エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




将棋で必勝を期するなら、対局が始まったら、飛車や角などには目もくれず、まっ先に相手の王将を取って、戦意を喪失させるに限る。相手にとって、王将を取られるということは、戦国時代でいえば主君の首をとられるに等しいことなのだ。だから王将をとられてしまったら、頼るべきものがなくなって自滅するしかないのである。

しかし逆に、王将をとられて、もはや失うものがなくなり、手負いのイノシシのように反撃してくる棋士もなかにはいて、こちらの王将をとられてしまうこともあるが、先に相手の王将をとった方が八割方は勝つと考えていい。

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今生では夫婦になることは叶わないと悟った材木問屋手代の伝三と、その主人の女房おたつは心中を誓った。

ふたりは、亡きがらが晒しものになることのないように、後に何も残らない死に方を探した。
焼身自殺をしても、骨は残る。
岩を抱いて湖に沈んでも、地殻の変動で湖底が隆起して水面に出てきたら、魚や微生物に食い荒された無残な姿が人目に触れることになるかもしれない。

そこで、おたがいを食べようということになった。
これなら体は消化されてしまうわけだから、後に残らないうえに、自分の肉体が相手の体内に吸収されるという究極の愛の形を実現できると考えたのだ。
『解体新書』も読んだことがなく、消化吸収などといった人体のメカニズムを把握していない無学な二人だったにもかかわらず、そんな高度な死に方を思いついたのは、ひとえに愛の力によるものだった。

しかし、一方が先に相手を食べてしまったら残った方を食べる者がいなくなってしまうので、同時に食べようということになった。おたがいに足先から食べ始めて、最後に頭をのみ込んでしまおうという考えだったのだ。

二人は死に場所に決めていた土蔵に入ると、地面に横たわり、おたがいの足先をくわえることができる体勢になった。
すると、それが二人には、ちょうど宇宙の原理である陰陽のバランスを象徴する対極図のように思えた。
「俺が陽なら」
「あたしゃ陰」
「おたつあっての」
「伝三かい?」
陰陽道のことなど聞いたこともない無学な二人だったにもかかわらず、そんな高度な連想ができたのは、ひとえに愛の力によるものだった。

「おたつ、あの世で添い遂げような」
「あいよ」
そう言って、二人はおたがいの足の親指に歯を立てた。
しかし、それがあまりに痛く、しかも骨が堅くて噛み切れないので心中は諦めて、伝三は手代の仕事に専念し、おたつは貞淑な妻に戻ったとさ。

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NHK大河ドラマ『義経』が来週で最終回を迎える。
一年間欠かさず観てきて、楽しませてもらったし勉強もさせてもらったが、失望したことも、ずいぶんある。

まず、財前直見があれほどまでの策士だとは思わなかった。あの、美人なのかどうなのかよく判らないユニークな顔だちが好きだっただけに、失望も大きい。
彼女はキャンペーンガールだったころから、いずれは自分が天下を意のままにしてやろうという野心をもっていたのだろうか。

表面的には、夫、中井貴一が描く、源氏という血筋にとらわれない武家社会確立の計画を後押ししながら、陰では父親の小林念侍と、北条氏の利権拡大を謀っていたのである。
滝沢秀明が、兄である中井貴一に会おうとするのを妨害したのも、この二人が和解すれば源氏が勢力を増し、北条氏の興隆という野望の実現の障害になるからだ。

また残念だったのは、奥州平泉を支配する高橋英樹が、中井貴一の奥州侵略を前にして逝去したことである。私は『けんかえれじい』以来の高橋英樹ファンだった。もう、あれだけの重量感を備えた男優は出るまい。
しかし情けないのが、その跡を継いだ嫡男の渡辺いっけいである。来週の予告編を見ると、高橋英樹が「子」とも呼んだ滝沢秀明の引き渡しを迫る中井貴一の軍勢を恐れて、保身から滝沢秀明を裏切ってしまうのだ。
この俳優は格闘技の情報番組の司会や、K-1のリングアナウンサーなどもしているので、さぞや骨のある男だと思っていたのだが、来週そんな卑怯なことをすることになってるというのが、この番組を観て失望したもうひとつの点である。

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