エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人





 今でこそ、電車内における携帯電話での通話は《マナー違反》として、世間一般に認知されているが、まだ20世紀、携帯電話が世間に浸透し始めた頃は、そんなマナー意識はなく、電車内でもあちこちで通話している乗客がいたのを覚えている。
 かくいう私も、何の抵抗もなく車内で携帯を使っていたいたクチであるが、そのうちに、それは公衆マナーに反すると主張する人たちが現れて、え、ほんまに? そんなに気になるもんなん? ぼくは何とも思わへんけどなぁ、と意外に感じた記憶がある。
 そばに相手もいないのに、なにやら独りでしゃべって独りで笑っている光景は、当時としては奇異な印象を与えただろう。とはいえ同窓会帰りのオバさんたちや、忘年会帰りの酒臭いオっさんたちの傍若無人なダベりに比べれば、携帯電話での会話なんて奥床しいもんやないか、と思ったものだ。

 しかし世間の認識が変われば、そのなかで呼吸をしている個人の認識も変わる。私も自然と、車内で通話をしている人間を見て、底知れぬ憎悪を感じることができるまでになったのだった。

 なぜ、かつては何ら痛痒を感じなかった他人の行動に不快感を抱くようになったのか。世間という清濁混じり合った大河のなかで流されるままになっていることで安心を得ていた私には、およそ考え及ばぬことだった。

 不快に感じるようになったのは、車内での通話はマナー違反ですよ、という認識が広がってからのことだろう。
 のべつ幕なしにしゃべり続けるとか、大声で話すとかいうのでない限り、他人の会話そのものは不快ではないはずだ。車内での通話はマナー違反、という常識が浸透しているにもかかわらず、悪びれもせずに通話をしている《ならず者》から聞こえてくる会話だから不快になるのである。


 もうひとつ、私がマナー違反だと長い間気づかなかった他人の行動に、電車内や食事の席での女性の化粧がある。これにも眉を顰める人たちがけっこういて、Yahoo!でググってみると、不躾な行為であるという意見が多い。

 ところが私は、女性がどこで化粧をしようが気にならない。何が他人の眉を顰めさせているのかわからない。同性からすると、見苦しいものを見せつけられているから、というのが気に食わない主な理由らしい。

 私は仕事の性格上、食事に当てる時間がなくて、コンビニで買った握り飯やサンドイッチを移動中の電車のなかで食べなければならないことがある。時計を気にしながら、握り飯の包装をばりばり破って貪り食い、ペットボトルのお茶を喉をぐびぐび鳴らして飲むわけだが、果たして、化粧をするのとどちらが見苦しいだろうか。

 Googleでヤフってみたら、車内での飲食については寛容な意見が多数を占めている。食欲に男女の壁はない。くさやの干物やシュールストレミングを食べるわけではないのだから。お腹が空いたのなら仕方がないわね、おむすびじゃ怒れないわね、いいわ、ゆるしてあ・げ・る。ということだろう。

 化粧も、家を出る前にする時間がなかったから、やむなく車内という衆人環視のなかでしているのだろう。私が車内で握り飯を食べるのと同じ論理だ。私は男だから女心の機微団子はよくわからないが、女性にとって化粧とは、腹を満たすのと同じか、それ以上に大切なものなのかもしれない。

 ……いやいやダメだ。電車内での化粧は厳禁にすべきだ。車内での化粧は《見苦しい》という意見が多数を占めているっぽいからだ。多数っぽい意見には従わなければならない。でないと各人が身勝手な判断で、すでに周知されたっぽい公衆マナーを骨抜きにしかねないっぽいからだ。

 だから今はぜんぜん気にならないが、これからは、車内で化粧をしているならず者を見たら不快になるように努めようと思う。


 職場や公共の場での、気に障る他人の行為をGoogleでググってみると、わんさと出てくる。

 タバコのポイ捨てや唾吐きといった悪名高いものを始めとして、電車の乗り降りの時に入り口付近に立って動かない、道端に坐り込む、口を塞がずに咳やくしゃみをする、食事の時にくちゃくちゃと噛む音を立てる、車内が空いているのに優先席に座っている、知り合いなのに挨拶をしない、歩きスマホ、パソコンのキーボードでENTERキーをいちいちカーンと打ち鳴らす……などなど。

 上に挙げたなかで、私は歩きスマホについては不快を感じない。
 しかし、“歩きながらの携帯電話の操作は危険ですのでおやめください”と、駅構内で、しょっちゅうアナウンスしているところを見ると、歩きスマホもマナー違反なのだろうから、今後は私も、歩きスマホをしている輩を見たら不快感を抱くことができるように粉骨砕身する所存である。


 さまざまな行為のマナー違反化の流れのなかで私が危惧するのは、男性のヒゲまでが、その対象になるのではないかということである。

 私は現在、ヒゲ禁止という狭量な職場にいるので我慢しているが、二十代半ばから五十代始めにかけての約三十年間、鼻の下にヒゲを蓄えていたのだ。
 だから隠居したら、大好きなヒゲをこれ見よがしにボーボーに伸ばすつもりでいる。ただ現状から推測すると、死ぬ直前まで働き続けなければ生活ができそうにないので、隠居もできそうにない。

 男性のヒゲが嫌いな女性のまあ多いこと。
 検索してみると、ヒゲに対する印象はすこぶる悪い。三大紙のうち私が購読している一紙に、ヒゲが嫌いでたまらない、という女性の悩み相談が載っていたが、それほど嫌われているのだ。そのいちばんの理由が、不潔な感じがするから、らしい。

 たしかに銀行やデパートなど、従業員の身だしなみに気を遣う職種でヒゲを禁止している企業は多い。それ以外にも、テレビのアナウンサーや、警備員、駅員などがヒゲを蓄えているのを見た記憶がない。
 不潔な感じというのは、イヤフォンから漏れる音などと違って、生理的な嫌悪感を催させる。同じく生理的に不快な、くちゃくちゃと音を立てて食べることがテーブルマナーに反しているのなら、汚らしいヒゲをぶら下げてテーブルに着くのもマナー違反になる可能性がある。
 毎日シャンプー&リンスを欠かさず手入れをしているヒゲでも、不潔と感じられたら、それはもうアウトである。セクハラするつもりがなくても、女性がセクハラだと感じたらそれがセクハラになるのと同じ理屈だ。
 もしヒゲがマナー違反になったら、電車に乗れず、飲食店にも入ることができない。公共の場にいることまでマナー違反になったら、ヒゲはもう自宅で密かに栽培するしかないではないか。

 いいでしょう。ヒゲもマナー違反にしてもらって結構。ただ、女性の前では、という条件つきで。女性のいない場所ではボーボーに生やしていいということなら、それで手を打ちましょう。


 ヒゲへの抵抗感には性染色体が関係している。男性がXY型、女性がXX型。つまり女性にはY染色体がないため、男性のY素(Yは、ヒゲを意味するインドネシア語"Jenggot"の頭文字)が理解できないのである。

 したがって、女性がY染色体をインストールすればいいのだ。そしてXをひとつ削除すれば、XY型になる。すると、男性がヒゲを好む気持ちがわかるようになるばかりでなく、自分にもヒゲが生えてくるし、ノドボトケまで出てくる。そうなれば男女の相互理解が進むことになるではないか。

 インストールは簡単だ。岐阜波布という地下組織があって、そこに依頼すると、まず携帯電話にY染色体が密かにインストールされる。するとそれが、Wi-Fi接続によって、細胞に埋め込まれる。XY型の女性誕生。男と女をつなぐ架け橋の人柱として生き埋めになってもらいたい。


 ある統計によると、女性の七割は男のハゲが嫌いだそうだ。ヒゲがないスッキリした顔の方がいいなんて言っておいて、頭がスッキリしていると今度は嫌いになる。それでいて、もし恋人に胸毛があったら脱毛してもらうと言う。伸び放題の鼻毛もダメらしい。まったく女とはむちゃくちゃなクリーチャーだ。やはり、XY型以外の女性と理解し合うのは不可能である。

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 私は来年、還暦を迎えるのを機に変な精神になる。

 私が60歳になるのは来年の3月。そのためには今月、あらかじめ59歳になっておく必要があるので、今月、59歳にするが、59歳にするために、いま58歳をしているようなものかもしれない。

 実は今月、私は59歳になるのだ。59歳になったら、60歳になって変な精神になるために59歳になったら準備をしておかなければ60歳になって変な精神になることはできかねるらしい。


 冒頭で紹介した親友の立入真澄も、60歳になってから変な精神になった。フグ爆弾のことを想ったりしながらベッドに横たわって天井を愉しそうに眺めている彼を見舞いに行った。

「おーい、永吉。おーい、火駒。この二つのうち、どっちが気に入ったかね? 何を迷っているんだ。さあ早く答えたまえ、君」

 私はそれに答えずに尋ねた。

「立入。僕は君のような変な精神の人間がなぜ紡績工場を経営することができるのか、さっぱりわからんのだよ」

 立入真澄は、真っ赤(RGB=255,0,0)なちゃんちゃんこを着て変な還暦を祝った翌日、紡績工場の操業を開始したのだが、いきなり始めたため、当初の従業員といえば、弟の洋之助と従姉のハルだけだった。

 ふたりは紡績に関してはまったくの素人。紡績機は、操作したことがあるくらいで、実際にはまだ見たことがないというほどの素人だった。

 その翌日、工場は閉鎖になり、立入は破産し、禁治産を宣告されたが、59歳まで芸術家をしていた彼としては、

「それは、ノンサンス(仏蘭西語。英吉利語の「ナンセンス」)だな」

 と、宣告を拒否したので、現在も操業中であるという。


 すでに頭のなかで実験に成功したと言う「フグ爆弾」が、実用化を検討する段階に入ったと立入は言う。まずは脳内で生産を開始し、それを徐々に、11年かけて脳の外での生産に移行させるつもりだと言う。

「これで戦局が一変するぞ。アメリカが原子爆弾を使用する前に、フグ爆弾で米英軍を壊滅させてやる。ついでにソ連軍も滅ぼす。スターリンが日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻する前に勦滅(そうめつ)するのだ」

 私はまだフグ爆弾を見たことがなかったし、見たいとも思っていなかったので、紡績工場に話を戻した。

「紡績工場で働いていたという、君の弟と従姉は、工場が閉鎖になった後でもまだそこで働いとるらしいが、そりゃ本当かね?」
「もちろんだ。閉鎖しても操業中だ。差し押さえの札など神社のお札の価値もないよ」
「そんなことをして誰も文句を言わんのか?」
「言うさ。まず僕が反対だし、弟も従姉も、閉鎖した工場で働くのはもう嫌だと泣いている。早いとこ操業を停止して、ふたりを救ってやりたいんだ」
「わかった。僕が救ってやる」

 私が椅子から立ち上がろうとすると、立入が、これを持って行けと言って、女中を呼び、フグを持ってこさせた。

「フグ爆弾のα版だ。だから正式版より威力はかなり落ちるが、それでも爆発すると、半径3km以内に住んでいる人間はみなフグの毒にあたって死ぬ。扱いにはくれぐれも気をつけてくれたまえ。ただ、それだけでは爆発しない。使うときはだな……」

 そう言いながら立入は、ベッドの布団から蛇のように這い出すと、猛毒のテトロドトキシンが含まれているフグの肝臓と卵巣を金庫から取り出して、フグに装着して見せた。

「こうしておけば、後は相手に向かって投げつけるだけだ。でも気をつけろよ。落としただけで爆発するからな。敵がいる気配を感じるまでは装着するな」

 立入が、誰を指して「敵」と呼んでいるのか判らなかったが、変な精神の男なので、変な話をしているだけだと小馬鹿にして紡績工場に向かった。


 案の定、敵らしい人物は見当たらなかった。ということは、フグ爆弾を使う機会はないかもしれない。私はひどく失望した。

 工場内では、立入の弟の洋之助と従姉のハルが、わんわん泣きながら糸を紡いでいた。朝からずっと泣いていたと言う。終業時刻まで泣き続けるだろう、という見通しを立てて泣いていた。

 私が用向きを告げると、立入真澄の素性を、ふたりは泣きながら語ってくれた。
 そういえば私と立入とは、1時間前に見舞いに行ったときに初めて知り合った仲なので、その素性については何も知らなかったことを思い出した。

「兄は60になってから変な精神になりました。それまでは変な芸術作品を作っているだけで、言動に変なところはありませんでした。《フグ通信》を発行しはじめたのは、還暦を過ぎてからです」

《フグ通信》とは、立入の精神の中枢が執筆している哲学雑誌で、毎週、金曜に内的発行をしていた。私は難解な文章を読んでいると苛立ちのあまり粗暴になるという性癖があるので購読はしていなかったが、聞くところによると、インテリゲンチャの間では、《よう、フグ通信読んだか?》が挨拶になっているらしい。

 私は、フグ爆弾をズボンのポケットから取り出して、洋之助とハルに尋ねた。
「敵がいたら使えと言って、これを渡されたんですけど、敵って何のことですかね?」

 私が言い終わるや、洋之助とハルはいきなり泣き止み、滂沱たる涙が逆流して涙腺に吸い込まれていった。そしてハルが言った。

「まあ、永吉様にはまったく失望いたしましたわ」
「失望もなにも、あなたたちに期待されるなんて僕はゴメンコウモリですよ」
「まあ、そんなことを仰るなんて失望の上塗り。なんて変な精神ですの?」
「いや、僕が変な精神になるのは来年なんですがね」
「まあ……」

 ハルは怒りに言葉を失っているようだったが、私としては、そんなことはどうでもよくて、このままフグ爆弾を使わずに持って帰るのが悔しかったし、ハルを深く愛していたので、恋敵である洋之助の前に立って、肝臓と卵巣を装着したフグをその脳天に叩きつけた。

 立入は、爆心地から半径3km以内にいる人間は、みなフグの毒にあたって死ぬと警告したが、翌日調査したところ、実際には半径40m以内の人間しか死んでいないことが判明した。

 こんな体たらくでは、フグ爆弾が実用化されるころには、日本はポツダム宣言を受け入れて事実上の敗戦国となっているだろう、と立入に助言してやるつもりだったが、私は大仏を見るために奈良へと向かった。

 東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)。いわゆる「奈良の大仏」である。私は、奈良の大仏のうちではこの奈良の大仏がいちばん好きだ。
 毎月第3火曜日に大仏殿に拝観に出かけることが日課になっている。

【東大寺へのアクセス】
JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分。または近鉄奈良駅から徒歩約20分。

東大寺公式サイト

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永吉:バイトの帰りやったんやけど、地下鉄の岸里駅で降りて南海本線に乗り換えるために天下茶屋(てんがちゃや)駅に歩いていく途中、いつものルートで帰るのもなんや切ないから、その日はスー玉の裏の道を通ったんや。

永吉:スー玉ってなに?

永吉:60も近こうなって、俺いつまでこんな生活繰り返しとらなあかんねやろて思うと切のうなってな……とにかくトボトボ歩いとったら、きったないビルの前にごっつい立て看板があるのが見えたわけや。

永吉:どんな仕事でも結局は繰り返し。反復作業だもんね。水戸黄門を演じる俳優だって、台詞覚えて、カツラと衣装をつけて、立ち回りをして、8時46分ごろに印籠を見せて、悪い大名や商人を叱責する。その繰り返しさ。

永吉:看板には「つまらなけりゃカネはいらねえ!」とか威勢のええこと書いてあって、なんやろ思て、そのビルの入り口に立つと、その横の壁に《天下茶屋美術館》ゆう札がかけてあったんや。名前は聞いてたけど、まさかスー玉の裏にあるとは思わなんだわ。

永吉:だから、スー玉ってなに?



 このふたりの論客の対談から、気っ風のいい江戸前寿司屋のような美術館に入った永吉さんの体験談がこれから語られるものと読者は当然、期待するだろう。
 入館すると、「っらっしゃい!」というイキのいい声に迎えられる。カウンターがあって、そのなかで板前が手際よく絵を握っている。そんな光景が頭に浮かぶだろう。

 しかし、天下茶屋美術館は虚無なのだ。
 そんな美術館は、かつて存在しなかったし、これからも存在することはない。しかも、大阪市民はみなそれが虚無であることを知っているのである。

 にもかかわらず、なぜ天下茶屋美術館が存在するかのように思われているのか? それは、人間の認識を自在に操ることのできる猿が、その美術館を運営しているからなのだ。

 市民は、それが存在しないのは分かっていながら、同時に、存在するという確信を植えつけられて、「存在しないのに何故わたしは行くのだろう」という疑問に苛まれながら天下茶屋美術館に足を運び、存在しない作品を鑑賞し、存在しない感動を味わうのである。

 観客は何も見なかったし、何の感動もなかったことを認めながらも満足して帰ってゆく。作品の感想を友人と語り合いながら会場を出てくる観客すらいるのである。



 ひと月ほど前のある日のこと、なんだか猿を背負っているような気がして、ふり向いてみたが背後にはなにもいない。
 しかし、私は間違いなく猿を背負っていた。手触りも匂いもない。類人猿なのかニホンザルなのか、はたまたヒヒのような猿なのか種類はわからなかったが、確かに猿だった。

 実は、猿はそれ以前から私の思考を読み続けていたのだ。

 ……もし人間の眼のレンズに波ガラスのような凹凸があるとすると、どんな面でも曲面に見えることだろう。だとすると、《視覚》世界には平面というものは存在しなくなる。だから、平らなテーブルの天板もデコボコして見える。

 しかしテーブルを撫でてみると、おや、平らじゃないか、デコボコしてなんかいないじゃないか、これは一体どういうことだ、《視覚》世界には存在しない平面が《触覚》世界には存在する。曲面であると同時に平面でもあるなんて、こいつは発見だ……

 この私の発見を読み取った猿は、無色透明無味無臭になり、さらには質量も棄てる決心をし、ついに虚無になった。存在しながら存在しない存在になった。あるいは、「観念」という存在形態を選んだとも言える。

 だから、天下茶屋美術館が虚無的に存在することになったことに、間接的に私が関与したことになる。
 ということは、私の思考を猿に読み取らせることによって、私が人心を操ることも可能なのだということが、最近の研究で明らかになってきた。



 翌日の仕事に持って行く弁当の具材を買いに行かなければならないのだが、その日は仕事が休みで、朝から飲んでいたものだから外に出るのが億劫で、いつまでも家でぐずぐずしていたら、ふと猿のことを思い出した。

 試しに、永吉に買い物に行かせてみようと「永吉に行かせろ」と考えたら、それが猿に届いたらしく、いきなり永吉が買いに出かけた。しかも、何を買えとも言っていないのに、豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとか、弁当に入れるつもりやった具材を買うてきよってん。すごいやろ。

 それ以来や。今では家事だけやないでえ。仕事も飯も風呂も便所もコレ(と言って小指を立てる)とのアレも、猿を経由して永吉に指示を出して、やらせてんねん。

永吉:「トムヤムクン」じゃなくて「トムヤンクン」じゃないの?

永吉:そやから、作品がつまらなんだら、ほんまにゼニはいらんのか試したろ思て美術館に乗りこんだったんや。俺もその時はちょっとヤケになっとったから、ちょうどええ、ウサ晴らしや、もし、つまらんからゼニは払わん言うて、向こうがつべこべ抜かしやがったら暴れてこましたろ、て思てな。

永吉:殴り込みか。健さん、文さん……R.I.P.

永吉:展示室のまんなかにちゃぶ台があって、その上に、豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとかのっとんねん。俺が明日の弁当に入れようと思てた具材やがな。

永吉:「トムヤンクン」でしょ?

永吉:「額縁効果」やな。子供がカレンダーの裏に描いた落書きでも、それが額縁に入っとったら、《作品》に見えてしまうゆう心理。それと同じで、食材がちゃぶ台にのってるだけやったら、ただの日常的光景やけど、それが美術館の展示室においてあったら、どや? 何かの作品ちゃうかと思てまうやろ?

永吉:「異化効果」とも言えるね。

永吉:イカはなかった。「豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとか」や。

永吉:いや、だから「トムヤンクン」じゃないのかって聞いてるんだけど。


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 野球のことが書きたいわけではない。この記事を書き始めた時は、たまたま日本シリーズが終わって間もない頃だったから、私の意見を述べるためのモチーフとして採用しただけである。ちなみに地デジ移行以来、うちのテレビは映らないので、ずっとラジオ観戦だった。

 すでにご存知の通り、今季のプロ野球日本シリーズは、北海道日本ハムファイターズが読売に7連勝して覇者となった。7戦すべてで読売に1得点も許さない完封勝利。ホームラン84本という空前の圧勝。なかでも143奪三振をあげた投手陣の活躍は目覚ましく、ボールが外野に飛んでこないので、外野手たちはヌイグルミ姿で餅つきをして、丸めた餅を客席に投げ込んでファンサービスをしていたほどだ。

 断っておくが、私は北海道日本ハムファイターズのファンというわけではない。強いて言うなら、読売と対戦するすべてのチームのファンである。もし、コンサドーレ札幌が読売と異種球技戦をすると聞けば、私は突如としてコンサドーレのファンになるだろう。ミルコ・クロコップと異種格闘球技戦をすると聞けば、たちまちミルコの熱狂的ファンになるだろう。浅田真央と異種……もうやめておこう。



 今回のコラムのタイトル「ネガティヴ観戦」は私の造語である。スポーツの試合で、ひいきのチームや選手が勝つのを期待して観戦するのではなく、嫌いなチームが負けるのを期待して観戦することだ。

 あれはソウルオリンピックだったから、もう24年も前のことで、テレビで見たのか新聞で読んだのかも思い出せないが、試合会場にいた韓国人男性が、韓国が出場していないのになぜ観に来たのかとインタビューされて、「日本が負けるところを観に来た」と答えていたのを覚えている。そういえば、相手国がどこであれ日本人選手が姿を見せるとよくブーイングが起きていたのを思い出す。政治や歴史がからんだネガティヴ観戦の好例である。

 10月の日韓合同の世論調査で、「日本と中国がサッカーで対戦したら、どちらを応援するか?」と韓国で質問したところ、中国を応援が56%。日本を応援が15%。日本で「韓国と中国がサッカーで対戦したら?」では韓国が60%。中国が11%。だったとのことだ。

レコードチャイナ
調査結果のグラフ

 面白いのは、どちらの国でも1/4以上(29%)が「分からない・無回答」と答えていることだった。多分この内訳には、「こんなもん、どっちを応援せえちゅうねん!」という困惑がかなり含まれているのだろう。日本人の場合、「韓国大統領の竹島上陸および天皇への侮辱的発言」と「尖閣をめぐる反日暴動」では、どちらがましかと問われているような気がするのかもしれない。
 しかし、実際に韓国と中国がサッカーで対戦して、まあ、どっちもどっちだけど強いて言えば中国の方が嫌いかな、という人の希望通り中国が負けたとして、その人は果たして素直に喜べるだろうか。勝った韓国の選手同士が抱き合って喜んでいるのを見て、応援してよかったと思えるだろうか。何か空しさばかりが漂う。



 日本シリーズに話を戻す。北海道日本ハムファイターズが優勝に王手をかけていた試合の9回裏で、読売のバッターが三振してシリーズ敗退が決まった瞬間私は、よっしゃ! と叫んだ。その声は独り暮らしの侘び住まいに響き渡ったが、残響が遠のいていくのに伴って、私の狂熱も急速に冷めていった。溜飲が下がる思い、というのでもない。

 読売が日本シリーズに出場するたびに、対戦するチームがどこであれ、私は同じことを繰り返してきた。そしてシリーズが終わると必ず自らに問うことがあった。

「あなたは読売が負けることで何を得ようとしていらしたの? イワン・ニコラエヴィチ。読売の選手たちがうなだれ、呆然としてベンチを去ってゆく姿がご覧になりたかったのかしら。もしそうなら、あなたはなんという意地悪な方なのでしょう。それとも読売が優勝して、満面の笑顔で「ウラー!(万歳!)」と叫ぶのをお聞きになりたくなかったの? いずれにしてもあなたは意地悪な方ですわ、イワン・ニコラエヴィチ!」

「ああ、あなたの仰る通りです、イリーナ・ミハイロヴナ! 私はなんて罪深い人間なのでしょう。あなたは何もかもお見通しです。どうかその美しい手に接吻させてください、後生です!」

「またそんなことを仰って話を終わらせようとなさるのね。そうはまいりませんことよ、イワン・ニコラエヴィチ。よくお考えになってくださいまし。ごひいきでもないチームがお嫌いなチームに勝ったのだから、あなたにとってこの試合は祝福される者のいない闘い、敢えて言うなら、敗者しかいない闘いだったのじゃありませんか?」

「なんと巧みな表現を! 私のように豚から生まれた男にはとうてい思いつきませんよ、イリーナ・ミハイロヴナ!」

「自分の子供を殺した罪人の死を心から願っていた両親が、法廷で死刑を勝ち取った瞬間、ほっとしたものの、犯人が処刑されたからといって子供が帰ってくるわけではない、と寂しく答えるのをニュースなどで見たりすることがおありになるでしょう? イワン・ニコラエヴィチ」

「つまり、読売が負けたのもそれと同じだと。その両親の空しさと、いま私の胸の中で広がっている空しさとの間には通じるものがあると。こう仰るのですね、イリーナ・ミハイロヴナ!」

「おわかりになりましたか。やっぱり賢明な方でらしたのね、イワン・ニコラエヴィチ・マカーロフ!」

このように、今季はロシア風に自問自答したが、来季の日本シリーズ終了後はアフロ風にやってみようと思っている。


 ……無粋になるので断っておくべきかどうか迷ったのだが、事実としては、今年の日本シリーズは東京読売ジャイアンツが優勝した。巨人ファンのみなさま、おめでとうございます。

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 先日、窪伊円桜(くぼいえんおう)さんと電話で話した時、私がいつまでたっても料理が下手で、家のなかも荒れ放題で、ひと月でもふた月でも毎日同じ服を着ていて、いつも腐ったイワシのような眼差しをしているのは「私生活に《他者の眼》がないからでちゅ」と指摘されてハッとした。

 もともと家のなかはそこそこ整理されていたのだが、両親が亡くなって独り住いになり、《他者の眼》がなくなってから、少しずつ荒れ始めて、今では原状回復をするくらいならマンションを買い替えたほうが安くつくかもしれないと思うほどの惨状を呈している。火災報知器の点検などでやむなく業者を入れる以外で自宅の内部を他人に見せることは絶無だ。
 食事に関していえば、炊いた飯がべちゃべちゃで、焼き飯なのか雑炊なのかわからないような代物が出来上がっても平気で食べる。炊き込みご飯(グリコ・「炊き込み御膳」使用)を作ったら、洗い物をなるべく出したくないから、炊飯器から直接しゃもじで食べたりしている。

「ときどき誰かをお家にご招待ちて、ご馳走する習慣ができたら、自然と整理整頓をしゅるようになり、味だけでなく見た目のきれいちゃにも心を配ったお料理ができるようになりまちゅ。きゅっきゅ」と円桜さんは笑って言った。そして、人をもてなす心が茶の心でもあると言う。円桜さんはまだ2歳だが、茶道には造詣が深い。
 しかし、なにしろ散らかりようが尋常ではないので、いつになったら人を招待できるようになるのか見当もつきません、と言うと、「しょれでは一週間後にあたちを招待ちてくだちゃい。しょれまでに片付けておいてくだちゃいね。きゅっきゅ」と恫喝されて私はしぶしぶ承知した。

 受話器を置いてから10秒後に円桜さんが、真っ赤な振り袖姿で私の家にいきなりやってきた。まだ片付いていないのに家のなかを見せるわけにはいきませんと、玄関で押し問答を繰り返した挙げ句、円桜さんは私を突き飛ばして、のしのしと居間に入ると「まあ。なんでちゅかこの家は! こんなおぞまちい家、ネジュミだってゴキブリだって住みまちぇませんわ。ええ、住みまちぇんとも!」と黒板を爪で引っ掻くような声をあげた。
 そして私に向かって「こんなゴミ溜めにあたちを招待ちて、食事まで振舞うでちゅって? 女だと思って舐めたら承知ちまちぇんわよ!」と噛みつくと、なによこんなもの! あたちをバカにちて! と言いながら、シミだらけの布団、脚が1本しかないイス、仏壇、テレビ、インスタントラーメンの残りが乾いて底にこびりついている片手鍋など、手に触れるものは片っ端から、窓の外に放り出したので、見る見る部屋が広くなっていった。
 ところが、体力増進のために買ってぜんぜん使わずに放置してあった10kgのダンベルが、なにかのはずみで円桜さんの振り袖の袂に入ってしまった。袂から取り出せばいいものを、その辺がガキの浅知恵で、ダンベルを振り放そうとして窓に向かって腕を振ったら、袂に入ったダンベルといっしょに円桜さんも窓の外に飛んでいった。



 円桜さんが身をもって私に伝えようしたのは、部屋を片付けるうえで最も単純かつ効果的な方法は「捨てる」以外にないということだが、それは単なる整理整頓の域を超えて、捨てることで、それにまつわるものに対する執着も捨てられるということだったのだ。
 誰もが捨てるのをためらうもののひとつに、親しい人びとの写真があるが、たしかにゴミといっしょに捨てるのは抵抗がある。自らの手で燃やして灰を海に流すのが理想だ。しかし、かつて私を捨てた女たちの写真の場合、灰を海に流すなんてロマンティコな扱いをしてやるには彼女らはあまりに罪業深重なので、写真の目玉に針で穴をあけて切り刻んで、海のかわりに排泄物といっしょにトイレに流して、"Sluts!" と罵倒してやったら、秋の空のように気持ちが晴れわたっていくのを感じた。
 私はこれに意を得て、読みかけで挫折したけれどいつかは読むだろうと思ってもっていた数多(あまた)の書物や、何かに使えるかもしれないと思って取っておいた錆びた鉄板や、ザーサイと間違えて買ったけど、いつか食べるかもしれないと思って冷蔵庫に入れておいた5年前の桃屋のメンマなど、みな窓から捨てた。こうして私は次々とモノへの執着から解放されていったのだった。



 15階の窓から落ちた時のダメージがよほど大きかったのか、1週間後に私の家に迎えた時の円桜さんは見違えるばかりに成長していた。留袖の着物に丸髷を結って、眉を剃り、鉄漿(おはぐろ)を塗ってすっかり武家の妻らしくなっていた。傍らには、腰元が恭しく(うやうやしく)付き添っている。
「あら。想像していたよりずっとお部屋がきれいになってるわ。どなたかアドヴァイザーがいらしたんですの?」
「いえいえ。すべて円桜さんのなさるのを見て、それに倣っただけでして。はい」
「それは宜しゅうございました。さて、何をご馳走していただけるのかしら」
「馬でございます」
「まあ。馬を」
 私の作った焼き飯や炊き込みご飯など、舌の肥えた円桜さんに出したら殴られるのはわかっていたので、意表をついてやろうとイチかバチかでメニューを馬にしたら、ことのほか喜んで、なめ回すように平らげてくれた。

「とても素晴らしい馬でしたわ。他の馬はもう食べられません。でも決してこれでご安心なさってはいけませんことよ。あなたには常に《他者の眼》が必要なのですからね。きゅっきゅ」
 意味ありげに笑って円桜さんは、連れてきた腰元を置いていきました。ベアトリス・ササキという、それはそれは美しい日系米国人の女性でした。おかげで私は、部屋の隅々まで整理をする習慣が身について、馬以外にも料理のレパートリーがいくつも増えました。ベアトリスと私はその後もずっと幸せに暮らしました。今ふたりは、東京スカイツリーが間近に見下ろせる高台にある墓石の下で仲よく眠っているのじゃそうな。


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