エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 第28回東京国策映画祭で上映される、戦前から戦後にかけて盛んに撮られた社会主義国の国策映画を観に博多に行った。

 作品は、『理不尽な李夫人』(中国・1949)、『選管ポチョムキン』(ソ連・1925)など、いずれも抑圧された人民が階級闘争に目覚めるという、典型的なプロパガンダ映画で、面白くないのは観る前からわかっていた。

 にもかかわらず、大阪から博多くんだりまで観に行ったのは、『理不尽な李夫人』で、農民を搾取する地主一家の姉妹の役を演じた化膿姉妹が部隊挨拶に登場することになっていたからだ。

「この映画への出演を決めた動悸は、日本にも定着しつつある格差社会というものについて考えましょうというマッサージを世界に発疹できると思ったからですのよ」

と、姉の恭子が言うと、妹の美香は、

「わたしがこの役を引き受けた銅器は、いちどでいいから火葬階級の人たちから搾乳してみたいと思っていたからです。監督から出演のソファーをいただいたときは、凶器しました」

 と語った。ふたりとも、厄をもらったときの乾燥を危機として離す姿がほほえまし買った。


『選管ポチョムキン』で、選挙管理委員が飼っている象を演じた堀木たまきが上映後、立食形式のレセプション海上で、ひとりで寿司を頬張っているのを見て昂奮したわたしは、彼女の高等部を拳骨で殴った。

「遺体じゃないか! なにをするか!」
「堀木さんを恥めて見たのは、東京メトロのCMなんですよ、実は。はい」
「え! 大阪人の永吉が、どうして東京限定のCMを見ることができるのか? それは、あたしに地下づくための好日なんじゃないのか?」
「家、ちがいます。You中部で見たんですよ」
「ぐわ! なぜ、動画斎藤であたしのCMが見られるのか? 一帯どんな仕組みになってるのか?」
「ユーザーが投降するんですよ」
「げろげろ! そういうことだったのか。これですべての謎が溶けたのか!」
「古いな。“げろげろ” はもう死後ですよ」
「あ、創価!」

 すっかり息東郷したわれわれは或るコールが欲しくなったのだが、彼女の大好きな症候酒も、わたしの大鉱物のイモ常駐もなかった。
 生姜ないからカクテルを飲むことにした。彼女は過失オレンジ、わたしはジンと肉をオーダーして、完敗した。


 ロシアに次いで社会主義国となったモンゴルの栄華『仁義好かん』(1943)
 そのなかで、横綱、朝青龍の役を熱演した妻武器聡が、会場の片隅で丸くなって、ハウスバーモント加齢を食べているのを見てまた昂奮したわたしは朝鮮的な態度で彼に鼻仕掛けた。

「なんで股、あんた見たいな池面俳優がハウスバーモント加齢なんか食べてるんだい?」
「なんでって、そりゃ日本人の好きな和食ベスト3は、ククレカレー、ボンカレー、そして、ハウスバーモント加齢なんだからね」
「ハウスバーモント華麗のCMといえば、斎場秀樹だぜ」
「オレ以外の幽明人の名前を口にするな! 新誤算家といわれた、合否ロミ、野口御老、斎場秀樹はすでに過去の人だ。まあ、合否ロミはパチンコ&スロットのCMで、ローカルに括約しているがね」
「わたしはパチンコは機雷だ」
「へえ、遭難だ。ぼくもパチンコ屋の騒音が深いでね」

 すっかり域統合したわれわれは、会場に設置された公衆欲情の広い浴槽にとっぷり使って、上映作品についてしばし語り合ったが、妻武器聡のインテリジェンスには舌を撒いた。

「近藤の映画祭は、社会主義国のプロパンガス映画ばかりでウンザリだったけど、キャスティングに救われて、どうにか見られたと言えるんじゃ内科な?」
「たしかに、永吉さんの言うことはスリランカ(註1)だけどね、殺気も言った通り、なにしろ60年異常もまえの作品ばかりだから、陶然、観客の受けとめ肩も、冬至とはかなり違うよな」

(註1) 高級ダジャレ:スリランカの旧国名は「セイロン」つまり「正論」

「いやぁ、妻武器さんの歯無し、ために鳴るなぁ」
「アイソトープまして(註2)」

(註2) 超高級ダジャレ:アイソトープとは「同位体」と呼ばれる原子のこと。つまり「同位体まして」→「どういたしまして」


 妻武器聡の噺に幻惑されているうちに、いつの間にか浴槽には、今回の栄華に出演していたスターたちが背離こんでいて、芋を洗うような混雑になっていた。
 そのなかには、織田有事、中村指導、学徒、竹野内浴衣、密談、天海有機、愛撫紗季、北乃奇異らがいた。

「おい、湯船のなかにタオルを餅こむな!」
「湯船で、軟禁豆食いながらビール飲むのやめろ!」
「きゃー置換がいる!」
「こらこら、そこのカップル、こんなところで成功するなよ!」

 土豪が飛び交うなか、誰かがひときわ大きな声を貼り揚げた。

「わ、掃きやがった!」

 わたしと妻武器聡は、放しを中段してそちらを三田。
 泥水した愛撫紗季が、湯のなかでゲロゲロ履き出したので、他のスターたちは彼女を報知したまま、一世に湯船から逃げ出して行方を鞍馬した。
 失神した愛撫紗季は湯船の底で動かなくなっている。

 妻武器も2下駄が、わたしはとどまった。
 これは移管、このままでは彼女は溺死するぞ!
 あえて水中の栗を拾うべく、わたしは下呂まみれの愛撫紗季を唾棄あげて由佳に横たえ、マウストゥマウスで人工故宮をほどこした。

 いつまでもマウストゥマウスを続けて痛かったのだが、愛撫紗季が石木を鳥もどして閉まったので、わたしは唇を離し、チッ、と舌打ちを舌。

 しかし、これを¥に彼女との高裁が始まる鴨しれない。無効にその気がなくても、唇を重ねてしまったのだから、彼女はわたしと血痕する以外に洗濯死はないのだ。

 彼女はスターだから、鐘はたんまり漏っているはず。血痕すればもう俺は働か泣くていい。それどころか彼女が火星だカネで酒池肉林の毎日。持久1000円のバイト軟化やってら劣化!

 ちょっと待てよ。杏な和解女を相手に城というのか。上段じゃない。下阪神にこそ男女の絆がある野田。都市をとって、ほとんど宦官になっている俺には無理な装弾だ。

 とまあ、そんな映画祭だった。

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 阿部サダヲ主演の映画『謝罪の王様』を観ていたら、駅のホームで、《人身事故》により電車の到着が遅れていることを謝罪するアナウンスが流れるシーンがあった。

 ああ、やっぱり東京でも謝るんだな、大阪から百三十里も離れた東京でも事情は同じなんだな。じゃ、これはもう全国的に謝ってるんだな、と思って、《謝罪》を今回のコラムのネタにすることにした。映画の方はどうでもいい。


「〇〇駅で起こりました人身事故の影響で、電車の到着が遅れておりますことをお詫びいたします」

 駅で電車待ちをしているときに、こんな構内アナウンスが流れることがたまにある。たまに、というか最近けっこうあるような気がする。

 鉄道での《人身事故》が自殺とは限らない。しかし構内アナウンスを聞いて、酔っぱらいがホームから転落したとか、スマホに気を取られて足を踏み外したとかいった憶測をするよりも、まず投身自殺を頭に浮かべる人の方が多いのではなかろうかと思う。

 無残な最期を遂げたことであろう。しかし、たとえば朝一でお得意様との商談が待っているような乗客なら、どこの誰かもわからない人間が自殺に追いこまれなければならなかった事情を忖度して冥福を祈るほどの仏心を発揮する余裕はない。

「なんてこった。よりによって俺が乗る時間帯に自殺しなくったっていいじゃないか。それに路線なんかほかにいくらでもあるんだから、そっちでやれよ」

 このあたりが、焦っている乗客が抱く正直な気持ちだろう(憶測)。


 自殺か事故かはどうでもいいのだが、私は先日、人身事故による電車の延着を詫びるアナウンスがどうにも腹に据えかねて、駅長室に怒鳴り込みにいった。

「自殺は電鉄会社のせいやないんやから、あんたが謝らんでもええやないか! それにあんたら、大雨とかで遅れても謝るやろ。あんたらが雨降らしとるんか? ラッシュの時もそうや。車内がたいへん混み合いましてご迷惑をおかけしております、とかゆうて謝っとる。自殺した奴とか混んだ電車に乗ってくる奴に謝らせたれや……とゆうわけにもいかんやろな。それに、誰かがスイマセンを言わんと、イライラ待ってる客も気持ちが治まらんやろ。まあ、結局あんたらが謝るしかないか。しかし駅員も大変やな。自分たちの落度でもないのに、気の短い客から、いつまで待たせんねん、とか詰め寄られて。まあこれからも乗客の安全のために粉骨砕身してくれたまえ」

 と、勝手に納得して駅長室を後にした。


 私はドメスティック男なので、海外の事情は知らない。だから、これは日本だけではないのかもしれないが、謝罪を意味する言葉が必ずしも、過ちを認めることにはならないのは、ご存知の通り。

 謝意を表す代表的な言葉が《すい(み)ません》と《ごめんなさい》。

 焼き肉屋で注文をするのに、「すいません、ハラミを2人前」なんて言うのは日本だけだろうか。「ごめん、こっちビールね」なんて言う場合もある。

 なんの罪も落度もない市井の民が、しかも店の売り上げに貢献しようとしているのに、謝罪するのは日本だけだろうか。

 亜米利加の焼肉屋で注文をする時、"I'm sorry, harami for two" と言うのだろうか。たぶん言わないだろう。なにしろ謝ったほうが負けの国で、そんなことを言ったら、「ハラミを注文するときに謝って罪を認めたから」ということで、焼肉店側が訴訟を有利に進めることは間違いないからだ。

(注)客がハラミを注文するときに謝ったからといって裁判沙汰になることは、なんぼ亜米利加でも起こりえないだろうから、安心して渡米してください。


 また、例えば相撲中継の終了間際に、実況のアナウンサーから、
「本日の解説には元横綱の〇〇親方においでいただきました。親方、どうもありがとうございました」と言われて、〇〇親方が

「失礼しました」

 と返すのを聞くと、ある種の危機感を抱く。

《失礼しました》は悠久の昔から使われていた正しい謙譲表現なのだが、私はこの《失礼しました》が、《~させていただく》同様、敬語の増強競争に発展することを危惧するものである。

 敬語の増強の実例。《食べる》の尊敬語は《召し上がる》だけで充分なのに、それに慣れてしまって「敬意感」(造語)が薄れたのか、どことなく失礼な気すらしてくる。そこでさらに丁寧に、《お召し上がりになる》に増強されているが、とりあえず正しい日本語だからいい。

 しかし、それでもまだ何か足りないような気がしてか、「お召し上がりになられます」なんてくどい敬語が実際に使われ始めている。この調子では、《お召し上がりにおなりになられます》なんてミュータント敬語が出現するのに、そう時間はかからないだろう。

 これの何がけしからんかというと、本来はヘビー級だった《召し上がる》の重みを感じさせなくなってしまったことである。だから、その上にスーパーヘビー級の《お召し上がりになる》を設置しなければならなくなった。しかしそれも、年月を経て萎み始めると、こんどはエクストラ・スーパー・ヘビー級の《お召し上がりにおなりになられます》を設置しなきゃならなくなるのである。もう悪夢だ。

 近い将来、「あそこの店員、《なにを召し上がりますか?》とか抜かしやがんねん。ほんま口のきき方知らんガキや。ドタマきたから店で暴れたった」なーんてことになりかねない。

 これも一種の日本語破壊だが、できるだけ丁寧な言い方をしようという気持ちから出ているのだろうから、なんとも悩ましいところであるが、結局は、学校や家庭での日本語教育に帰される問題なのかもしれない。


《失礼しました》に話を戻すが、失礼どころか相撲を興味深く観るのに貢献しているのだから、これ以上、へりくだらないでいただきたい。
 そのうち《失礼しました》では、謙譲が足りないような気がしてきて、《申し訳ありませんでした》に増強され、さらに強力に……

「本日の解説は元横綱の〇〇親方においでいただきました。親方、どうもありがとうございました」
「私が悪うございました」

 なんてことにならないように、敬語の暴走には警戒しておかなければならない。


 話を面白くするためには不都合な真実はすべて無視する、という永吉流の作法から、あえて言及を避けたが、日本国民をミスリードするわけにはいかないので、ちょっとまともなことを付け加えておく。

《感謝》も《謝罪》もともに《謝》が入っている。この字を用いた《謝する》という言葉がある。

▼しゃ・する【謝する】

1. あやまる。わびる。「失礼を―・する」
2. 感謝する。礼を言う。「厚意に―・する」

――【大辞泉】より抜粋

 詫びることと礼を言うことは、われわれ日本人の心のなかで微妙に溶け合っているようだ。


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 自宅のパソコンで、あいも変わらず、日の目を見るかどうかわからない作品を描いている時でした。
 ネットラジオから、ビートルズの初期のヒット曲 "She Loves You" が流れてきたんです。リリースが1964年なので、私にしてみれば、もう半世紀にわたって聴き続けてきた曲です。

 特に好きというわけではないけれど、女房よりもつきあいの長い曲だからと(私、結婚歴はありません)、いっしょに歌いながら、日の目を見るかどうかわからない仕事を続けていました。

 She loves you, yeah, yeah, yeah
 She loves you, yeah, yeah, yeah

 途中で、おや? と気づいたのは、私が歌っていたのはこのパートだけで、あとはハミングをしていたことだったんです。
 つまり、半世紀も前から聴き続けていながら、いまだにこの部分しか歌えないということなんですよ。

 ググって調べてみたら、"She loves you~" の次の歌詞は、"You think you lost your love"(あなたがあなたの恋人を失ったとあなたは思っています=拙訳)だったんです。
 なんですかこれは。中学生レベルの英語じゃないですか。


 でも、ワンフレーズしか歌えないビートルズナンバーはこの曲にとどまりません。

 たとえば、"Let It Be" は

 Let It Be, Let It Be, Let It Be, Yeah, Let It Be

 の部分しか歌えないし、

 "Hey Jude" は

 Nah nah nah nah nah nah nah …… hey Jude

 の部分しか歌えません。

 "Help" なんざ、出だしの、

 Help!

 しか歌えないんですよ。


 ところが、こういうのを天啓というのでしょうか。ビートルズナンバーのなかで、唯一、まるで母国語のように明晰に聴き取ることのできた曲があるんです。

 それが、"Yesterday"

 Yesterday on my table sing sofa away
 Now it loops a zoo they heat say
 Oh, I bee lead in yes, today

 【拙訳】
 きのう、わたしのテーブルがソファーを歌い離れている上
 いま、それは動物園を環状にする彼らは熱、言う
 ああ、今日わたし蜂はイエスの中に導く――

 英語のできない私が聴き取れたということは、これが神の啓示だからなんです。
 この神髄を解説してもらうために、日本語訳をさらにエジプト語に翻訳してプリントアウトし、ビートルズに航空便で送ったら、その晩、かんかんに怒ったビートルズが、私の家までやってきて、訳文を玄関の三和土に叩き付けると、英語でさんざん喚き散らして帰っていきました。

 いったい何を怒っていたのかさっぱり解らず、私が玄関先でぽけっと突っ立っていると、イギリス滞在時代にビートルズと同棲していたことのある妻(私はずっと独身なので妻はいません)が、

「そんなことだから、いつまで経っても作品が日の目を見ないのよ」

 と苦笑しながら出てきて、ビートルズの言ったことを訳してくれました。

 ビートルズはこう言ったのよ――

 You she go red under can mountain! Me many I why? Let's afternoon, how door my It swimming stand cut drop as! We this golden where on the with!

 ――わかる? これが事実なら、あなたもう破滅ね。

 そして、妻は娘(もちろん私に娘なんかいません)を連れて、そろそろカニが美味しい季節だわ、とだけ言い残して北海道に旅立ちましたが、カニが北海道に行くための口実に過ぎないことはわかっていました。
 妻は、江戸っ子の娘を道産子に変換するつもりだったのです。私が江戸っ子なのを妻は結婚前からずっと恥じていましたから(私は関西人です)。

 けっきょく無駄になったエジプト語訳ですが、魂が宿っているので、それなりの作法に則って、庭で焚いた火にくべました(私はマンション住まいなので庭はありません)。
 ついでに結婚指輪も火に投じました(独身だから当然、結婚指輪なんか持っていません)。

 すると、どうでしょう! 立ち上る白煙の中から、全身を包帯でくるまれた、恐怖のミイラ男のようなものが現れ出でたのです。

「王に触れるな。王は神なり。触れるものはその炎で焼かれるであろう」

 そして、包帯の隙間から紙切れを取り出しました。

「ここに神意が示されている。これに従えば破滅から救われるであろう」

 そう言ってミイラ男は炎の中で燃え尽きたのでしたが、紙切れもいっしょに燃え尽きて、神意は永遠の謎になってしまいました。

 そんなわけで、私は破滅しましたが、それでも現在、月に最低15日の出勤日が保証された職場で働いています。
 初期高齢者にはまあまあの労働環境です。これを破滅と見るか、分相応の暮らし、と見るかは勝手にしやがれ。


 "She Loves You" に話を戻しましょう。読者のみなさんは全曲歌えますか? ……あ、これは愚問でしたね。すみません。こんな初歩的な英語、みなさんなら当然、歌えますよね。

 他にもビートルズ初期の代表的な曲としては、

 I Want To Hold Your Hand(邦題:抱きしめたい)
 Love Me Do
 Please Please Me
 I Should Have Known Better(邦題:恋する二人)
 We Can Work It Out(邦題:恋を抱きしめよう)

 などなどありますけど、このあたりなら、みなさんは寝言でも歌えるでしょう。
 日本人のほとんどが6年間も英語を勉強しているのですから、このレベルの英語が聴き取れないなんて、そんなべらぼうな話があってたまるか、こん畜生。

 俺は、中学高校ともに劣等生だったけど、英語だけは並の成績をとってたんだよ。だから、俺から英語を取りあげないでくれ。でないと、ただの能無しなっちまう。
 苦手だった数学も物理も現代国語もみんなお前にくれてやるから、頼む、英語だけは俺に残しておいてくれ。

 だから、"She Loves You" だって全歌詞を聴き取ってるはずなんだ。聴き取ったという自覚がないだけなんだ。半世紀も聴いてりゃサブリミナルに刷り込まれてるはずなんだ。大脳に保存されてるはずなんだ。俺の大脳を見てくれればわかる――

 といった内容のメールに、私の大脳の写真を貼付して妻の携帯に送ったんですけど、半年経ったいまも返事がありません。

 夫婦としての愛情と恋人としての愛情は比較が難しいけれど、夫婦間の愛情はいつも何らかの打算を伴っているような気がしてなりません。

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【難書】

 この二字熟語は、辞書には載っていない。いかにも載っていそうだが載っていない。難解な書物を言い表す単語としては、これほど適切なものはあるまいと思うのだが載っていない。

 難しい問題は「難問」、難しい言葉は「難語」、通行が困難な所は「難所」。いずれも辞書に出ている。その伝でいけば《難》しい《書》物で「難書」。いったいなんの問題があるのだ。なぜ、この語を世間は認めないのだ。

「難書」という字を見て、大理石かなんかでできていて重くて「開くのが難しい」書物だとか、金正恩だけが読むことのできる「入手が難しい」書物だとか、そんなイメージを抱く人は少ないだろう。やはり「理解するのが難しい」書物しかイメージできない。


【誤選】

 これが辞書にないというのも合点がいかない。てっきりあると思って遣おうとしたが、念のために辞書を見たら出ていなかった。ググれば見つかるが少ない。中国語としてならかなりヒットするようだ。

「誤読」「誤聞」「誤解」「誤嚥」「誤飲」「誤記」「誤見」「誤殺」「誤算」「誤写」「誤射」「誤称」「誤植」「誤信」「誤診」「誤審」「誤想」「誤認」

 などなど、これら以外にも《誤》のつく熟語は辞書にもてんこ盛り出ているのに、どういうわけか、「誤選」がない。《誤》って《選》ぶのだから「誤選」。熟語としては完全無欠ではないか。なんでや? なんで辞書にないねん!

「ミス・ユニバースの栄冠を獲得して喜んでたら、あれは誤選でしたって取り消しの通知を送ってきやがったのよ、畜生!」

 なんて場合にはお薦めの熟語なんですがね。遣えないんですかそうですか。


【善民】

 この言葉なくして、いづくんぞ我らが民の徳性を云ひ表さんや。

 まさに日本人のためにあるような言葉ではないか。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」国民の気質をこれほど的確に表現した言葉はない。

 ちなみに「賢民」も辞書に出ていない。「愚民」はあるのに、いったいどういうつもりで「賢民」を外しているのか? 民衆とはいつの時代も愚かなものだと、辞書の編纂者たちは言外に匂わせているのか?

 その他、見るからに辞書に載っていそうだが、載っていない熟語をいくつか挙げてみた。すべて音読み。

「狭路」「速進」「急止」「激風」「泥眠」「健育」(すこやかに育つ)「妨眠」(眠りを妨げる)「美詩」「凡説」「遭災」(災いに遭う)など。

 造語の濫用は感心しないが、的を射た言葉であるにもかかわらず辞書にないからといって使わないのは創造的ではない。そういうのを「字引き原理主義」(←造語)と言う。
 私は、今後これらの熟語を恐る恐る濫用しようと決断したのであった。



 造語であっても、意味が十全に伝わるのであれば遣っていい。私が許す。

 例えば、京都の女は「京女」(きょうおんな)として辞書に出ているのだから、大阪の女も「大女」(おおおんな)として辞書に載る権利がある。
 となれば熊本の女は「熊女」、鹿児島の女は「鹿女」である。
 ちなみに鹿児島の男は「鹿男」だが「鹿男あをによし」にすると奈良の男になるから注意したい。

 また、怒っているスズメを言い表すのなら「怒雀」(どじゃく)で充分である。「憤雀」(ふんじゃく)でもいい。
 困っているウシなら「困牛」(こんぎゅう)。
 卑怯なマグロなら「卑鮪」(ひゆう)。
 野菜が襲撃してくることは「菜襲」(さいしゅう)。

「菜襲」という字を見るだけで、野菜が群をなして人びとに襲いかかり殺戮の限りを尽している凄惨な光景がありありと浮かんでくるではないか。
 これまで日本語には、野菜の襲撃を言い表す言葉がなかったのだ。なぜ、この言葉が遣われなかったのか不思議でしかたがない。

 また、畳職人の家に飼われているブタなら「畳豚」(じょうとん)。
 旅館で仲居をしているタコなら「旅蛸」(りょしょう)。
 林業をいとなむ家に住む3人の平民なら「林家三平」。←二字熟語ではないが、まあ面白いからいいではないか。

 女性に振られることは、「女振」(にょしん)で充分に伝わる。もっと具体的に、「三田佳子に振られる」というのなら「三振」(さんしん)でいい。
「どうしたんだい今日は。なんだか元気がないじゃないか」
「うん……三振しちゃってね」


 ★ QUIZ ★ 辞書に載っていない二字熟語を探せ!

 【問題】
 以下の文中で辞書にない二字熟語って一体全体どれなんだよ、おい!

 ――電車が遅着したせいで、いつも始業前に寸食を取っていたスターバックスに寄ることができず、私はキオスクで買った岩煎餅をばりばりと噛砕しながら会社に急歩で向かった。

 スターバックスでの裕憩。新聞を読みながら悦味するホットベーグルサンド、そしてコーヒー。それら毎朝の愉楽を奪われた私は、憎憤にかられていた。

 途中、こうなったのは電車が遅れたせいだと気づき、私は電車に報讐すべくUターンして駅に戻り、乗車券も買わずに改札内に突侵し、ちょうど接駅しようとしていた電車に殴りかかろうとしたら駅員に拘引されて、駅長室で叱譴された。とても楽しかった――。


※正解は読者のみなさんがこの問題をすっかり忘れたころに発表します。多分そのころは私も問題のことなんかすっかり忘れているでしょう。

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 ひらがなばかりでかくことに、どういういみがあるのか、じっさいにひらがなばかりでかいてみればわかるかもしれないというたんきゅうしんから……といえばきこえはいいが、かんじへんかんなどというめんどうなことをしなくていいから、というのがしんそうなのであった。


● ひらがなでかくことの《でめりっと》

 なんといってもよみづらい。
 ともだちどうしでのめーるのやりとりなら、かってにしやがれ(かんとく/じゃん=りゅっく・ごだーる/ふらんす)だが、めんしきどころか、なまえもきいたことのないどくしゃからひらがなおんりーのめーるをもらったときは、さすがにあたまにきてぜんぶもーるすしんごうのへんじをかいてやった。というのはうそだ。

 とくに、ふだんのかいわではつかわれないことばをひらがなでかくと、いっそうよみづらくなる。

 たとえば「ひがのさ」などとかかれると、どこかのほうげんかとおもってしまう。

そりゃおめ、ひがのさぁ」「んだなぁ

 なんてかいわがきこえてきそうだ。だから、ここはかんじで「彼我の差」とかけば、このかんようくをしらなくても、じぶんとあいてのさ、といういみであることがたちどころにわかるではないか。ひょういもじのべんりなところである。

 ひらがなばかりのぶんしょうでとくにこまるのは、たんごがせんてんすのなかにまいぼつしてしまうことである。そのけっか「ぎなたよみ」がはっせいする。

▽「ぎなた読み」の由来[Wikipediaより]

「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきところを「弁慶がな、ぎなたを持って」と読むように、句切りを誤って読むこと。弁慶読みとも。

 いくらなんでも、そんなよみまちがいするやつおらんやろ、とおもったが、ひとりいた。わたしだ。
 こどものころにがっこうで「ほたるのひかり」をうたうときはいつも、「ぞけさ」ってなんだろうとおもっていたのだが、これは「開けてぞ今朝は別れ行く」を「あけて/ぞけさはわかれゆく」とよんでいたのだった。

 おりじなるのぎなたよみをつくってみた。

こんどるすはだいじょうぶか

・今度留守は大丈夫か
・コンドル素肌異常部下

 ふう。これしかかんがえつかない。


● わかちがきにしてみる

 おうべいのげんごは、たんごごとにすぺーすをいれるから、たんごがぶんのなかにまいぼつすることはない。にほんごのかきかたで、これにそうとうするのが「わかちがき」である。

 わかちがきとは……

 ぶんやぶんしょうをわかりやすくするため、ごとご、あるいはぶんせつとぶんせつのあいだをあけてかくこと。また、そのかきかた。
(だいじせん)

 だから、どうしてもひらがなでかかなければならないじじょうがあるのなら、わかちがきで、たとえば こんなふうに ぶんせつ ごとに くぎれば かくだんに よみやすくなる。それでもまだ よみにくいのなら、ひんし ごと に わけて かく の も いい。いや それ でも よみ にくい と いう の なら い ち も じ ご と に わ け て も い い 。 た だ こ う す る と わ か ち が き の い み が な く な っ ち ゃ っ た り な ん か し て 。


● ひらがなでかくことの《めりっと》

「ひどい」「むごい」は「酷い
「どれ」「いずれ」は「何れ
「さいちゅう」「さなか」「もなか」は「最中
「とげ」「いばら」は「

 ちなみに、「あかぎれ」も「ひび」も、

」もしくは「

 と、かくのだが、このふたつのかんじ、へんとつくりがいれかわっただけ。なぜこんなあんちょくなかんじがうまれたのだろうか。

「ぬるい」も「ぬくい」も「温い」とかく。
温かい」は「あたたかい」とよんでもらえるが、「温い(ぬるい)」も「あたたかい」とよまれてしまいそうで、いつも、つかうのをちゅうちょする。
「温くなったビール」を「あたたかくなったビール」とよまれると、ほっとびーるのことだとごかいされかねない。

 こういうときは、やはりひらがなをつかってかきわけるべきだが、そんなこといちいちいわれなくても、だれでもやっているのだろう。たぶん。


● ひらがなのこうせき

 がいこくにりょこうをして、ああ、このくににきたのだな、とかんじさせてくれるさいだいのようそは、なんといってもそのくにのげんごだろう。

 もう、にじゅうねんちかくまえのことだが、にゅーよーくにりょこうをした。
 はじめてのべいこくだったが、どちらをむいてもえいごばかり。ぜいかんのしょくいんまでえいごをはなすので、わたしは「こ、これは、まちがっておーすとらりあにきてしまったんじゃないのか?」とろうばいし、もうすこしで、にほんたいしかんにほごをもうしでるところだった。

 まちをあるいて、えいごのかんばんばかりでは、そりゃだれだっておーすとらりあとまちがえるだろう。

 がいこくじんりょこうしゃがにほんのまちをあるきながら、みせのかんばんにかんじがつかわれているのをみて、じぶんがちゅうごくにいるのとかんちがいした、なんてはなしをきかないのは、ひらがながあるからである。

 いっぽう、ちゅうごくにりょこうして、ちゅうごくごのかんばんをみて、じぶんがちゅうごくにいるのかほんこんにいるのかたいわんにいるのか、わけがわからなくなって、きがくるうがいこくじんがあとをたたない。

 やはり、ひらがなはすばらしい。げんじものがたりだって、げんぶんはひらがなでかかれていたのだ。ひらがなだけでじゅうぶんだ。

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