・ナガサキの悲劇を体験した日本人が、核保有国の印パの心配をしてやらなければならんのだ。馬鹿馬鹿しい。



 冒頭で述べた話に戻ろう。美人時計は、現在では、鹿児島から北海道、はてはホングコングにまでバージョンを広げている。時刻を書いたボードを持った美人がいつもデスクトップで微笑みかけてくれているおかげで、池上彰のSPを見逃すこともなくなった。その結果、「検察官」と「検事」はどういう場合に使い分けるかを知ることができて、この知識の受け売りをしようと、その機会を虎視眈々と狙っているのだが、検察庁を肴にして一杯飲もうという人材が不足しているのが現状である。
 しかし、美人時計は1分ごとに画像が変るので、60分×24時間=1440枚全部を見ようとしたら24時間起きていなければならないのである。残り少ない命を削ってまで見続ける価値が美人時計にあるかどうか、そのあたりを見極めるのが私に残された最後のミッションかもしれない。



 平成生まれの読者は知らないかもしれないが、私はかつて「日刊デジタルクリエイターズ」で、「笑わない酒場」だったか「洗わない魚」だったか忘れたが、とにかくそんなタイトルでコラムを寄稿していたような記憶がある。たしか、二百数十本書いたような気がする。
 で、現在は、そのペンキがはげて下のトタンが露出していた看板の上から「私症説」というタイトルを塗り重ねたものを看板に掲げているが、塗り重ねたペンキの被覆力が足りなかったせいか、下の字がところどころ透けて見える。見たところ〈笑私わな症い説魚〉とも読める。これは間近で見ても判らない。最低、10間(約18メートル)ほど距離をおいて見ないと判らない。
 しかし、私はこれを進化と考えている。進化はかならず進化以前の影を持っている。尻尾のいらないはずのヒトが尾てい骨という痕跡器官をいまだにもっている。このことと、看板の上塗りは、まったく同じコンセプトに基づくものだ。私は進化しているのだ。一見、退化に見えるかもしれないが、新しく生まれ変わっているのだ。この法則は〈退化の改新〉と呼ばれる。これは事実である。お疑いならgoogleで検索してごらんになるがよかろう。4,490件しかヒットしない。
 魚類が陸(おか)に上がって両生類となり、爬虫類が生まれ、鳥類の祖先となり、哺乳類のなかから現在のヒトが登場したわけだが、進化して新しい形質を得ながら、なお退化しようなんて奇特な人はいるまい。せっかく霊長類の長となりながら、今になって既得権を棄て、海棲動物に戻ろうと、玄界灘の荒波に抗ってじゃぶじゃぶと海に還ってゆくヒトがいるだろうか。私は貝になりたい。

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