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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(49)「待ってましたあ」

2009年02月23日 | 浜矩子語録
妖艶なエコノミスト・浜矩子は、2月22日付毎日新聞“時代の風”欄に、「さらば 朦朧政治――落語が示す責任の所在」を寄稿した。

中川昭一氏の朦朧会見の顛末をみていた浜矩子は、「宋の滝」という演目の落語の筋書きが浮かんできた。という書き始めである。

~・~・~ (落語のなかで)腰元彫りの名手・横谷宋の弟子宗三郎という細工師は、腕はいいが酒好きで、勘当されている。ある宿屋の主人が彼を家においてやり、紀州の殿様から小柄の鍔(つば)に滝を掘る仕事を受注してくる。
宗三郎は張り切って仕事を始めるが、ほろ酔い加減でやるといい仕事が出来るといって宿屋の主人の苦言に耳を貸そうとしない。さすが目が高い殿様は飲んだくれ仕事を二度にわたり見抜く。
ここで、宗三郎は心を入れ替えて21日の断食をし、精進潔斎して挑んだ3作目がようやく殿のお目に適う。精進の甲斐あって、鍔に彫られた滝からは本当の水しぶきが上がるのであった。
注目すべきは、宿屋の主、岩佐屋松兵衛の態度である。性懲りもなく酔いつぶれる宗三郎をしかりつけ、二作目を殿様に届けるに当たっては水垢離をして祈り、三作目も駄目なら腹を切るという宗三郎の思いを買って、そのときは自分も死ぬと覚悟する。

熱きサポーターでありながら、行状が悪ければ突き放す。妙にかばうようなことはしない。だが、いざとなれば、共に命を捨てる覚悟が出来ている。自分がひいきにしている者の失態は、すなわち、自分の失態だと心得て揺るぎない。
政治かもかくあって欲しいものである。~・~・~
と、麻生太郎首相に手厳しい。

浜矩子が辞書で「朦朧」を引くと、「意識障害の一種。(中略)意識野が狭まり、誤認や錯覚があり、外界を広く把握できないため状況にそぐわない行動をとる」とある。
~・~・~ これなら人の水を飲んだり質問者を見失ったり、ろれつが回らなくなるのもよく判る。
だが、「意識野が狭」くて、「外界を広く把握できないため状況にそぐわない行動をとる」というのは、何も中川氏だけに固有の問題ではないだろう。日本の政治家たちに広く共通する特性であるように思う。
彼らの意識野はとてつもなく狭い。常に視野狭窄状態で外のことを知らないから、とんでもない「誤認や錯覚」に基づいて物を言ったり、動き回ったりする。世間にとっての非常識が、彼らの常識だ。失言は本音、暴言は名言、放言は卓見なのである。このような人々しかいないのに、「政治の質は有権者の質を反映する」などと言ってもらいたくない。~・~・~ と、政治家たちに諫言を放つ。

そして、文末を
~・~・~ ちなみに、落語家にとって一番いやなのは、語り終わって座布団から腰を上げ、退場しようとした瞬間に、「待ってましたあ」と掛け声をかけられることだそうである。
今、我々は政治職人たちにそのいやな掛け声をかけようと待ち構えている。 ~・~・~
と結んだ。

それにしても、浜矩子が「待ってましたあ」の掛け声かけるのは、二次補正関連法と来年度予算が成立してからでなくてはなるまい。
又、中川昭一氏が「盛られたかも?」との疑惑を拭えないのは小欄だけだろうか?。

「議員でいること恥ずかしい」=中川氏の博物館での騒動-民主・鳩山氏(時事通信) - goo ニュース

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-02-23 17:05:09
浜さんに脅威を感じているのは公明党創価学会でしょうね
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