エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




きのう、南海高野線の中百舌鳥駅で豪商を見た。
やはり豪商は、どこへ行っても周囲には人だかりができる。私も、みっともないと思いながら、皆に混じって豪商を眺めていた。
まあ、囲んで眺めているだけなら罪はないと思うのだが、中にはカネをせびるタチの悪い奴らもいる。
その日も、そんな連中がいて、図々しくも豪商の袖をつかんで放そうとしないのだ。困惑している豪商を見ていて気の毒になった。
幸い、カネをせびっていたのが中学生らしい小柄な少女ふたりで、もし殴り合いになっても対等か、それ以上に闘える見込みがあったので、しばらく迷ってから、思いきって話しかけた。
「お前ら中学生やろ。なにしてんねん、この時間に。学校はどないしたんや」
「なんやあんた。関係ないやん」
「北中の生徒やな」
学校を言い当てられて、通報されてはまずいと思ったのか、人だかりから抜け出して、離れたところから様子を見ていた。また、後でたかるつもりだったのだろう。
私は、これも何かの縁だと、ボディガードのつもりで、目的の駅まで豪商を送っていった。
豪商は「ありがとうございます」と軽くお辞儀をして改札を出ていった。

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ぼくはどうしても、テレビの電波というものが理解できない。
東京タワーのてっぺんにあるアンテナから発せられた電波が全国の家庭のテレビに飛込んで、ブラウン管のなかで画像や音になるということは知っている。
また、電波というものが、ヘビのようにくねくねと前進する線だということも知っている。
解らないのは、その、くねくねした線が、どういうカラクリで、見事に各家庭のテレビを探し当てて、そこに入り込むのかということだ。

その日は寒かったが、僕は自宅で愛する女性とタラ鍋をつつきながら熱燗を飲んで、身も心もカッカとしていたので、窓を思いきり大きく開けると、電波がこちらに向ってくねくねと飛びながら、すぐそばまで来ているのが見えた。
あわてて窓を締めたのだが、電波の先端部はすでに部屋のなかに入り込んでしまっていたので、締めた窓に切断されて先端部は内側に残った。

短く切れた電波は、しばらく窓の前でくねくねしていたが、テレビを見つけると、その裏側に回りこんだ。
すると、それまで見ていたNHKの『地球・ふしぎ大自然』が『水戸黄門』に変ってしまった。TBSの電波だったのだ。
彼女とふたりっきりで過ごせる、月に一度のひとときを、きれいな自然の映像を眺めて、自然って不思議だね、なんて言いながら過そうと思っていたのに、爺さんが活躍する番組なんか見せられては迷惑だなあ、とぶつぶつ言いながら二人で見ていたら、10分ほどして、助さん格さんが黒幕の悪大名を追い詰めて「この印篭が目に入ら」と言ったところで、また『地球・ふしぎ大自然』にもどった。

「電波が短かかったのね。よかったわ」
「でもぼくは、悪大名がひれ伏すところも、ちょっと見たかったかも」
彼女はぼくの微妙な心理を理解してくれたと思っている。

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矛盾した発言とは、「こうしたい」という本能的欲求と「こうしなければならない」という理性的判断の間で調整がつかない時にポロっと口をついて出てくるものなのである。

妻を家に閉じ込めて、男はおろかオス犬にも会わせないようにしたい、というくらい嫉妬深い男が、いやいや、そんなことしたら時代錯誤なヤツと思われてしまうから、もっと進歩的に振舞わなければならない、と理性を働かせて、
「これからは、子供がいる女性でも外に出て男性と対等に仕事ができるような社会にしなければなりませんねえ」
なんて言ったりすることもあるだろうが、必ず何かの拍子に、つい「メシを作るのが女の仕事だから」と言ってしまうのだ。

その点、動物は矛盾したことを言わない。彼らの言動は常に首尾一貫している。本能に忠実で、人前を取り繕うということをしないからだ。

20年ほど以前のことになるが、オス野良ネコを「飼って」いたことがある。
始めは、アパートの部屋の外で餌をやるだけだったのだが、部屋の中で食べさせるようになってから、あるとき彼が「ちょと、すいません」と言って私の脚に頭をこすりつけてきた。
「それは、私になついているという証を見せているのかね」
「ちがう。匂いつけるですので、だからナワバリわかる。ここが、ほかのネコが。習性ですので」
ネコの話し方だから聴き取りにくいが、言わんとするところは解る。
「でも、私は人間なんだけど」
「人間もいい。柱も壁もですが。匂いつけるする。ぼくら習性ですが」 
「でも、そんなことしなくても、この部屋に他のネコが入ってくることはないと思うけど」
「だから習性。それですが、お腹が空いたがですか。食べ物ください」

習性だ本能だと言われたら、そうですかと言うしかない。 

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またも本の宣伝

でもこのブログの芸風を維持しながら宣伝しなきゃならないからむずかしいんだな都合のいいことばかりを書くわけにはいかないもんね自分の失敗や恥をでっちあげてでもネタにするのがぼくの芸風だからしかし本はいろんな人たちの協力によって出来るものでその人たちの努力に水をさすようなことは書けないといってもやっぱり芸風もあるしこれがジレンマというやつですかでもやっぱり芸人のわがまま許してやってください

そんな宣伝なんです

私の本『怒りのブドウ球菌』は いやはやまったく どうにもこうにも愉快な本なんですよ ウソだと思うならぼくに聞いてみてください ぼくはきっと いったいぜんたい なにがなんだか愉快な本なんですよ と答えるはずですから

ところが売れ行きは失速中 いやもう止まっているかも でも来年 ぼくがブレイクしそうになってから買おうったって 物事はそう都合よくできてはいませんよ 失速しているとはいっても なにしろ限定500部です 10年かそこらで売切れてしまいますからね


「無名の壁」の高さ広さ厚さ固さ 思い知りました


さて以上は前ふりで、本題は以下の一言だけです

『怒りのブドウ球菌』を読んでくださったみなさま。まだ読んでいないけど、すでに手許にあるみなさま。注文はしたけど、まだ本が届いていないみなさま。読もうと思うけど、まだ注文をしていないみなさま。読もうと思わないから注文もしないみなさま。どんな本なのか見当もつかないみなさま。本なんか生まれてこの方、教科書しか読んだことがねえ、というみなさま。

拙著に関するご感想、ご意見、ご質問などなどありましたら、以下のデジクリ出版専用ブログに書き込んでくださいね。


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