エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 私の書くものは、どうやらエッセイに分類されるらしい。たしかに、拙著『怒りのブドウ球菌』に収められている2001年から2005年にかけて発表したテキストの多くは、エッセイと呼んでも差し支えはなさそうだが、ここ数年の私のコラムのほとんどはエッセイに分類するにはかなり無理がある。ホタルイカを野菜に分類するより無理があるような気がする。

 エッセイ(随筆)というのは傾向として、経験したこと見聞きしたことに対する感想や意見を書くもので、基本的には事実を土台にしているわけだから、その段階で私の書くものはすでにエッセイとは呼べない。実際にあるものや起こったことが書くきっかけになっていても、それから先は虚偽、捏造、欺瞞、改竄の巷だからだ。
 それに、本来の意味からすればコラムですらない。国語辞典によると「コラム」とは、「古代ギリシャ・ローマの建築物に見られる石の円柱」とある。しかし、私の文章は円柱ではなく、円錐なのである。
 参考までに、私と同じく円錐の文章を身上にする作家といえば、日本では国木田独歩、京極夏彦、鴨長明など。海外では、ダンテ、ホメーロス、ゴルバチョフなどがいる。



 しかしある時、「戯文」という言葉を書中で目にして、そうか、それがあったのだ! と膝を打つかわりに、壁に頭突きをして失神した。私の額に天下御免の向こう傷があるのはその時の名残である。

 辞書によると「戯文」とは、

 たわむれに書いた文章。また、こっけいな味わいの文章

……とある。

 事実私は、読者様に笑っていただけそうなことを戯れに書いている。文字通り戯文。てことは私は戯文作家。自分の文章に最もふさわしいカテゴリーが見つかった。まるで幼い時に死別した両親の日記が見つかって、自分の出自が明らかになった畳職人ような感動が、膵臓のなかを駆け巡った。
 これを、バイト先の大学生、杉山公昭くんに話した。
「ほほぅ、戯文ですか。いやぁ仰る通りですな。永吉さんの文章の特徴を表すうえで、これほど的を射た呼称は見当たりませんよ。万壁の旗論も之を恃まず、とはこのことです。わーはははは」
「杉山くんもそう思てくれるん?」
「わーはははは」
「なんかようわからんけど、生きる気力が湧いてきたわ。ありがとうな」
「わーはははは」
「ちなみに、万壁の旗論も之を恃まず、ってどういう意味?」
「わーはははは」



 戯れに書く文章なのだからルールはない。テーマもコンセプトも一貫性も要らない。時制も人称も人権も無視していい。矛盾も事実誤認も意に介さず、莫迦のように自由に書けばいいのである。
 あまりに自由なので、8月はマニラに旅行しようと一世一代の決心をしたが、その金がなかった。そこで私はマニラの代わりに堺市民プールで記録的猛暑をぶっとばそうとしたが、どこにしまったのか、ゴーグルが見つからない。そんなわけで、家のなかで汗にまみれてパンツ一枚でじっとしていた。

 働かざるものエアコンで涼むべからず

 私はこの自家製の格言を座右の銘にしているので、大阪が最高気温64℃を記録した日も、団扇だけで凌ごうとしたら全身火傷で人事不省に陥った。ところが幸か不幸か、大阪湾に潜行中の潜水艦から潜望鏡で府内を監視していた救急救命医に見つかって、病院に搬送された。

 病室のベッドに寝ている時、救命医をしている祇園の舞妓、小菊にたしなめられた。
「お若うないんどすから、ムチャはせんといとくれやす。発見があと4秒遅れてたら確実に死んではりましたえ。マジだぜ」
「小菊。お前なんでわしを放っといてくれんかったんや? わしは死にたいんや。空調もない蒸し風呂みたいな倉庫で、口をきくのも億劫になるほどくたくたになるまで働いて、1日6300円。交通費を差し引いたら5400円。仕事が終わって某スポーツドリンクで喉を潤すことだけが楽しみという味気ない生活や。こんなんを60過ぎてもやってるんやろか、と思たら絶望的にもなるわな」
 小菊は、がははと笑うと私の肩をバキっと叩いて言った。
「阿倍野ミックスどす!」
 私は小菊に勧められるままに、病院の帰りがけ、大阪市阿倍野区にある、ミシュランガイドで3ツ星の評価を受けているお好み焼き屋に寄って《阿倍野ミックス》というやつを食べてみたが、どうということもない普通のお好み焼きだった。
 ずいぶんいい加減な救命医&舞妓もいたもんだ、とぶつぶつ言いながら自宅に戻ると、登録している派遣会社から給与明細の入った封筒が届いていた。開封するのももどかしく、封筒を八つ裂きにしたら、なぜか給与明細まで八つ裂きになっていたが、つなぎ合わせてみると、時給が終値で902円台をつけているのがわかった。

「これやったんか。すまんのう、小菊!」

 やっとアベノミクスが庶民の暮らしにも恩寵をもたらし始めた。時給はこれから天井知らずの高騰を見せるだろう。しばし底なし沼のような深い安堵にひたっていると、ふと食い逃げがしてみたくなった。

《食い逃げ》それは現代の男のエレガンス
"Kuinige". C'est l'elegance de l'homme moderne.
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 電話で知人に相談すると、どうせ食い逃げをするのなら、コースが何万円もするような高級料理店にするべきである、と言われたが、そんな高額な料理を食い逃げするなんて厚かましいことはできないので、ミシュランガイドでマイナス3ツ星を受けている、南河内郡太子町にあるタコ焼き屋を襲撃することにした。

 そこは、店頭販売を主にしたタコ焼き屋だった。だから食い逃げをしようとするなら、店の奥にひとつだけ置いてある小さなテーブルで食べるしかなかったので、その前に置いてあった、椅子がわりのビールケースに腰かけた。
 その日は平日で、店内にも店頭にも客がおらず、絶好の食い逃げ日和だった。
 店は、いかにも後期高齢者然とした老女がひとりで切り盛りしていた。私がタコ焼きを一舟注文すると、人の良さそうな笑顔で、へえへえ、と言いながら奥の間から出てきて、エプロンを腰にまくと、ほんまに暑いでんな、と言いながら冷えた麦茶を出してくれた。そして、私に背を向けて焼き始めた。
 私は、老女の曲がった背中と、震える手に持った千枚通しでタコ焼きをひっくり返す危なっかしい姿を見ながら待っていた。そして、大きさがマチマチで、割れて中身がはみ出したタコ焼きがのった皿がテーブルに置かれるのを見たときは、胸がつぶれる思いだった。

 ゆっくり味わう余裕もないまま食べ終わってから、老女に言った。
「あのぅ、そこの角で、友達と待ち合わせしとるんで、ちょっと行って呼んできますわ……そや、いま食べた分とりあえず払っときましょか?」
「いえいえ、お友達が来はってからでけっこうです」
老女は、私の言葉を疑う様子もなく、あどけなく笑って言った。

 私はそのまま、近鉄南大阪線の「上ノ太子駅」に向かって逃げた。あまりに呆気なかった。
「食い逃げのどこが、男のエレガンスやねん!」
 私は通行人の眼もはばからず、子供のように大声で泣きながら逃げた。

 上ノ太子駅北側駅舎
 
 慌てるあまり、切符も買わずにこの駅の自動改札を通ろうとして、駅員に捕縛された。てっきり食い逃げが発覚したのかと思った。


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