エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人



 
 ♪三味(しゃみ)と踊りは習いもするが習わなくても女は泣ける~
 (笹みどり「下町育ち」)

 平成二十四年以降に生まれた読者は、恐らくこの曲を知らないだろう。歌詞の意味は、三味線と踊りは師匠に教えてもらって覚えるものだが、誰にも教えてもらわなくても、女は泣くことの作法を知っている、とかなんとか、まあそういうことである。
 こんなことを書くと、また女性から反撥を買いそうだが、女性は泣けるからいい。悲しくても嬉しくても悔しくても涙を流せる。あくびをしても涙を流せる。そしてそれが絵になる。女の涙が絵になるという伝統は日本だけのものではなかろう。

             ■□■

 昔の話だが、私が交際していたある女性は、ケンカになると必ず泣いた。自分が一方的にまくし立てておいてワーッと泣くのだ。こっちが反撃する暇を与えずに泣くのだから、紳士協定に反する。

 永吉くんがそんな回りくどいこと言うからアタシだって腹が立つじゃないのなによその言い方アタシがいつも邪魔してるみたいに言ってさそんなにイヤだったらもういいアタシだって永吉くんみたいなドンくさい男ほんとは大嫌いだったんだからもうアタシのいる所にこないでワー!!!(泣)

 という風に、罵倒から号泣へシームレスに移行するというテクニックを、生得的に持っているかのように巧みに操るのだ。
 もっと高度なテクニックを使って、罵声を浴びせたうえにヒトの顔をフルスウィングで引っぱたいておいて泣くこともあった。

 だいっ嫌い! バシッ! ワー!!!(泣)

 涙を見たらもう戦意を喪失してしまう。このテクニックを「ヒット・アンド・アウェイ」と呼ぶ。これが最も奏功した場合には、さらに男に謝らせることまでできるのである。
「ああ、泣かなくてもいいじゃないか。ごめん。僕も言い過ぎたよ」
 まあ、これは私の時代の若い女性であって、今の若いコのことは、わしゃ知らんがね。

             ■□■

 絵になる男の涙は、何かを達成した時の涙くらいのものだ。ただし達成といっても、スポーツで世界タイトルを奪取したとか、そのくらいの偉業でないとダメだ。梅干しの種飛ばし大会で優勝したくらいで泣いたりしたら逆に笑われる。……と、生まれたときからそう思っていたが、存外そうでもなさそうだ。
 先日、大阪の千日前にある居酒屋(地下鉄千日前線なんば駅から徒歩5分)で、焼き鳥の盛り合わせを食べながら、私より10歳ほどヤングな女性に突撃取材を敢行した。

「泣く男ってさぁ、君はどう思うのやねんかいな?」
「まあ、泣き落としみたいなことする男はイヤねでんがな」
「テレビドラマを観て泣く男なんて最低だよねでっしゃろ?」
「そんなことないわよ。感受性の豊か人なんだなって思うわまんがな」
「要するに、泣くことそのものには良いも悪いもなくて、どういう時に、どういう風に泣くかってことだよねでおますやろか?」
「結局そういうことよねまんねんでんねん」
 
 とまあ、そんなことだった。つまり想像していたより、女性は男の涙に寛容なのでありましたとさ。でも今の若いコがどうかは、僕ァ知らんよ。

             ■□■

 てなわけで、男性もわんわん泣いていいことになったのであった。だいたい、男性にも涙腺が備わっているのだから、男が泣く権利も憲法で保障されてしかるべきだ。これを行使しないのは宝の持ち腐れである。せっかく銃を所持していながら誰も射殺しないまま錆びつかせてしまうようなものだ。
 だからといって、女性と同じような泣き方をしても許されるというものではない。「よよ」と泣く、「さめざめ」と泣く、「しくしく」と泣く、が女性の泣き方だという定義があるわけではないが、どうも女性的なニュアンスがある。「ごむごむ」とか「まぬまぬ」とか、男の泣き方に相応しい擬声語も考え出さなくてはならない。
 また、泣きの様式も、女性のように8種類の決まった形があるわけではないので、これも男性向けに考案しなければならないし、それらをどう使い分けるのかも決めておく必要がある。問題が山積みだ。正直なところ、この件からは手を引きたいと思っていた。

「まったく厄介な仕事を引き受けちまって、泣きたい心境だよですたい」
 大阪で女性に取材した帰りに、博多の中洲にあるキャバクラ(地下鉄箱崎線・空港線中洲川端駅から徒歩5分)に寄って、キャバ嬢のひとりに愚痴をこぼしたら、彼女も男の涙に興味を感じたらしく、いろいろ訊いてきた。
「嬉し涙って流したことあるのですたい?」
「そういや、ないねえばい」
「じゃあ、永吉さんの人生で嬉しいことがなかったってことよねですたい」
「嬉しいことか……何にもなかったような気がするなぁ。辛かったことか腹が立ったことか恥かいたことしか思いつかないよばい」
 自分の幸薄き人生を顧みると、急に悲しくなってきて涙が溢れ出した。私が思わず腕で涙を拭うと、キャバ嬢が手を叩いた。
「それよ。その泣き方、男らしいわですたーい!」
 そうだ。これが男泣きというものだ。私はこの、腕で涙を拭う泣き方を「アスタラビスタ様式」と名付けた。女性と対等になるためには、様式をあと7種類も考案しなければならないが、とにかく第一歩は踏み出した。

 店を出たものの、まだ飲み足りなかったので、足を延ばしてもう一軒、仙台にある馴染みのノーパンしゃぶしゃぶ店(地下鉄南北線勾当台公園駅から徒歩5分)に行った。そのついでにシャブ嬢に訊いてみた。
「あのさ、キミ、男の涙って、どうおもうだべ」
「そうねぇ。男泣きはヴァイヤ・コンディオス様式で見るのが最高よねだべ」
 愕然とした。仙台ではすでに男の泣き方が様式として確立していたのだ。私は居ても立ってもいられなくなり、いつも持ち歩いているタッパーに、残ったしゃぶしゃぶ肉を詰め込み、ジョッキのビールを水筒に移して店を飛び出した。

 笑ってやってくれ。私は自分が男泣き様式の創始者として、重い十字架を背負っているつもりでいたのだ。私がそんなお節介をしなくても庶民は必要があれば、どこの誰がということもなく自らそれを生み出すものだ。
 庶民という一見野放図な群は、本人達も気づかないうちに個々がひとつの細胞となり、相互作用し、時代の要求に応じようと、あたかもひとりの人間であるかのように行動する。私は迂闊にもそれを失念していたのであった。


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 亡き父親の事業を30歳という若さで継いだ桃山大吾氏が遺体で発見されたのは早朝だった。
 廊下を掃除しようと2階に上がった住み込みの家政婦が、若社長の部屋のドアが半開きになって、そこから人の腕が突き出ているのを見つけた。
 不審に思った家政婦が部屋の中を覗くと、若社長が全裸で横たわっていた。
 放蕩息子の不行状を知っていた家政婦は「またか」と思ったが、それが血溜まりの中に上半身を沈めているのを見て、いつもの女出入りとは少し違う何かを感じ、「こんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」と揺り動かしたが反応がない。脈拍がないことと瞳孔が拡散していることから死亡を確認し、警察に連絡したということだった。
 
 幸い、窓ガラスをぶち破って部屋に入って来たスズメたちが、テーブルの上に散らかったパン屑をついばんでいた以外は、ほぼ現場は保存されていた。
 犬川巻警部は、まず、第一発見者の家政婦から話を聞いた。
「生きている桃山大吾氏を最後に見たのはいつですか?」
「大吾さんはいつも自室で夕食を召し上がるので、食器を下げにこの部屋に入った時に見たのが最後です」
「それから遺体を発見するまでは、2階には上がらなかったんですか?」
「上がったけど部屋には入りませんでしたよ。殺したのはあたしじゃありませんからね!」
「いやいや、そうは言ってません。でも何をしに上がったんですか?」
「大吾さんが大きな声で何やら怒鳴ってらっしゃる声が下まで聞こえたから、そっと様子を見に行っただけですよ。もう12時近かったと思います。しばらく立ち聞きはしたけど、部屋には入ってません」
「大吾さんは何を言っていたんですか?」
「電話をしてたようなんですけど、外国語みたいで何を言ってるのかは分からなかったですね」
「電話? でもこの部屋には電話機はありませんよね。それに携帯電話も見当たらないし」
「あら、ほんとだわ。でも、あたしが殺したんじゃないですよ!」
 家政婦は逃げるように1階に降りて行った。
 桃山氏は、少なくとも前夜の12時頃までは生きていたということになる。

 次に、テーブルの前の椅子に腰掛けていた木の人形に訊いた。
「社長とはどういう間柄だったんですか?」
 人形は微動だにしなかったが、警部の問いに対して、テレパシーで答えた。
《間柄も何も、僕はただ社長さんの話を黙って聴くだけの人形ですからね》
「人形さんは、何時頃からこの部屋にいらしたんですか?」
《先代の社長さんが死んでからだから、もう1年以上ここに座りっぱなしです》
「じゃあ、事件の一部始終はごらんになったわけですね」
《僕はこの通り眼をつむった人形なので、見てはいませんけど、音や声は聞きました》
「是非それを聞かせてください」
《わかりました。僕はウドの大木から作られた人形なので、聞いたことを正確に再現することができます》
 人形は、録音を再生するように、事件発生時の状況を再現した。
 しばらくは、桃山氏の愚痴を聞かされる。好きで会社を継いだのではないこと、会社の実権を握っているのは副社長で、自分は傀儡に過ぎないことなどを語っていると、ドアをノックする音がした。氏がドアに近づく足音、そしてドアを開ける音がして「貴様、太平洋が」と叫ぶ若社長の声に続き、何かが床に倒れる音が聞こえ、それから後は何の音もしなくなった。
「なんだ、これだけか。所詮ウドだな」
《人形にあんまり期待しないでください》

 警部は次に、この部屋で飼われている柔らかい太陽に聴き取りを試みたが、やはり畜生だ。何を訊いてもただグニャグニャと輝いているだけだった。平べったい馬もただの畜生だった。ザリガニにはすでに死んでいた。窓ガラスに張りついていたヤモリはガラスの外側にいたので事件とは関係ないと判断し、聴き取りはしなかった。



 桃山氏の家族である母親と弟は、息子であり兄である人物が2階で死んでいると聞いて、びっくりしていた。
 警部は、まず夫人から話を聞いた。
「全裸で死んでいるのですが、脱いだ衣服が部屋にないんです。いつも衣服はどこにしまってらしたんですか?」
「ああ、あの子の部屋にはしょっちゅう女性が訪ねて来ていたので、すぐに対応できるようにと、自宅ではいつも全裸でいたんです」
 続いて、次男の省吾に訊ねた。
「お兄さんが誰かに恨みを買っていた様子はないですか?」
「僕が恨んでます。経営の才能も情熱もない兄貴じゃなくて、僕が会社を継いていれば、副社長の一派に会社を牛耳られることもなかったんです」
「昨夜の12時から朝まで、弟さんはどちらにいらっしゃいましたか?」
「そんなこと、警察の人に言えるわけないじゃないですか」

 警部が手掛かりを捜して殺人現場となった部屋を歩き回っていると、携帯電話の着メロが聞こえた。曲は『東京ブギウギ』。警部の携帯の着メロは『東京ドドンパ娘』だから、ちょっと親しみを覚えたが、それがどこから聴こえてくるのかが分からない。
 音のする方向をたどると、遺体が握っているバナナに行き着いた。警部がそのバナナを取り上げると着メロは鳴り止んだ。バナナが携帯電話になっていたのだ。



 どういう構造になっているのか調べるために、そのバナナの身の部分を少しづつ先端からほぐしてみたが、最後までバナナだった。これはつまり、バナナの形をした携帯電話ではなくて、携帯電話の遺伝子を組み込んだバナナかもしれないと警部は推理した。試しに、その一片を食べてみたが、味は普通のバナナだった。しかも美味い。あまりに美味いので全部食べてしまった。
 警部がしばらくその場に佇んでいると、また着メロが鳴った。今度は美空ひばりの『リンゴ追分』だった。
 どこから聞こえてくるのかは曲名ですぐに分かった。テーブルの上のリンゴだ。ただ、どのリンゴか分からない。ひとつひとつ耳に当てて、音を発しているリンゴを見つけた。



 警部は、そのリンゴのどこがスピーカーか分からないが、とにかく耳に当てて「もしもし」と言った。
《→●+※^^; #》
 アジアのどこかの国の言葉のように聞こえたが、理解できないので、しばらく黙っていたら、また、
《△:%ToT*=》
 という意味のわからない言葉が聞こえた。応答のしようがないので、黙っていたら切れた。



 司法解剖の結果、桃山大吾氏の死因は、鋭利な刃物で胸を刺されたことによる失血死と判明した。
 凶器と見られる果物ナイフはテーブルの上に載っていた。普通なら、証拠隠滅のために犯人は凶器を持ち去るものだが、わざわざ遺体から数歩離れたテーブルの上に置いてあったということは、敢えて殺害をアピールしているかのようだった。



 そしてもうひとつ解剖で判明したのは、氏がタタール人(韃靼人)だったということだ。これについて、母親の桃山夫人は、
「生まれた時から、この家で暮らしてきたのに、あの子がタタール人だったなんて。まったく気がつきませんでした」
 と、驚きを隠さなかった。
 ということは、家政婦が聞いた外国語も、警部が携帯から聞いた外国語も、タタール語の可能性がある。

 木偶人形。タタール語。携帯電話化した果物。ザリガニ。スズメ……
「!」
 警部の頭の中でそれらの点が、突如として線になった。
「こいつは、まったくの盲点だったな」
 
 翌日、事件の解決を祝したパーティが桃山邸で行われた。
 出席者は桃山夫人と次男の省吾、家政婦の赤袴小町、故桃山氏のセックスフレンドたち、そして犬川巻警部の85人だった。
「兄貴が死んでくれたので、会社とセックスフレンドは僕が引き継ぎます」
 省吾は力強く語った。
「でも省吾さん、お兄様に恨みを持ってらしたあなたが犯人だったなんて、意外性がなくてクソ面白くもありませんでしたわよ。ねえ奥様」
「赤袴さん、不謹慎ですわよ」
 夫人が家政婦をたしなめた。
「殺人事件なんてのは、だいたいクソ面白くもないもんですよ」
 そう言って、警部はワインをひと口すすった。



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