エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




矛盾した発言とは、「こうしたい」という本能的欲求と「こうしなければならない」という理性的判断の間で調整がつかない時にポロっと口をついて出てくるものなのである。

妻を家に閉じ込めて、男はおろかオス犬にも会わせないようにしたい、というくらい嫉妬深い男が、いやいや、そんなことしたら時代錯誤なヤツと思われてしまうから、もっと進歩的に振舞わなければならない、と理性を働かせて、
「これからは、子供がいる女性でも外に出て男性と対等に仕事ができるような社会にしなければなりませんねえ」
なんて言ったりすることもあるだろうが、必ず何かの拍子に、つい「メシを作るのが女の仕事だから」と言ってしまうのだ。

その点、動物は矛盾したことを言わない。彼らの言動は常に首尾一貫している。本能に忠実で、人前を取り繕うということをしないからだ。

20年ほど以前のことになるが、オス野良ネコを「飼って」いたことがある。
始めは、アパートの部屋の外で餌をやるだけだったのだが、部屋の中で食べさせるようになってから、あるとき彼が「ちょと、すいません」と言って私の脚に頭をこすりつけてきた。
「それは、私になついているという証を見せているのかね」
「ちがう。匂いつけるですので、だからナワバリわかる。ここが、ほかのネコが。習性ですので」
ネコの話し方だから聴き取りにくいが、言わんとするところは解る。
「でも、私は人間なんだけど」
「人間もいい。柱も壁もですが。匂いつけるする。ぼくら習性ですが」 
「でも、そんなことしなくても、この部屋に他のネコが入ってくることはないと思うけど」
「だから習性。それですが、お腹が空いたがですか。食べ物ください」

習性だ本能だと言われたら、そうですかと言うしかない。 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )