エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




久しぶりにブログを書く。

5月5日(子供の日)に書いたのが最後だから、22日ぶり。こんな久しぶりなブログはこの一週間ほど書いていない。そもそもBlogとは正式には、

Beutler Leidenschaft Oxydieren Gemeindebeamter

(有袋類の情熱が地方公務員を酸化させる)

というドイツ語の頭文字をとったものなのだから、毎日書かなければ本来の目的からは外れてしまうのである。

3週間以上も書かなかったのが原因なのか、先日のアクセス数が、ついに18ipになってしまった。
一時は、gooのブログランキングに入ったこともあるくらいのアクセス数を誇っていただけに、この数字は無残という他ない。
しかし、だったら私にどうしろというのだ。知りうるかぎりの知人友人に、記事なんか読まなくていーからさ、とにかく毎日アクセスしてよー、とネチネチ頼めとでもいうのか。

もちろん、アクセス数が少ないのはひとえに私のせいだ。誰も行政の責任だなんて言っていない。しかしそれがなぜ悪いことなのだ。
私がいったい、誰にどんな損害を与えたというのだ。
私のブログのアクセス数が激減したことで、リウマチがひどくなったとか、養殖していたワカメが全滅したといった苦情はまだ聞いてない。
なのに、なぜ、ペテン師だの、吸血鬼だの、平成の川俣軍司だのと言われなければならないのか。

私にはなんら良心に恥じるものはない。仮にアクセス数を維持できなかったことが宿業となって、来世、サナダムシに生まれ変わっても悔いはない。それが因果ならばサナダムシとして人様の腸の中で粛々と寄生生活をさせていただこうではないか。

しかし考えてみると、もし一日のアクセス数が多かったら、記事のネタにはならなかっただろう。そりゃ8千億ipとか6百兆ipとかいうくらいとてつもない数なら話は別だが。5千や1万では「やだね、自慢してやんの」とイヤミを言われてるのがオチだ。
たった18だから、このように自虐ネタにもなるではないか。
それに、これを読んだブロガーたちも「18ね…。ま、その辺から再出発すればいいんじゃない? がんばってよ」と言いつつも、めくるめく勝利感の陶酔のなかで、いつ果てるともしれないオルガスムスを貪ることができるのである。
ま、両者傷み分けといったところか。

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最近、ある日本の大学が行った実験で、幼稚園児100名に、まず42インチのハイビジョン対応プラズマディスプレイで『ドラえもん・のび太のパラレル西遊記』を見せ、次に昭和36年生産の14インチ白黒テレビで『難波金融伝ミナミの帝王・金貸しの掟』を見せたところ、全員が『ドラえもん』が好きという回答をしたそうだ。

もちろん、これはウソである。そんなバカな実験をする人間がいるものか、ははははは。しかしこの実験が証明したことは、「器」の美しさが「中身」に与える影響の大きさである。
「毒を喰らわば皿まで」という諺にもある通り、器が美しければ毒を食べても死なないのだ。

『難波金融伝ミナミの帝王』の方が『ドラえもん』より優れていることは誰の目にも明らかだ。『ドラえもん』には、ミナミも萬田銀次郎も出てこないではないか。
にもかかわらず幼稚園児たちが『ドラえもん』を選んだのは、プラズマディスプレイの現代的なデザインときれいな画質に幻惑されたからに他ならない。子供はいわば真っ白な紙だ。空色にも染まれば、ドドメ色にも染まる。誤った情報を与えてはならない。

だからテレビを買うかどうかは、その器(デザイン)や機能ではなく、中身(番組)で判断すべきである。
テレビを買うなら、優れた番組、人びとを感動させる番組を放送している機種を買うべきだ。
たとえ世界最大のシェアを誇る超一流メーカーの最新のデザインが施されたテレビであっても、日本人の民度をいっそう引き下げるような低俗バラエティ番組や、恥ずかしげもなく芸能人のゴシップを嗅ぎまわる番組を放送しているような機種は決して買ってはならないのである。
日本の精神文化が絶滅の危機に瀕しているということをメーカー各社は認識し、猛省していただきたいものだ。

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