key person

「どうする日本!」

右と左の真ん中で日本と世界を眺める

黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(189)幸せは、ひとの痛みがわかること

2014年01月11日 | 浜矩子語録

以下は、2日放映のNHK・Eテレ『100分de名著』の新春スペシャル番組『100分de幸福論』に出演した妖艶なエコノミスト・浜矩子中心の語録で、前編の続編である。

番組は、文学・経済学・哲学・心理学の4分野4人のエキスパートに夫々の名著を紹介させ「幸せ」とは何かという1つのテーマの正体に迫った。 MCは笑タレ・伊集院光、NHKアナ・竹内陶子。

■エキスパートたちの推薦名著と、それから見えて来る幸せとは?

●島田雅彦(小説家)、好色一代男・好色一代女(井原西鶴)、「幸福とは断念ののちの悟りである」

●浜矩子(経済評論家)、国富論(アダム・スミス)、「幸福とは ひとの痛みがわかること である」

●西研(哲学者)精神現象学(G.W.F.ヘーゲル)、「幸福とは ほんとうを確かめあうことで ある」

●鈴木晶(精神分析思想家)、精神分析入門(フロイト)、「幸福とは 愛する人の幸せを願うこと である」

浜矩子:国富論(アダム・スミス)にみる幸福論

国富論概要「経済の基本は労働だ」

(浜) 国富論というと「如何に国を豊かにするか」を書いているようで、そう考えると一般市民たちの幸福と全然関係なさそうな感じがしますが、実はそうではなくて、もともとの原題を日本語で訳すと「諸国民の富の性質と原因の研究」という解答になります。 諸国民が豊かになるとはどういうことか。 人々が幸せを考え始めるベースとなる豊かさはどういう要因で形成されるか、ということを追求した本なのです。

国富論が書かれたのは18世紀、1776年。 その当時というのは重商主義という考え方が流行っていて、「国というものは金銀財宝をザックザックと貯めなければ強くなれない」という考え方が支配的でした。 けれどもアダム・スミスは「いや、そうじゃないよ。 経済活動の中軸にあるのは人間が生んだ労働の価値ですよ。」ということを言って、そこで「人」を経済活動の中心に持ってきたわけです。

国富論というと必ず「見えざる手」という言い方、制約の無い状態で人々が個々に自分の幸せを追求すると結果として国家の富も自ずと大きくなるという原理があるのだから、そこに国家権力が、言わば「見える手」をもって介入しなくとも全ては上手くいく。 だから国家が無駄にしゃしゃり出ると人間は不幸になる。 ということを国富論は言っているのです。

(伊) 具体的に、どうなると幸せで、どうなると不幸なのか?

(浜) 「あなたたちはこういう仕事をしなさい」とか、愛国消費と言われる「国産品だけ使いなさい」、愛国経営というので「特定の産業に投資しなさい」などと言われて人びとに自由が無く圧迫されていると幸せ感は味わえないですね。

それに対して自分が生みだす価値が評価され、それが経済活動だと言われれば充実感を持つことができます。 自分たちが頑張れば皆豊かになれる、頑張れば頑張り甲斐がある、それが諸国民の富に繋がる。 というように、経済活動に対する見方をそこで全く変えようとしたことで画期的な面白さがあります。

●グローバル時代のひずみ

(浜) いま我々は、グローバル時代という訳のわからない時代に住んでいます。 グローバル時代というのはヒト・モノ・カネが国境を超えるということで国境なき時代です。

アダム・スミスの時代には「我が国の企業が栄えることは確実に我が国が栄えることに繋がる」という関係があったわけですけれども、しかしながら今は必ずしもそうではない。

我が国の企業が栄えても、我が国の企業は海外で生産していますから、我が国は栄えない、というような問題も起きてきています。 アダム・スミスが言ったように上手くいかない時代になっている訳です。

今の日本においては、非正規雇用で非常に辛い思いをされている方々、ワーキングプアと言われているような人たちは、自分の労働の価値が正当に評価されていない不幸に陥っています。 今の世の中ではとかく経済が前面に出ると人間は引っ込まされてしまう、そういう側面、そう思ってしまう局面があります。

(島田) 国富論は、原点に立ち返れば評価できるところが多いけれども、その後の資本家とか国家が国富論の中の議論を逆用していくわけです。

(伊集院) どう対応したらいいのか? 派遣切りにしても契約だから犯罪ではないですよね。

(浜) 制度論的には犯罪ではない。 しかし、それは人間が人間に対してやることではありません。 

(伊集院) 彼らが理不尽な立場に立ってしまう事は間違っている?

(浜) 間違っています。 それは正しい自由ではない。 自由さはまともさを背景にした自由でなければならないのです。 巨万の富を隠しているような人たちが増えていくと食べられない人たちが本当に出てきて、次第しだいに人類滅亡につながっていくと思います。

いみじくもアダム・スミスが国富論を書く前に著した『道徳感情論』で、「人間は基本的にまっとうである、人間は互いに痛みが分かる、やってはいけないことは分かる、不文律というものも理解はしている、ということを前提にしなければ経済活動は正当性を持たない」というような事を言っていて、全くそのとおりだと思います。

(伊集院) 経済というのは数字を基準にした仕組みだと思っていましたが、道徳?

(西) 社会を支えるのは共感だとしても、今の世の中で共感が成り立つには何か仕組みが必要では?

(浜) お一人様で生きやすい世の中になっていると言えますが、基本的に危険なことだと思います。 まさにシンパシーということが必要だというのは、忘れてはいけない事は、経済活動は人間の営みなわけで、経済活動をとりおこなう生き物は人間しかいないですね。 そういう意味で「経済活動は数字が作るものではなく、人間による最も人間的な活動だ」ということをアダム・スミスは分かっていたと思います。

グローバル時代というのは、本当に、だれでも一人では生きていけない、互いに物凄く依存しあっていかなければなりません。

その事の関連で島田さん、先ほどの話の「世乃介」さん、彼はシンパシーのある人だったのでしょうか?、人の痛みが分かる人だったのでしょうか?

(島田) 彼が散財することは社会還元なのですよ。 自分ひとりで貯めこんで独占するのは恥ずべきことで、コミュニティの中で、関係の中で生きていくということは「貯めこんだカネは共有だ」と言って社会還元しないと、その人は不名誉な存在として徹底的に批判される筈です。

(浜) 共感なき者はわが身の破滅を呼び込みます。 ですから「それはやっぱりやらないでしょう」ということを決してやらない誰かが言うと伝染していく。 そして「貯めこむのは格好悪いな」と、誰もが思うようになるとグローバル時代の夜明けが来るのではないかと思います。 

●まとめの言葉

(竹内) 浜さん、まとめのことばを

(浜) 幸福とは ひとの痛みがわかること である。 それがない人はとても不幸です。

理想は、仮に何の見返りがなくても「人を愛することは幸せだ」と思えると本当の幸福の領域に入るのだと思います。

4つ(冒頭の4人の言葉)とも、自分へのこだわりから解放されているということでは共通性があります。 自分の幸せにしがみつかないで考えるところに本当の幸せが見えてくるのです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浜矩子語録(188) 好色の損... | トップ | 浜矩子語録(190) 大量飲酒... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

浜矩子語録」カテゴリの最新記事