エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 
 【おしらせ】

 はてなブログで連載中の『徒労捜査官』更新しました。

 第23話《権力の介入》

 毎週、月・水・金曜日に更新しています。

 以上。



 そんな番組が今でも放送されているのかどうか知らないけど(知らないんだったらググって調べろよ)、かつてNHK FMで「FMクラシックアワー」というクラシック音楽専門の番組を放送していた。

 いまも刊行されているのかどうか知らないけど(だからググれよ)、「FM fan」「FMレコパル」といったFM情報誌の番組表に、オオ、コレハと思う曲があると、赤で印をつけておいて、その曲が始まるとラジカセのRECボタンを押して「音楽用カセットテープ」に録音していたものだ。まだそんなものが市販されているのかどうかはわからないが(だからググれって!)。

 予約録音なんてのができない時代だったので、そんな原始的な方法しかなかったのだ。何卒ご容赦いただきたい。

 ちなみに、最近でもまだ使われているのかどうか知らないが(だからググれっちゅうのに)、そういう操作を「エアチェック」という用語で呼んでいた。
 エアチェックをした曲の半分はクラシック音楽で、それを録音したカセットテープは100本くらいあったと思う。いまでは、すべて断捨離ってしまったが、以下のような曲が含まれていた。

 交響曲『第1番』~『第9番』ベートーヴェン
『海』デビュシー
『未完成』シューバート
『マタイ受難曲』バーク
『水上の音楽』ハンドル
『新世界より』ドヴォラック

 ……など。

※「ベートーヴェン」が英語の発音をもとにしている(ドイツ語では“ベートホーフェン”)ので、他の作曲家の名前も、英語の発音に準じた。というか、なんだか面白いから、原語と英語の発音がかなり違う名前を意識して選んだ。

 クラシック音楽といっても幅が広いが、小学校の音楽室の壁に肖像画が貼ってあるような有名な作曲家とか、まあそんな感じの偉い人たちが作った曲だと思っていただければ結構である。

 なぜわたしがクラシック音楽をコレクションしていたのか。それは、クラシック音楽が好きだからではなくて、好きではなかったからである。好きになろうとして、せっせと集めていたのだ。

 かりそめにも芸術家を標榜する人間が、畑違いとはいえ、かのベートーヴェン芸術の神髄を感得できないというのは、ちょっとアレなのではないか、という危惧があったことは謙虚に認めよう。


 なぜ、クラシックが好きになれないのか。

 一部を除いて、クラシックの曲はなぜか心に響いてこない。どれもこれも同じように聴こえる。

 映画『2001年宇宙の旅』で、クラシックなんかわかんねえよーという木石漢にも知られるようになった、R. シュトラウスの交響曲『ツァラトゥストラはかく語りき』は、例の荘重なイントロの約2分間を除いた残り30分余を聴いても、ベートーヴェンやシューベルトとどの辺りが違うのかわからない。

 それに、一曲の演奏時間が長すぎる!

 愛好家でなくとも知っている、ラヴェルの『ボレロ』はクラシックのなかでは短い方だと思うが、それでも演奏時間が15分以上ある。
『おどるポンポコリン』が15分もあったら、あれほど売れただろうか? 

 バッハの『マタイ受難曲』などは、第一部と二部を合わせると3時間をゆうに超える。
『津軽海峡冬景色』を歌い終わるのに3時間もかかるとしたら、果たして石川さゆりは紅白に出場できただろうか?

 また、クラシックの曲は鼻歌にするのが極めてむずかしい。誰だって、鼻歌まじりでないと仕事なんかできないはずだ。
 人間は、仕事のテンポに合わせた歌を歌っていれば、どんな過酷な労働にでも耐えることができるのだ。

 ロシア民謡ではあるが『ヴォルガの舟歌』(※)は、その意味で実によくできた曲だと思う。ロシアの画家、レーピンの『ヴォルガの船曵き』(※)という絵を見ながら聴けば、それが納得できるはずである。

『ヴォルガの舟歌』 赤軍合唱団
『ヴォルガの船曵き』 I.E.レーピン

 そこで、ご存知ベートーヴェンの『運命』。

 ダダダダーン
 ダダダダーン 
 ドダダダドダダダドダダダダーン
 ドダダダドダダダドダダダダーン
 ダダダダーン
 ダダダダーン
 ダダダダ・ダ・ダーーーーーーーーー
 ダダダダーン!


 これは、仕事をしながら口ずさむのには向いていない。職場で他人に聴かれたら恥ずかしい。道で通りすがりの人に聴かれても恥ずかしい。

「ダダダダーン」と歌いながら伝票を整理している事務員を想像してみるといい。「ダダダダーン」と歌いながら客の注文を聞いているマクドナルドの店員を想像してみるといい。

「そんなときゃ、歌詞をつけてみるといいぜ」

 そう言って、須賀青洲(すがせいしゅう)さんは歌ってくれた。

 段田男~
 段田男~
 名前だけなら知ってる~
 どんな人かは知らない~
 とにかく~
 演歌の~
 歌手だそ・う・だ~~~~~~~~~~
 段田男~!


「どんな人かは知らない」という部分を聴いて、知らないのならググれよと思ったが、このシステムの素晴らしさは認めざるを得なかった。これなら仕事をしながら歌ってもサマになる。

 段田男(だんだ だん)Wikipedia

 須賀青洲さんが歌うのを聴いて、わたしは何のためらいもなく、師事したい旨を伝えた。すると彼が、

「歌舞音曲&ロケンロールを舐めちゃいねえかい? 何もかも棄てて打ち込む覚悟があるのなら、ついてきな」

 と言うので、わたしは思わずカッとなった。

「何もかもって、ムチャを言わないでくださいよ。僕には、Facebookやmixiの友達がいるんです。Twitterもやってます。Google+も。Tumblrは登録しただけです。とにかく、もうあなたにはついていけません! さようなら!」

 こうして、須賀青洲さんとの絆が永遠に失われてしまっただけでなく、わたしがクラシックを好きになる機会も永遠に失われてしまったのである。

 そんなこんなで、いまだにわたしは、チャイコフスキーの曲とメンデルスゾーンの曲は、どこが特徴的に違うのかがわからない。それは多分、苦労してクラシック音楽を録音しまくったものの、どうも興味が湧かなくてほとんど聴かなかったからだろう。

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「大器晩成」ゆうがはまっこと罪作りな四字熟語やのう、武市さん。誰が言い出したがじゃ! 

「龍馬伝」以降、NHKの大河ドラマはまともに見ていない。その次のシリーズの途中で、地デジに移行してしまってテレビが見られなくなったからだ。だから、私のなかで大河ドラマは「龍馬伝」で止まっている。

 大河ドラマはどうでもいい。
 高校3年の時、私が絵画の方面に進みたいと両親に話したら、画家を志す息子の夢を打ち砕くために父親が使う定型文「絵で飯が喰えるか」で反対された。
 それから40年経ち、57歳になったが、いまだに絵で飯を喰ったことがない。イラスト制作の依頼を受けていくばくかの利益を得たことはあるが、絵を売るというのとはまた違う。

 そろそろ亡父の遺影のまえに額ずいて「父よ、あなたは正しかった」と敗北を認めなければならない年齢になったようだ。
 とはいえ、画家が詩人でも役者でも歌手でも、あの父親ならどのみち反対したであろうことは容易に想像がつく。

 *

 絵の道に進むことができたのは母親のおかげだった。父親を説得してくれた。そして、「あんたは大器晩成型なんだから、絶対に諦めたらいかんよ」と励ましてくれた。それを信じて私は結婚もせず、安定した職にも就かず、藝道を歩んできたわけだが、ここにきて、素朴な疑問の前に立ち止まらざるを得なくなった。

 疑問というのは、大器晩成の「晩」である。どのくらい晩になれば「晩」と呼んでいいのだろうか、ということだ。私は3月で58歳だから、憚りながらと自己査定したとしても、充分「晩」に入れてもらっていいような気がするのだが、その辺りを自分に問うても、禅問答もどきの答えで逃げられるだけだ。

「晩、とはいつのことか」
「晩になればわかる」

 仮に晩に至っていたとしても「成」の方はまだ兆候すらない。

「成る、とは何か」
「成ればわかる」

 だいたい「大器」というのもよくわからない。
 たんに成功した人ということではなさそうだ。事業で大成功を収めたからといって、ブロードウェイで主役の座を射止めたからといって、その人を安易に「大器」と呼ぶのには抵抗がある。
「苦節40年。60歳にしてやっと芥川賞を獲って大器に成ることができました」などと言ったら、その作家が器の小さな人物に思えることだろう。

「私は金には不自由しない」
「あたしはIQ180の才媛よ」
「俺はイケメンだ」
 ……ちと癇に障るが、このあたりなら客観的に判断できるから、事実であれば認めるしかない。
 しかし、自分で自分のことを大器と称した瞬間に、その人は小器になってしまう。つまり、大器かどうかは他者が評価することであって、大器自信は、大器であるという自覚を持ってはならないのだ。

 てことは、自分が大器だという自覚のない私は、すでに大器になっているのかもしれない。
 人目を憚って、陰で密かに私のことを大器と呼んでいる人たちがいるかもしれない。いや、きっといるはずだ。しかし私はそれを知らないから、自分のことを大器だとは夢にも思っていないのだ。万歳!

 *

 家族をもつことにも、安定した生活にも背を向けて、私に藝道を歩ませたものは何だったのか?
 それは私が、結婚にも安定した職業にも興味がなかったからだ。画家になるという目的がなかったとしても、たぶん私は結婚していなかっただろうし、定職にも就かなかっただろう。

 結婚に関心をもつための、「家族がほしいなホルモン」(KHH)が、私の脳下垂体から分泌されていないということが、先日メタボ健診(費用:500円)を受けた病院の検査で判明した。
 このKHHが脳内に分泌されることによって、「つまらない仕事でもいいから家族のために安定した職につきたい酵素」(TKAE)が十二指腸内に作られるらしい。

 つまり私は、家族も生活の安定も諦めて絵の道に邁進してきたのではなくて、すべての人間の活動を支えている脊椎、「家族を持つ意志」「安定した生活をする意志」という脊椎が生まれたときからないため、その空洞に絵画が流れ込んだだけのことなのである。
 絵画を選んだというのもたまたま、美術(図工)の成績が良かったからであって、決して美術表現への渇望に衝き動かされたわけではない。英語の成績がよかったから語学の方面に進みたいというのと同じ発想だった。

 だからもし、幸か不幸か交際していた女性に子供ができていたら、絵なんぞ放擲し、絵描きになるために投じてきた時間もカネも、母親の励ましもきれいさっぱり忘れ、私個人の願望は滅却し、愛の巣作りのために、適性があろうがあるまいが確実に収入を得られる仕事を選んでいたことだろう。
 案外その方が、大器晩成なんてお題目に呪縛されて生きるよりよほど自由な人生が送れたかもしれない。

「妻は私と違って頭の切れる女でほんとうに助かった。息子も娘も一人前の家庭をもって、可愛い孫の顔を見せてくれた。ああ人生は上々だった」

 と、ささやかな満足を得て小往生を遂げることができたかもしれない。

 *

 しかし、もういまからでは家族も安定した生活も望めない。
 駅を出た時点ですでに脱線していた列車は、荒れ野を走り、暗い森を抜け、険しい山を昇る。大雨でも大地震でも人を撥ねても運休するわけにはいかない。
 断崖に追突するか海に転落するまで走り続けるしかないのである。

 運がよければ、いつか「晩成」という終着駅が見つかるかもしれないが、その時は、大器じゃなくていい。中器でいい。

 いや、それよりもいっそ走るのを止めて、錆ついてしまうのもいい。鬱蒼とした草叢のなかで立ち枯れている列車も味わいがあるではないか、御同輩。


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 いまさら議論するほどの問題でもないのだが、日本のプロ野球12球団のユニフォームの胸と背中に縫い付けてあるチーム名と選手の名前に、日本語の文字が使われないのは何故だろうか?

 一応チーム名は伏せておくが、1年あまり前、球団内で造反劇のあったチームの選手の胸に、もし「GIANTS」ではなくカタカナで「ジャイアンツ」と記されてあるのを見たら、かなり脱力しそうな気がする。とても優勝を狙えそうなチームには見えないだろう。ましてや平仮名で「じゃいあんつ」などと書いたらもうコメディでしかなくなる。
 逆に、本来日本語のものをローマ字にすると、たとえば相撲の「出羽海部屋」を「DEWANOUMI BEYA」にすると、ハンドバッグの高級ブランドかなんかと勘違いしそうなほどお洒落に見える。なぜ日本人はそう思ってしまうのか。その心理については後述する。

 それと、もう国民の常識のようになっているので、改めて考えてみようという気すら起きないのだが、なぜプロ野球チームの名はみな英語なのだろう。どのチームも親会社の名前の次に来る名前はすべて英語である。仏語も独語も蘭語も葡語も西語も梵語も見当たらない。
 メリケンから輸入された競技だから、最初はそのモノマネになってしまうのは仕方がないとしても、例の造反劇チームが日本で最初のプロ野球チームとして名乗りを上げてから80年近い年月を経た。そして日本野球は、3連覇はならなかったが、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で2度世界一になった。また日本は経済力も世界第3位にまで躍進した。そろそろ母国語に対する意識を変えてもいいころだ。



 外国人から、ニホンゴチョトダサイデスネと言われたわけでもないのに、日本人がみずから進んで母国語を格好悪いと思っているのだ。カタカナで「ジャイアンツ」と書かれてあっても、外国人の眼にはダサいとは映らないと思う。
 仮に、ロシアにプロ野球があるとして、「ビーフストロガノフス」とかなんとかいったチームのユニフォームにロシア語で「БЕФСТРОГАНОВС」と書いてあるのを日本人が見て、うわ、だっせー、と感じるだろうか。
 アラブ首長国連邦にプロ野球があるのかどうか知らないが、アラビア語のチーム名を見て、うぜー、と感じるだろうか。私は感じないと思う。
 実際、台灣のプロ野球チーム、兄弟エレファンツのユニフォームの胸には「兄弟」という漢字が、こともあろうに優雅な毛筆体で縫い込んである。同じく、統一ライオンズのユニフォームも漢字である。
 もし台灣人が母国の文字を格好悪いと感じているのなら、こんなことはしないはず。当たり前だ。母国語を恥じることは、自国を恥じることに等しいからだ。

 日本語に育ててもらっておきながら、まるで、ヨイトマケの母親を恥じるかのように日本語を避ける。手をマメだらけにして地ならしの鎚(つち)を持ち上げる綱を引き、日焼けで真っ黒になって稼いで育てた子供が人目を気にして、「この人は僕のお母さんなんかじゃないからね」と汚いものを避けるように言ったら、母親はどんな気持ちがするだろう。

 いったい日本人は、日本語の何を恥じているのだろうか? それについては後述する。



 意識を変えるのに時間はかかるが難しくはない。「ジャイアンツ」「タイガース」「ホワイトソックス」と日本語で書かれたユニフォームでプレイしてれば、いつしかそれが馴染んでくる。当たり前になる。当初は愚かな大衆が、「センス最悪!」と笑いものにするだろうが、時間が彼らを啓蒙してくれるはずだ。
 生物には「馴化」という機能がある。例の、平城遷都1300年祭の公式マスコットキャラクター「せんとくん」も発表当時は、気持ち悪いだの仏を侮辱しているだのさんざん言われたものだが、それでもしぶとく、あちこちに顔を出しているうちに、われわれの感覚が馴化して気にならなくなってしまった。
 私も、童子の頭にむりやり鹿の角をくっつけたデザインにひどく違和感を覚えたものだが、いまでは、可愛い……とは思わないまでも、気にならなくなった……わけではないが、まあイラストはいいとしよう。しかし、せんとくんの着ぐるみに馴化するにはまだ数年を費やすことになりそうだ。

 それはともかく、「ジャイアンツ」が「GIANTS」と対等以上になるためには、時間だけでなく、文字のデザインにも革新的アイデアが必要だ。それがどのようなデザインなのかについては後述する。



 毎年、甲子園の全国高校野球選手権大会で熱闘している球児たちが、なぜみな純真で純朴で誠実で童貞なのか、このコラムを書いているうちにわかった。
 それは、ユニフォームの学校名が「なんとか学園」「かんとか商業」などのように日本語で書いてあるからだ。いや分かっている分かっている。ローマ字を使っている学校もあるのは重々承知している。それについては後述する。

 彼ら高校球児たちの頭の中には、甲子園でいいところを見せて、プロ野球のドラフトで指名されようなどといった穢らわしい目論みは微塵もない。私は甲子園球児に知り合いはひとりもいないが、そんな不純なことを考えている選手とはまだ一度も会ったことがない。
 そんな無垢な球児が、プロ入りしたとたんにみな守銭奴になる。契約更改時に年俸が不満だからとなかなかサインをしない。自分が属する組織には滅私奉公するのが日本古来の美徳だったのではないのか。

 それは、ユニフォームに縫い込まれた英語の名前が原因であるのは間違いない。自分のユニフォームに英語のアルファベットが並んでいると、アメリカ人になったような錯覚に陥る。日本の選手が試合中に唾を吐いたり噛みタバコを噛んだりポップコーンを買いに行ったりホットドッグを焼いたりするようになったのはそのためだ。
 だからゼニに対する概念もアメリカ的になる。ルーキーであろうがベテランであろうが、自分の能力に相応した年俸を要求するようになる。甲子園の精神を失っていない選手なら年俸を拒否し、「自分は新参者ですから、時給850円で契約してください」と要求して譲らないはずである。

 ちょっと待て、日本のプロ野球のユニフォームにローマ字が使われているのは戦前からじゃないか、澤村榮治のユニフォームに「GIANTS」と書かれてある写真が残っているぞ、だったら当時から日本人選手もホットドッグを焼いていたはずじゃないか、という反論もあるだろうが、それについては後述する。

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 ♪三味(しゃみ)と踊りは習いもするが習わなくても女は泣ける~
 (笹みどり「下町育ち」)

 平成二十四年以降に生まれた読者は、恐らくこの曲を知らないだろう。歌詞の意味は、三味線と踊りは師匠に教えてもらって覚えるものだが、誰にも教えてもらわなくても、女は泣くことの作法を知っている、とかなんとか、まあそういうことである。
 こんなことを書くと、また女性から反撥を買いそうだが、女性は泣けるからいい。悲しくても嬉しくても悔しくても涙を流せる。あくびをしても涙を流せる。そしてそれが絵になる。女の涙が絵になるという伝統は日本だけのものではなかろう。

             ■□■

 昔の話だが、私が交際していたある女性は、ケンカになると必ず泣いた。自分が一方的にまくし立てておいてワーッと泣くのだ。こっちが反撃する暇を与えずに泣くのだから、紳士協定に反する。

 永吉くんがそんな回りくどいこと言うからアタシだって腹が立つじゃないのなによその言い方アタシがいつも邪魔してるみたいに言ってさそんなにイヤだったらもういいアタシだって永吉くんみたいなドンくさい男ほんとは大嫌いだったんだからもうアタシのいる所にこないでワー!!!(泣)

 という風に、罵倒から号泣へシームレスに移行するというテクニックを、生得的に持っているかのように巧みに操るのだ。
 もっと高度なテクニックを使って、罵声を浴びせたうえにヒトの顔をフルスウィングで引っぱたいておいて泣くこともあった。

 だいっ嫌い! バシッ! ワー!!!(泣)

 涙を見たらもう戦意を喪失してしまう。このテクニックを「ヒット・アンド・アウェイ」と呼ぶ。これが最も奏功した場合には、さらに男に謝らせることまでできるのである。
「ああ、泣かなくてもいいじゃないか。ごめん。僕も言い過ぎたよ」
 まあ、これは私の時代の若い女性であって、今の若いコのことは、わしゃ知らんがね。

             ■□■

 絵になる男の涙は、何かを達成した時の涙くらいのものだ。ただし達成といっても、スポーツで世界タイトルを奪取したとか、そのくらいの偉業でないとダメだ。梅干しの種飛ばし大会で優勝したくらいで泣いたりしたら逆に笑われる。……と、生まれたときからそう思っていたが、存外そうでもなさそうだ。
 先日、大阪の千日前にある居酒屋(地下鉄千日前線なんば駅から徒歩5分)で、焼き鳥の盛り合わせを食べながら、私より10歳ほどヤングな女性に突撃取材を敢行した。

「泣く男ってさぁ、君はどう思うのやねんかいな?」
「まあ、泣き落としみたいなことする男はイヤねでんがな」
「テレビドラマを観て泣く男なんて最低だよねでっしゃろ?」
「そんなことないわよ。感受性の豊か人なんだなって思うわまんがな」
「要するに、泣くことそのものには良いも悪いもなくて、どういう時に、どういう風に泣くかってことだよねでおますやろか?」
「結局そういうことよねまんねんでんねん」
 
 とまあ、そんなことだった。つまり想像していたより、女性は男の涙に寛容なのでありましたとさ。でも今の若いコがどうかは、僕ァ知らんよ。

             ■□■

 てなわけで、男性もわんわん泣いていいことになったのであった。だいたい、男性にも涙腺が備わっているのだから、男が泣く権利も憲法で保障されてしかるべきだ。これを行使しないのは宝の持ち腐れである。せっかく銃を所持していながら誰も射殺しないまま錆びつかせてしまうようなものだ。
 だからといって、女性と同じような泣き方をしても許されるというものではない。「よよ」と泣く、「さめざめ」と泣く、「しくしく」と泣く、が女性の泣き方だという定義があるわけではないが、どうも女性的なニュアンスがある。「ごむごむ」とか「まぬまぬ」とか、男の泣き方に相応しい擬声語も考え出さなくてはならない。
 また、泣きの様式も、女性のように8種類の決まった形があるわけではないので、これも男性向けに考案しなければならないし、それらをどう使い分けるのかも決めておく必要がある。問題が山積みだ。正直なところ、この件からは手を引きたいと思っていた。

「まったく厄介な仕事を引き受けちまって、泣きたい心境だよですたい」
 大阪で女性に取材した帰りに、博多の中洲にあるキャバクラ(地下鉄箱崎線・空港線中洲川端駅から徒歩5分)に寄って、キャバ嬢のひとりに愚痴をこぼしたら、彼女も男の涙に興味を感じたらしく、いろいろ訊いてきた。
「嬉し涙って流したことあるのですたい?」
「そういや、ないねえばい」
「じゃあ、永吉さんの人生で嬉しいことがなかったってことよねですたい」
「嬉しいことか……何にもなかったような気がするなぁ。辛かったことか腹が立ったことか恥かいたことしか思いつかないよばい」
 自分の幸薄き人生を顧みると、急に悲しくなってきて涙が溢れ出した。私が思わず腕で涙を拭うと、キャバ嬢が手を叩いた。
「それよ。その泣き方、男らしいわですたーい!」
 そうだ。これが男泣きというものだ。私はこの、腕で涙を拭う泣き方を「アスタラビスタ様式」と名付けた。女性と対等になるためには、様式をあと7種類も考案しなければならないが、とにかく第一歩は踏み出した。

 店を出たものの、まだ飲み足りなかったので、足を延ばしてもう一軒、仙台にある馴染みのノーパンしゃぶしゃぶ店(地下鉄南北線勾当台公園駅から徒歩5分)に行った。そのついでにシャブ嬢に訊いてみた。
「あのさ、キミ、男の涙って、どうおもうだべ」
「そうねぇ。男泣きはヴァイヤ・コンディオス様式で見るのが最高よねだべ」
 愕然とした。仙台ではすでに男の泣き方が様式として確立していたのだ。私は居ても立ってもいられなくなり、いつも持ち歩いているタッパーに、残ったしゃぶしゃぶ肉を詰め込み、ジョッキのビールを水筒に移して店を飛び出した。

 笑ってやってくれ。私は自分が男泣き様式の創始者として、重い十字架を背負っているつもりでいたのだ。私がそんなお節介をしなくても庶民は必要があれば、どこの誰がということもなく自らそれを生み出すものだ。
 庶民という一見野放図な群は、本人達も気づかないうちに個々がひとつの細胞となり、相互作用し、時代の要求に応じようと、あたかもひとりの人間であるかのように行動する。私は迂闊にもそれを失念していたのであった。


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 先月、大阪の天満橋での飲み会に参加するために、ぼくは南海本線の堺駅から電車に乗った。時間に余裕があったので、のんびり腰かけて行こうと各駅停車を選んだ。
 電車の座席に腰かけるという行動が刺激となって、パブロフの犬のように反射的にケータイを取り出して開いたのだが、そのとき突然、異次元に迷い込んだような、そう、まるで女性専用車両にうっかり乗ってしまったときのような恐怖に襲われて眩暈(めまい)を催し、次の犬林檎駅で足をもつれさせながら降りると、両膝をつき、○| ̄|_ の体勢になってじっとしていた。

 駅員が走ってきた。
「どうしました? あなたを絶望させた原因はいったい何なのですか? わたしに話せることですか? 絶望とは死に至る病ですか?」
「いや。絶望してるんじゃなくて気分が悪くなったんです。ぼくの両隣、そして向かい側の乗客たちみんながスマートフォンを使ってるんです。新世代に生きている人びとに対する圧倒的なルサンチマンによって自分自身を車外に弾き出したと考えるのが妥当でしょう。こんな旧式のケータイをまだ使ってるなんてぼくくらいのものですからね」
 そう言って、ぼくは手に持っていた折りたたみ式の古色蒼然としたケータイをぱくぱくさせて見せた。

 気分が回復しないので、駅の事務室にあるソファで寝かせてもらうことになった。とはいえ約束があるので、しばらく横になってから立ち上がろうとすると、駅長と名乗る、年齢不詳のぶよぶよした男がにこにこしながら現れて、ぼくの向かいのソファに腰かけた。
「いま駅員から効きましたが、スマートフォンをお餅でないとか。そりゃ波の神経の持ち主なら誰だって気分が割るくなりますわ。いやぁ、まったく細菌は誰も枯れもがスマートフォン……スマホですな……で、振るいケータイを塚っている人間を見ると、そのケータイ、ずいぶん長餅するんですね、なんて火肉を言いよります。駒ったもんですわ。歯歯歯歯歯……」
 誤字が多いのが耳障りだったが、親切にしてもらったので我慢して話を聴いていたら、さっきの駅員が、がちゃがちゃと音をさせながら段ボール箱を抱えてやってきた。駅長はそれをテーブルの上に置くように指示をした。
「これですよ、これ」
「何ですか、これ?」
「スマホですよ」
「……?」
 ガムテープや配送伝票をひっ剥がした跡があちこちにある「とろろ昆布」と書かれた段ボール箱を開けると、いろんな色をしたスマホらしいものがジャガイモかなんかのように詰め込んであるのが見えた。
「実は旧世代のケータイを漏っているお客さんが、スマホを盛ったお客さんに囲まれて気分が悪くなり、この液で降りるケースがこのところ凸然、笛ましてね。なかにはお泣くなりになる型もおられるんです。これはどうにかせにゃ遺憾と思って、わが犬林檎駅ブランドのスマホを開発したっ宙わけですわ」
 駅長の言い方を借りると《芽には芽を、葉には葉を》《武力近郊》。つまり、スマホをもってスマホを制するべきだという信念から、スマホに恐れをなして犬林檎駅で降りた旧世代の乗客には、奉仕価格で犬林檎ブランドのスマホを販売しているそうで、ぼくも薦められた。
「OSはアンドロギュヌス。キャリアはコモドオオトカゲ。で、メーカーが犬林檎駅というわけです。この腸新世代の奇怪が今なら2,980円という歯欠くのお値段でお飼い求めいただけます」
 専門的なことはよくわからなかったし、そんなことはどうでもよかった。とにかく安いし、何よりも新世代という言葉に乗せられて買うことにした。奉仕品ということで、身分を証明するものも要らないし、契約書もない。取扱説明書がなかったが、奉仕品ですから、ということで納得した。

 電車のなかで、買ったばかりのスマホをいろいろいじってみたのだが、さっぱり使い方がわからない。ディスプレイの上で指を動かしてみたが何も起こらない。試しに、誰もいない自宅に電話をしてみようと番号を入れたが、発信の仕方がわからない。まあ、その後で会うことになっていた連中がこっち方面に詳しいので、その時に聞くことにして、ぼくは天満橋に向かった。



 酒の席でさんざんっぱら笑いものにされて、ぼくはやっと自分がだまされていたことに気づいた。スマートフォンではなくて、普通の電卓だったのだ。電車の中で、ぼくが懸命に電卓のディスプレイで指を動かしているのを、隣にいた乗客はきっと好奇の眼で見ていたことだろう。
 ぼくは憤慨し、怒り心頭に発していたのみならず怒髪天を衝いていた。いや、それだけではない。めっちゃムカついていたのだ。酔った勢いにまかせて犬林檎駅で大暴れしてやろうと、途中、コンビニで買った鈍器のようなものを持って電車に乗った。
 七道駅を過ぎた。次が犬林檎駅だ、さて何から壊してやろうかと、鈍器のようなものを車内でぶんぶん振り回していたら、堺駅に着いてしまった。なんと犬林檎駅が消えていたのだ。
 なるほどそういうことだったのか。連中の正体がわかった。駅を装った新世代の詐欺集団だったのだ。偽装した駅に降りた無知な客をだまくらかして偽スマホを売りつけて、バレる直前にその駅をさっさと解体して、また別の路線に偽装駅を作るということを繰り返していたのだ。そう推測するのは容易だった。



 今にして思えば、うさん臭い駅だった。駅長の他には駅員がひとりしかいなくて、ふたりとも血の滲んだ包帯を頭に巻き、あとは全裸だった。これを見た時点で、こいつらは何か怪しいと判断すべきだったのだ。だいたい犬林檎なんて駅名、南海本線は昔から使っているが、一度も聞いたことがない。
 そんな見え透いた詐欺にひっかかってしまったのも、ぼくが旧世代と呼ばれることを何よりも恐れていたからだった。しかし今回の事件で、そんなことよりもずっと大切なものがあることを教えてくれる珠玉の言葉を思い出した。
 
 旧世代だっていいじゃないか、人間だもの(詠み人知らず)

 予想した通り、同一犯と思われる詐欺の被害があった。今日(7/7・棚畑)の新聞によると犯人はまだ特定できていないが、警察に届け出があっただけでもすでに4人が被害にあったということだ。
 阪急、阪神、近鉄、京阪といった、近畿では大手の路線ばかりを狙った犯行で、被害総額は11,920円。あまりに恥ずかしいので届けを出さなかったぼくの分を加えると14,900円。
 駅を建造するために投入されたであろう費用からすると、割に合わない犯罪だ。これは金儲けを目論んだ犯行ではない。しかも犯人は絶対に捕まらないだろう。なぜなら彼らはある種のメタファとして存在しているからである。
 

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