エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




「大器晩成」ゆうがはまっこと罪作りな四字熟語やのう、武市さん。誰が言い出したがじゃ! 

「龍馬伝」以降、NHKの大河ドラマはまともに見ていない。その次のシリーズの途中で、地デジに移行してしまってテレビが見られなくなったからだ。だから、私のなかで大河ドラマは「龍馬伝」で止まっている。

 大河ドラマはどうでもいい。
 高校3年の時、私が絵画の方面に進みたいと両親に話したら、画家を志す息子の夢を打ち砕くために父親が使う定型文「絵で飯が喰えるか」で反対された。
 それから40年経ち、57歳になったが、いまだに絵で飯を喰ったことがない。イラスト制作の依頼を受けていくばくかの利益を得たことはあるが、絵を売るというのとはまた違う。

 そろそろ亡父の遺影のまえに額ずいて「父よ、あなたは正しかった」と敗北を認めなければならない年齢になったようだ。
 とはいえ、画家が詩人でも役者でも歌手でも、あの父親ならどのみち反対したであろうことは容易に想像がつく。

 *

 絵の道に進むことができたのは母親のおかげだった。父親を説得してくれた。そして、「あんたは大器晩成型なんだから、絶対に諦めたらいかんよ」と励ましてくれた。それを信じて私は結婚もせず、安定した職にも就かず、藝道を歩んできたわけだが、ここにきて、素朴な疑問の前に立ち止まらざるを得なくなった。

 疑問というのは、大器晩成の「晩」である。どのくらい晩になれば「晩」と呼んでいいのだろうか、ということだ。私は3月で58歳だから、憚りながらと自己査定したとしても、充分「晩」に入れてもらっていいような気がするのだが、その辺りを自分に問うても、禅問答もどきの答えで逃げられるだけだ。

「晩、とはいつのことか」
「晩になればわかる」

 仮に晩に至っていたとしても「成」の方はまだ兆候すらない。

「成る、とは何か」
「成ればわかる」

 だいたい「大器」というのもよくわからない。
 たんに成功した人ということではなさそうだ。事業で大成功を収めたからといって、ブロードウェイで主役の座を射止めたからといって、その人を安易に「大器」と呼ぶのには抵抗がある。
「苦節40年。60歳にしてやっと芥川賞を獲って大器に成ることができました」などと言ったら、その作家が器の小さな人物に思えることだろう。

「私は金には不自由しない」
「あたしはIQ180の才媛よ」
「俺はイケメンだ」
 ……ちと癇に障るが、このあたりなら客観的に判断できるから、事実であれば認めるしかない。
 しかし、自分で自分のことを大器と称した瞬間に、その人は小器になってしまう。つまり、大器かどうかは他者が評価することであって、大器自信は、大器であるという自覚を持ってはならないのだ。

 てことは、自分が大器だという自覚のない私は、すでに大器になっているのかもしれない。
 人目を憚って、陰で密かに私のことを大器と呼んでいる人たちがいるかもしれない。いや、きっといるはずだ。しかし私はそれを知らないから、自分のことを大器だとは夢にも思っていないのだ。万歳!

 *

 家族をもつことにも、安定した生活にも背を向けて、私に藝道を歩ませたものは何だったのか?
 それは私が、結婚にも安定した職業にも興味がなかったからだ。画家になるという目的がなかったとしても、たぶん私は結婚していなかっただろうし、定職にも就かなかっただろう。

 結婚に関心をもつための、「家族がほしいなホルモン」(KHH)が、私の脳下垂体から分泌されていないということが、先日メタボ健診(費用:500円)を受けた病院の検査で判明した。
 このKHHが脳内に分泌されることによって、「つまらない仕事でもいいから家族のために安定した職につきたい酵素」(TKAE)が十二指腸内に作られるらしい。

 つまり私は、家族も生活の安定も諦めて絵の道に邁進してきたのではなくて、すべての人間の活動を支えている脊椎、「家族を持つ意志」「安定した生活をする意志」という脊椎が生まれたときからないため、その空洞に絵画が流れ込んだだけのことなのである。
 絵画を選んだというのもたまたま、美術(図工)の成績が良かったからであって、決して美術表現への渇望に衝き動かされたわけではない。英語の成績がよかったから語学の方面に進みたいというのと同じ発想だった。

 だからもし、幸か不幸か交際していた女性に子供ができていたら、絵なんぞ放擲し、絵描きになるために投じてきた時間もカネも、母親の励ましもきれいさっぱり忘れ、私個人の願望は滅却し、愛の巣作りのために、適性があろうがあるまいが確実に収入を得られる仕事を選んでいたことだろう。
 案外その方が、大器晩成なんてお題目に呪縛されて生きるよりよほど自由な人生が送れたかもしれない。

「妻は私と違って頭の切れる女でほんとうに助かった。息子も娘も一人前の家庭をもって、可愛い孫の顔を見せてくれた。ああ人生は上々だった」

 と、ささやかな満足を得て小往生を遂げることができたかもしれない。

 *

 しかし、もういまからでは家族も安定した生活も望めない。
 駅を出た時点ですでに脱線していた列車は、荒れ野を走り、暗い森を抜け、険しい山を昇る。大雨でも大地震でも人を撥ねても運休するわけにはいかない。
 断崖に追突するか海に転落するまで走り続けるしかないのである。

 運がよければ、いつか「晩成」という終着駅が見つかるかもしれないが、その時は、大器じゃなくていい。中器でいい。

 いや、それよりもいっそ走るのを止めて、錆ついてしまうのもいい。鬱蒼とした草叢のなかで立ち枯れている列車も味わいがあるではないか、御同輩。


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 バイエルン国王の破滅的な人生を描いた洋画があるのだが、そのタイトルがどうしても思い出せなかった。

 映画は観たし、監督がルキノ・ヴィスコンティで、主演がヘルムート・バーガーだったことも思い出せるのに、そのタイトルが思い出せない。
 ググれば簡単にわかることなのだけれど、自力で思い出すことが、加齢による記憶力の低下をいささかでも防いでくれるような気がして、2~3日努力してみたが、やはり思い出せなかった。

 けっきょく根負けしてググると「ルートヴィヒ」だとわかった。
 しかし、どうもすっきりしない。
 そうそう、ルートヴィヒじゃん、ルートヴィヒ! ……とはならない。

 なんだかルートヴィヒじゃないような気がする。

 ヴィスコンティを特集した映画祭のパンフレットを持っていたことを思い出して、引っぱり出してきたが、そのなかにもしっかりと記してある。

「ルートヴィヒ」1972年
 出演:ヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー

 しかし何かが違う。何かが食道あたりにつかえている。

 しきりに首を捻っていたら、ふと「フリードリヒ」という言葉が浮かんで、私は、あ、これだと思った。
「フリードリヒ」だと、すんなり腹に収まる。しっくりとくる。

 間違いない。映画のタイトルは「ルートヴィヒ」ではなくて「フリードリヒ」だったのだ。

 真実は、物的証拠によってではなく、しっくりくるかどうかで証明されなければならない。


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