米国大統領選 ヒラリー候補では勝てない? 世論調査波紋(産経新聞) - goo ニュース
日本と米国民主党大統領とは、ペリーの浦賀来航から150年、まことに相性が悪い。内外不安定なこの時期、次期の米大統領は引き続き共和党からを望みたい。
《以下は、9月1日の再掲》
以下年表で●は民主党大統領○は共和党大統領。
●1853年、ペリーが浦賀来航(F・ピアース、民主党)
●1856年、米英などと修好通商条約締結(※1)(F・ピアース、民主党)
○1864年、下関事件=米英など幕府に加担(A・リンカーン、共和党)
●1886年、ノルマントン号事件(G・クリーブランド、民主党)
(※1)は米英等に領事裁判を認める不平等条約だった。
●1905年、ポーツマス条約=日露戦争終結(T・ルーズベルト、民主党)
日本は、対露「戦争賠償金」を放棄させられる=国民塗炭の苦しみ
●1921年、四カ国協定=日英同盟破棄へのシナリオ造りをした→(W・ウィルソン、民主党)
このワシントン会議により、日本は太平洋権益が縮小→第二次大戦に向かう。
●1933年、日本は国際連盟脱退(F・ルーズベルト、民主党)
中国の訴えにより、国際連盟が調査団を満州に派遣、日本非難。
●1937年、慮溝橋事件→第二次大戦開戦(F・ルーズベルト、民主党)
●1945年、長崎・広島原爆投下(H・トルーマン、民主党)
●1951年、旧・日米安保条約締結=米国本位(H・トルーマン、民主党)
○1956年、国際連合加盟(D・アイゼンハワー、共和党)
○1960年、日米安保条約改定(D・アイゼンハワー、共和党)
●1968年、小笠原諸島日本復帰(L・ジョンソン、民主党)
○1972年、沖縄返還(R・ニクソン、共和党)
日本と米国民主党大統領とは、ペリーの浦賀来航から150年、まことに相性が悪い。内外不安定なこの時期、次期の米大統領は引き続き共和党からを望みたい。
《以下は、9月1日の再掲》
以下年表で●は民主党大統領○は共和党大統領。
●1853年、ペリーが浦賀来航(F・ピアース、民主党)
●1856年、米英などと修好通商条約締結(※1)(F・ピアース、民主党)
○1864年、下関事件=米英など幕府に加担(A・リンカーン、共和党)
●1886年、ノルマントン号事件(G・クリーブランド、民主党)
(※1)は米英等に領事裁判を認める不平等条約だった。
●1905年、ポーツマス条約=日露戦争終結(T・ルーズベルト、民主党)
日本は、対露「戦争賠償金」を放棄させられる=国民塗炭の苦しみ
●1921年、四カ国協定=日英同盟破棄へのシナリオ造りをした→(W・ウィルソン、民主党)
このワシントン会議により、日本は太平洋権益が縮小→第二次大戦に向かう。
●1933年、日本は国際連盟脱退(F・ルーズベルト、民主党)
中国の訴えにより、国際連盟が調査団を満州に派遣、日本非難。
●1937年、慮溝橋事件→第二次大戦開戦(F・ルーズベルト、民主党)
●1945年、長崎・広島原爆投下(H・トルーマン、民主党)
●1951年、旧・日米安保条約締結=米国本位(H・トルーマン、民主党)
○1956年、国際連合加盟(D・アイゼンハワー、共和党)
○1960年、日米安保条約改定(D・アイゼンハワー、共和党)
●1968年、小笠原諸島日本復帰(L・ジョンソン、民主党)
○1972年、沖縄返還(R・ニクソン、共和党)
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