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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(83) 後なる者と近江商人 二つのノーベル賞

2009年10月25日 | 浜矩子語録
今年のノーベル平和賞はオバマ米大統領に贈られることになったが、『CNNとオピニオン・リサーチ社の世論調査によれば米国民の56%がこれを支持していない』ことが20日報じられた。大方の見方は実績が伴っていないことが批判の理由となっている。
日本のマスコミも評価は辛目で、10日付5大紙社説もオバマ大統領の「今後」を期待している。『大統領は今回の受賞を「行動への要求」と受け止めた』と日経が書いたが、オバマ大統領の意気込みがそうであるなら前途に明るさが見えてくる。
小欄も、と考えており、オバマ氏にプレッシャーを与えたノーベル賞委員会こそ受賞に相応しいではないか、と思っている。

さて、妖艶なエコノミスト・浜矩子が、25日付毎日新聞・時代の風欄に≪後なる者と近江商人―――二つのノーベル賞≫を寄せ、「味な選択」と同様の見解を示した。
平和賞と比べるとほとんど注目されない経済学賞(アメリカの2人の学者、エリナー・オストロム氏とオリバー・ウィリアムソン氏)について、聖書マタイ伝20章1~16を引用し、
~・~・~ 神様のぶどう畑が収穫期を迎える。そのために雇われた労働者には、朝一番から馳せ参じた者がいる。かたや、夕刻になって駆け込み参加した連中もいる。両者の実績はまるで違う。だが、神様は両方に同一賃金を支払う。当然ながら、朝から組は怒り狂う。だが、神様いわく、「我が果樹園においては先なる者が後になり、後なる者が先になる」。そういうこともあるさ、と涼しい顔だ。
 実績無き収穫者がノーベル平和賞を受賞し、日本古来の商人気質(かたぎ)に通じる理論が経済学賞を受賞する。いずれおとらず、味な選択だ。~・~・~

なぜ、経済学賞が平和賞に劣らないのか?  
~・~・~ 2人の受賞者の主張を少し勉強してみる中で、頭に浮かんだイメージがある。それは近江商人のイメージだ。近江商人といえば、ご存知(ぞんじ)「三方良し」の人々である。「売り手良し、買い手良し、世間良し」。この三拍子が揃(そろ)わないと、商売はうまくいかない。長続きしない。それが近江商人の心意気だ。
 オストロム氏がいう「利用者による共有地の共同管理」の論理は、まさに三方良しの論理だと思う。みんなの池に生息する魚を1人が一人占めすれば、池に魚がいなくなる。だから、一人占め野郎も含めて、要はみんな不幸になる。「自分さえ良ければ」は通用しない。だから、三方丸く収まるように、結局はみんなが気を配る。
 ウィリアムソン氏の唱える組織の効用にも、三方良しに通じる面がある。何事も万事市場の中で解決しようとすると、誰もが「自分さえ良ければ」の方向に走りがちになる。その結果、結局は誰にとっても最適ではない解答に到達してしまう恐れがある。そのような場合には、売り手も買い手も同じ組織の中に取り込んでしまった方が正解かもしれない。全体感を共有しながら、三方丸く収まる解答を探り当てることが出来るからである。
 このように言えば、少々、談合の薦めのように聞こえる。ヘタをすればそうなりかねないだろう。市場的なるものへのアレルギーが、非市場的なるものの全肯定につながってはまずい。何事にもバランスが必要だ。市場と非市場との間の絶妙なバランスをどう見出(みいだ)し、どうその保持を図るか。くしくも、リーマンショックからおよそ1年というこのタイミングである。ここで、この厄介なテーマに目を向けた研究への経済学賞の授与はなかなか面白い。~・~・~

浜矩子語録
目次Ⅱ

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