妖艶なエコノミスト・浜矩子は22日、東京都消費生活総合センターが企画した“くらしフェスタ東京2011”で東京都消費者月間実行委員会が主催する『エコノミスト浜矩子さんの考える責任ある消費行動』についてとの演題を課せられ新宿明治安田生命ホールで講演した。
~・~ 『消費行動は、本来的に無責任な側面を持っています。
消費という字を見て頂くとお分かりのように、“消える”“費やす”この2文字のどこに“責任”を見出すことが出来るでしょう?
その中に、責任を見出してゆく話をしなければならない難題を頂戴いたしました。
これに対して、4つの事についてお話申し上げたい』 ~・~
と語り始めた。
以下、その抄録である。
●四つの無責任消費行動
1に買占め、2が買いだめ、3に買い控え、4が買い叩き。
1と2は分かり易く、ご異論はないと思います。
震災直後の消費行動、買占め・買いだめ、これこそ合成の誤謬を生々しく我々に示してくれました。
3の買い控え、このどこが無責任なのでしょうか?
これも合成の誤謬、皆が買い控えれば企業は事業を継続できず、従業員は失業してしまう。皆が不幸になってしまう。
4の買い叩き、どんどん安いもの、一円でも安いものを求めることが良いことか?
ある新聞社の社員の話ですが、
読者の投稿で、奥さんは賢い消費行動ということで一円でも安いものを見つけて買うようにしておりましたがある日、夫が意気消沈して帰って来たので話を聞くと「会社の業績が悪くリストラに遭ってしまった」と、いろいろ話を聞くと奥さんが「もっと安いものがある」と言って買わなかった商品が、夫の会社が取り扱っている商品であったという驚くべき体験談だったというのです。
●責任消費行動のA・B・C・D
Aはアダルト、Bはブレインズ、Cはチャリティ、Dはドリーム。
この4拍子が揃うと、責任ある消費行動になるのでありまして、合成の誤謬を回避するということがこの4つに共通したベースでございます。
Aのアダルト、大人の視野を持つこと。子供は自分の事しか考えられず、人の痛みは分かりません。子供は、今欲しているものが手に入りさえすれば良い。
大人は、人の心を慮り、人の怒りを自分の怒りとして感じることができる・
Bのブレインズ、大人の振る舞いのための大局的視野を持てる知性が必要です。
Cはチャリティ、怖い話を聞きました。
人々がどんどんユニクロや、それよりも安い商品を買う様になる。
その結果、教会などのチャリティバザーで物が売れなくなったと聞きました。
貧困者の金集めが成果に繋がらなくなったといいます。
「心にチャリティを」これが責任ある消費行動の知性でございます。
Dのドリーム。
創造性のある消費行動を皆がやっていないと、日本経済全体が創造性に欠けることになります。
「皆と一緒に馬鹿になろう!」という消費行動では創造性があるとは言えません。
●超えてはならない一つの壁
超えてはならない一つの壁、これは「矩」の壁でございます。
私、浜矩子の矩でございます。
孔子の言葉でございますが、「70にして、己の欲するところに従うといえども矩を超えず」、これが究極の消費行動ではないでしょうか。
欲望丸出しで生きているのに規範を超えない、理想の姿でございますが、矩の壁を超えない消費行動を如何に意識するか。
●忘れてならない一つの心意気
忘れてならない一つの心意気、僕富論から君富論でございます。
最大ライバルの会社のために仕事をするのだ、これが君富論だという話でございます。
そんなことを言うと「まさかそんなことが出来る筈は」ということになりますが、私は『まさか論』には2つの反論が成り立つであろうと考えます。
反論その一、物は言いようでございますが、君富論をちょっと邪(よこしま)的に言えばそれは『情けは人のためならず』ということになるのでございます。
情けは人のためならず的君富論とはどういう事かと申し上げれば、宴会の席上で自分のグラスが空になった時に、人のグラスにビールを注ぐ、見返りを期待しているわけでございます。けれども、それはそれで盛り上がりますし、
1930年代アメリカは、それこそ情けは人のためならず的君富論の行動をとっていました。
ニューディール政策で分かってきたものは、内需だけでは当時の不況から脱却することはできない。内需だけではアメリカの有り余った生産力を吸収することはできない。そうなると、輸出もできない。
アメリカは世界に物を売って不況から脱却しようとしているのに、一方でアメリカは世界から物を絶対に買わない、これは虫が良すぎるだろうということに気付いて、思い切って高い関税障壁を取り除いて市場開放を行いました。
「さあどうぞ、アメリカに物を輸出してください。その代わり、アメリカの物を買ってください」
これが功を奏して、不況脱却に成功致しました。
まさか論反論その二
私としては、こちらの方が本質的反論になりますが、歴史の教訓『まさかは必ず起こる』ということでございます。
ヒットラーが現れ、タイタニック号が処女航海で遭難、おぞましいまさかでした。
ベルリンの壁が崩壊し、南アフリカではアパルトヘイトがなくなりサッカー・ワールドカップが開催され、今年年頭にはアラブの春が拡がって参りました、輝かしいまさかでございます。
アラブの春の次には何が来るのか?
まさかは必ず起こるのでございます。
まさかを今風に言えば「想定外」ということになるわけでございますが、想定外が如何に想定外でぼこぼこ起こるか?我々はこの半年間で嫌というほど体験させられたわけでございます。
このようなまさかに比べれば、僕富論から君富論への発想の切り替えというまさかは、はるかに、はるかに易しいまさかであると考えるのでございます。
以下、次編