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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(107) アリギリスというハイブリッド

2011年03月22日 | 浜矩子語録

 

(小欄の生活リズムの変化で、半年前の浜矩子語録をアップしている次第です)

以下は、浜矩子語録(106)“胃腸に優しい暴飲暴食”に引き続き、日曜クラブに招かれ(会場:文化女子大学)『恐慌ドラマの行き先は? 今、恐れるべきことは何か』を演題とした妖艶なエコノミスト・浜矩子の2010年9月11日の語録である。

浜矩子は、今恐れるべきことは3つあると言った。その一は、財政恐慌あって「財政が恐慌をもたらす」と語った。

本編は引き続いて、今恐れるべき事の第二“昆虫大戦争”の語録である。

 

 

私が挙げました、今恐れるべきことのその2は、昆虫大戦争でございます。

これも財政恐慌と無縁では御座いませんで、どういうことかと申し上げますと、今我々はグローバルジャングルという場所において生息をしているわけでございますが、グローバルジャングルの住人たちは、次第々々に2種類の昆虫に、それこそ、仕分けされ分類されてしまって来ている。

グローバルジャングルは2種類の虫さんたちが巾を利かせている感じが致します。

そのグローバルジャングルを席巻しております2種類の昆虫たちのそれぞれの名前は、アリとキリギリスでございます。

アリとキリギリスに、グローバルジャングルは2分されつつある訳でございます。

そして面白いことに、アリ対キリギリスの対立の構図は、色々なレベルで目撃・観察することが出来ます。

 

一番はっきり最近において出ておりましたのが、ギリシア(ギリシャ)問題を噴出させたEU、ヨーロッパにおいてギリシアが財政完璧大赤字になってしまって、国として倒産するかも知れない。

この倒産寸前国家、倒産寸前の仲間をEUのその他の国々が、果たして支えるのか、支えないのかで大もめに揉めつつ今日に至っております。

ギリシアと同様の問題を抱えている国々もありなん、と言うところでございますが、差し詰め、ギリシアがキリギリスその一、という格好で出現して来たと思いますし、EUという枠組みの中でそのキリギリスをどうやって支えていくのか、支えていかなければならないのか、という事で思い悩んでいるアリさんがいる。

 

「我々はひたすら財政節度を守り、企業は生産性を上げ、労働者は一生懸命働いて、アリさんの見本をやっている、この我々が、ふしだらなキリギリスをどうして支えなければならないのか?」とドイツは思っていて、それに対してキリギリス国家群側からは、「アメリカたちがアリさんたちに余りにもけちけちし過ぎるからこういうことになる。少しはキリギリス的我々を見倣え!そのほうが人生楽だよ!」とか言ってワイワイなっている。

ということで、EUにおいてアリとキリギリスの攻防の対立の構図がはっきりと見えておりますが、決してEU固有の問題ではございません。

 

実を言えば、我らが日本国の国内においてもアリとキリギリスの対峙の構図がはっきりしているのです。

日本は今や、巨大な一匹のキリギリスとその他大勢のアリさんたちに二極分化しているのでございます。

その一匹のキリギリスさんの名前は、日本国政府、ということになるわけでございます。

巨大な赤字垂れ流し状態である巨大キリギリスを支えるために、民間の我々は皆なアリさんになって、「安いものしか買わない」、ということで「安いものしか作らない」というので、デフレの淵に我々、どんどんどんどん落っこちてゆく、民間は超アリ化する一方で、公的部門(キリギリス)はなかなかそこに歯止めを掛ける目処が立たず、そのためには「アリさんからもっともっと税金を取らなければならない」というように、日本国内にもそういう形でアリとキリギリスの対峙の構図がはっきりとしてきている。

 

ヨーロッパそして日本と来たわけですが、もとより、地球経済全体としてみれば、そこに非常に本質的に大きな、アリとキリギリスの構図があるわけでございまして、地球経済はまさに著しく巨大メタボ化したキリギリス、その名はアメリカ合衆国となるわけでございますが、これが一方に存在し、そのキリギリスを支える、養ってあげるアリ集団のかつての筆頭が日本でありましたが、最近は筆頭が中国になってきていて、日本はアリさんリーグで抜かれたしまった感じありますが、

日本、中国そしてEUの中ではドイツが、アリさん三大国家としてメタボキリギスを支えるという状況でございます。

これはどっちも「どっちがケチだ」、と争っているわけでございまして、夫々は夫々なりに、アリはアリのまま、キリギリスはキリギリスのまま来るべき財政恐慌の衝撃を何とか切り抜けていこう、と振舞っているうちに通貨大波乱の淵に皆なで陥ってしまっているわけでございます。

 

ここで私がつくづく思いますのは、昆虫大戦争的な状況の怖いところは、ずうっと引いてですね、外から、カメラをぐっと引いて外から見ると昆虫大戦争は見えない。

例えば、27カ国で形成しているEUというものを、EUという纏まりとして外から見れば、そこで昆虫大戦争が起こっていることはわかりません。全体としてひっくくって見てしまえば、アリとキリギリスの丁度バランスが取れているので勘定が合っている。

「良いバランスですね。問題ないですね」というような健康診断的な、外から観察すればそんな感じに見えてきてしまわけです。

 

日本国もそうでして、外から見ますと最大の債権国でございます。経済の規模こそ中国に、当然のことながら当たり前なことながら、あれだけ大きな国ですから抜かれて行ってしまっていますが、貯蓄規模、純貯蓄の規模から見れば日本はまだまだ世界で一番の規模、平たく言えば世界で一番リッチな国であるといえるわけでございます。

外から眺めるとこうなる訳でございますが、一度中に足を踏み込んで行けば、ひたすらアリさんになることを強いられて、デフレと戦う民間部門と大赤字のキリギリス国家という構図が見えてくる。

しかし、外から見れば、単にそれはどんぶり勘定の中に消えているように見えてくる訳でございます。

 

同じことは地球経済についても言えます。

地球を火星から見てみますと、非常に美しい青い星であって、バランスの取れたように見える訳ですが、一歩中に足を踏み入れてみますと、万年大赤字の国があって、それを嫌だなと思いながら金を貸してやって、貸した金で自分(貸した国)が作ったものを買ってくれているから、まあいいか、というような嘆かわしい支え合いの構図、人質とテロリストのような関係がアリとキリギリスの間にはある訳でございますが、危ういバランスを取り合っている、しかし、その危うさは、外から見る限りは見えない。

この問題が、このまま行ってしまえば拙いことになると思っております。

 

「そういう事を言うあんた(浜矩子)はグローバル時代と言うものをわかっていない」と言われるケースがございます。

「どんぶり勘定で、全体としてバランスが取れている、そこにグローバル時代の醍醐味があるのであって、何も皆アリさんにならなくたっていいのだ。キリギリスはキリギリスで居てもらって良いじゃないか。アリとキリギリスでバランスが取れていて、いつも差し引きチャラ、そして中ではダイナミックな経済の営みが行なわれている、これが、グローバル時代なのだ」という言い方をする論者達も決して少なくございません。

 

例えば日頃から、私にとって心良からず思っている人、今は民主党の代表選を、高見の見物をしながら、大学の先生のフリをしながら、政界へのカムバックを虎視眈々と狙っている、あの人、などはですね、「そういうのがグローバル経済の注文である。キリギリス結構じゃないの」というように言っているのでありますが、今の世の中の動きを見ていると、それがはっきりと間違いだという思いを硬くしておりまして、そもそもアリとキリギリスに分かれてしまっていて、そういうところに金融世界のグローバル化、まさに瞬時にしてカネがたくさんある所から最もない所に一気に動かすことができてしまう。

 

そしてその金融の動きに対して、非常に複雑なかたちで何ぼでも博打ができてしまうという金融のグローバル化という状況と、アリとキリギリスへの大きな別れ方、赤字部門と黒字部門がより大きく分かれて、しかもその間を実に巨大な規模で実に速くカネが流れる、こういう構図の中でリーマンショックのようなものも起こってくる。

ここまでカネの速い流れを必然化するような構図がなければ、リーマンショックのようなことも起こらなかった。

 

ですから、全体でどんぶり勘定で収支が合っていることだけではダメなのであって、個別の目で見てもそれなりに収支が合っているということでないと、グローバルジャングルの健全な発展というのはないのではないかと、私は最近つくづく感じております。

 

これは、一つの企業あるいは組織として考えても同じことでありまして、いくら全体として括ってみればそれなりに収支とんとんであったとしても、中に踏み込んで見ると、万年超赤字部門と万年黒字部門とに分かれているような企業・組織は決して健全な経営状態にあるとは決して言えません。

そのままで行けばどこかで黒字部門の息切れがありますでしょうし、赤字部門はどんどんやる気がなくなる一方、黒字のほうは「あいつ等の為に我々は働いておるのか」と言い出す者もいて、組織内部の活力・求心力が低下して行くということがマイナスなのでやっぱり、どんぶり勘定で○○(ケツ?じゃないと思うが?)さえ合えば良いということには限界がある。

 

アリとキリギリス夫々が自分のやり方を変えようとすることなくアリはアリで、キリギリスはキリギリスでそのことを変えることなくグローバルジャングルの危機を乗り越えて行こうとしている限り、互いに互いを傷つけ合うばかりでまともな解答は出てこないと思うのです。

 

理想的には、キリギリスはキリギリスでちょっとずつ行いを改めて、アリはアリで少しはあんまりけちけちしないという形で、次第に両者が歩み寄り、結果として皆がアリギリスになる、と言うのが最高の解答ではないかと思えるのでございます。

 

アリとキリギリスのハイブリッド、落としが、私のですね、落しがアリギリスというものがグローバルジャングルを支配するようになると物事は上手くいくのではないかと、そうではない状態で激突ばかりしていると非常に厳しい状態になって行く。

 

実はですね、冒頭でもお話しました円高ではなくてドル安、これ(リーマンショックのようなもの)は実は、アメリカという名の巨大キリギリスを次第しだいにアリギリスの方向に引っ張って来ようとしている天の神の鉄槌なのかも知れない、そうなんだという風に思います。

これ以上メタボキリギリス化すると「お前のおかげで、おまえ自身もさりながら地球経済全体も死に至った。メタボ状態をなんとかしなさい」という事でドル安がアメリカを襲っているというのが今の構図なのだと思います。

なかなかバランスの良いアリギリスにはなれないかも知れませんが、バランスが良くなって行くところまでドル安は続くものと私は感じております。

 

そういう流れなのであって、これは日本にとって、円高という名の危機だと思い込んで、ドル安の流れを押し戻そうと、時間とカネを費やすのは実は徒労だ、と私は思います。

むしろ、アメリカがアリギリス化して行く、それを必然化するような為替関係に日本も上手に乗って、その中で生きながらえて行くことを考えるべきだと思います。

ドル安を押し戻すのでなくて、その流れの中で如何に力強く生きてゆくか、そのための知恵を働かせるときが今であって、そういう風に思いまして、

こういうお話をしておりますと、それではキリギリスがまともなアリギリス的になるような状態の連続為替レートのレベルはどの辺りか?」というお話にどうしてもなってまいりますが、これを言うと私は袋叩きになるのでございますが、私が申し上げるのは1ドル50円というところ、随分続いてまいりました1ドル100円前後の半値までドルの価値が下がる。それに伴ってメタボキリギリスもボディサイズがハーフサイズになる、そういうようなところまで行くと全体はそれなりにまともな所にランディングして行けるのではないかと思います。

 

ハーフサイズというのは、笑い話ですがアメリカもリーマンショック以降状況が厳しいので、『かつては非常に流行っていた高級レストランが倒産寸前になってなりふり構わずハーフプライスステーキを売り出した、従来の半値、これが凄く流行ってですね、九死に一生を得た』と言うことですが、半値のステーキ、値段を半値にしたというのはふんふんと思うのですが、ステーキのサイズもハーフサイズにした、それではハーフサイズのステーキが何グラムかと言えば250グラム、フルサイズは500グラム。

500グラムを毎日食べていればそれはもうメタボキリギリスになるのは当たり前で、ハーフサイズ化というのはアメリカ人にとっても、アメリカ経済にとっても管理上宜しいのではないか?と考えるところでございます。

 

非常に大きなバランス、キリギリスのアリ化、そういう新たな均衡を目指す一環としてドル安が続いているのだとすれば、この大きな流れに日本単独で逆らうことは馬鹿らしいことであって、1ドル50円になるということは厳しいことですが、日本円の購買力は一気に2倍になるということでありますから、それをどう工夫して使っていくか、後ほどディスカッションの中でもご一緒に考えてみたいと思います。以下、次編


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