エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 【おしらせ】

 本日金曜日、いよいよ最終回を迎えます。
 
 小説非小説『徒労捜査官』第35話《カニの野望》

 更新しました。

 構想の段階から目指していた「無責任な作品」となっているのかどうか、自分でもわかりませんが、もう終わったのでどうでもいいです。

 以上。




 噴火が収まったとはいえ、噴火警戒レベル2(火口周辺規制)が続いている阿蘇山と電話で話をした。

「噴火やめますか、それとも観光名所やめますか」(公共広告風に)

 阿蘇山の返事。

「もちろん葮(註1)は、観光名所であり続けたいんでう。でも、肉体の要求に抵抗できないんでう。人間男性のみなあんだってあるでいょ? 噴火いたい欲求が。マグマがたまってくると。ね?」(註2)

註1)葮(だん)=男性の山が自分を指す場合に使う一人称。人間男性の「僕」にあたる。

註2)火山はサ行が発音できなくて、ア行と同じ音になってしまうので、慣れるまではコミュニケーションに困難を伴う。

 この阿蘇山の返事はメタファが下衆なだけでなく、動機があまりに幼い。
 したいからする。周囲の顰蹙を買ってもする。
 それでは子供と同じではないか。
 下衆なだけならまだしも、それに幼児性が加わったら、もう対等には話せない。

 いい年をした火山がそんなことを言うのを聞いて失望したが、彼の次の言葉が、その失望をさらに深くした。

「おれに、最近、噴火いたのは葮だけじゃないでいょ? 新燃岳とか桜島とか御嶽山とかも噴火いたじゃないでうか。箱根の大湧谷もなんかくうぶってるい」

 噴火してるのは僕だけじゃないじゃん、他の火山もやってんじゃん、どうして僕だけ叱られるの? と言いたいのだ。

 この発言(註3)が、「日本の火山に幼児化が始まっているのではないか」という疑念の「ヨード卵・光」を、油断しているスキに密かに私の腎臓に産みつけたのであった。

註3)山が言葉を発する場合「はつげん」ではなく「はつごん」。


 阿蘇山の言ったことが、他山にも当てはまるのかどうかを確かめるために、私は、爆発的噴火を繰り返して、警戒レベルを上げ下げしている桜島に電話をかけて、片言隻句たがわず同じことを聞いた。

「噴火やめますか、それとも観光名所やめますか」(公共広告風に)

 桜島の返事。

「はい、わかりまいた。噴火やめまう」
「そうですか! どうかよろしくお願いします」

 しかし、そんな合意などなかったかのごとく、翌日からも桜島の小噴火は収まらない。その場しのぎに、もうしませんと言っておいて、また同じことを繰り返す。

「噴火やめる、って言ったばかりじゃないですか」
「だって、噴火いたいんでう」

 火山の奴ら、体ばっかり一人前で、頭のなかはどいつもこいつもガキだ……と、怒りが全身を貫いた瞬間だった。

「ぐ、ぐわっ!」

 私の腎臓に産みつけられていた「ヨード卵・光」が孵化し、私の背中を食い破って、その醜怪な姿を衆人の前に現し、凶暴な産声を上げた。

 すでに生え揃った肉食獣の歯をもった怪物新生児は、そのまま逃げ去り、以来姿を見せない。縁の下かどこかで生きているか死んでいるかのどちらかだろう。


 ふと、この数年、マスコミを賑わせた一連の出来事が浮かんだ。

・不祥事の釈明会見で号泣する兵庫県会議員。

・親子以上に年の離れた教え子にストーカー行為をする教師。

・ベビーカーが邪魔だといって、1歳児をなぐった64歳の男。

・幼児にタバコを吸わせている動画をFacebookにアップした父親。

・ゲームをするのに泣き声がうるさいといって乳児をプラスティックのゴミ箱に入れて窒息死させた両親。

 これらには共通項がある。それは「大人の幼児化」だ。

 先日。仕事からの帰り。横断歩道の前で信号が青(緑)になるのを待っていたら、信号待ちの一群の間のなかから自転車がスイスイと抜け出してきて、これみよがしに信号無視をして渡っていった。

 それだけなら、「そのうち痛い目にあうがよかろう!」と、この無法者が車に自転車ごと轢き殺されて、五体バラバラ、ハラワタまき散らして原形をとどめぬ肉塊になるところを想像して溜飲をさげるところである。

 ところが、その自転車の荷台には妻か愛人か知らないが、若い女性が乗っていて、ハンドルの前の買い物カゴ(なのか、チャイルドシートなのかよく見えなかった)には、幼児を載せている。

 で、自転車を運転している馬鹿野郎は、くわえタバコで荷台の女性となにやら楽しそうに話している。

 私が判断できるだけでも、信号無視、ふたり乗り、くわえタバコ(路上喫煙)という、人類の三大罪業をことごとくクリアしている。
 この所業を目の当たりにして私は思った。あいつらは親子じゃない。3人の幼児だと。

 私の職場でも実際に、チャイルディッシュな大人がいろいろやってくれている。採用された女性のアルバイトが、勤務の初日、昼休みに食事をしてくると言って出ていったきり、2週間経っても戻ってこない。

 昼食をとるのに2週間もかかるとは考えられない。
「この仕事、アタシに向かない」と思って逃亡したのだろうが、仕事が向かないと思うのなら、テキトーな口実をもうけて正式な手続きを踏んで辞めるべきだ。
 でも、それすらできなくて逃亡する。まさに幼児性の表れ。

 もうひとり。できるだけたくさん入れるようにシフトを組んでください、と依頼しておきながら、初日に来ただけで、あとは無断欠勤。電話を何度しても出ない。(あるいは何か重大な事件事故にまきこまれたのかもしれないが、その可能性はとりあえず無視する)。

 彼らの論理はいたって簡単である。

「したいからするんや」「したくないからせえへんのや」「ほしいもんはほしいんや」「いやなもんはいやなんや」。


 大人の幼児化の原因が、火山だったという事実を前にして、われわれはただ立ち尽くすしかないのだろうか。
 これがさらに高じて、将来、国体の護持を危うくする前に何らかの手を打たねばならない。

 まあ、火山とはいっても、規模が大きいだけで、その本体はフジツボなのだから、薬品を用いれば駆除は容易であるが、水質汚染が懸念される。

 国体の護持をとるか、水を汚染から守るか。選良たる国会議員に託すしかあるまい。
 だから来年の国政選挙では是非、投票所に足を運んでもらいたい。
 私も泡沫候補として無党派で出馬する予定である。しかし、まかり間違って私が当選したら、なにかと面倒なので、投票所には足を運ばないでもらいたい。

 ただ、火山には、江戸期の蘭学者、渡辺華山、映画監督のエリア・カザンなどを輩出してきた歴史がある。
 だからフジツボとはいえ、絶滅させることは、文化にとっては痛手となるわけで、なかなか悩ましい問題ではある。

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