(危機に立つ世界経済 どうなる日本-01)
2月18日、妖艶なエコノミスト・浜矩子は愛知県碧南市商工会議所ホールで、主催者・碧南商工会議所の新春経済講演会に招かれ、演題『危機に立つ世界経済 どうなる日本』を講演した。本稿から5編に亘って、その語録を記録する。
碧南商工会議所・黒田昌司会頭が開会の辞で
~・~・~ 「世界経済の混乱の中で私たちはどうしたらいいか。松下幸之助氏は「好況よし。不況さらによし!」と言われた。その意味は、好況時は稼働で精いっぱい。不況時は、事業や組織の仕組みを見直するチャンスだと考える。企業は継続しなければならないが、では、どう見直すか。近江商人の哲学に「三方よし」ということがあるが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」と、こういうような仕組みづくりをしてゆけばいいのだと、経営者の私は思っている。
浜先生の講演を聴講するこの場の皆様にとって、有意義なものになることを祈念する ~・~・~
と語った。
黒田会頭から紹介を受けた浜矩子は、背筋を美しく伸ばし、主催者や我々聴講者にしなやかにお辞儀をして演壇に立った。
私は、最前列正面で黒田会頭の隣席に陣取り、講演を待った。
浜矩子は語り始めた。
~・~・~本日私にいただきました「お題」は「危機に立つ世界経済 どうなる日本」ということでございますが、危機に立つという認識では甘いかも知れないという気がいたします。
まさに「恐慌の嵐吹きすさぶ世界経済」と言うべきところだと思います。
こういう中で「日本はどうなる」のということ考えるわけですが、先ずは恐慌という言葉が言い表している意味内容がどういうことなのかと言うことをきちんと把握するところから始めなければなりません。
冒頭のお言葉で示唆を頂戴いたしました。(黒田会頭が松下幸之助氏の言葉として)「不況さらによし」と言う言葉がありましたが、それになぞらえて言えば「恐慌は、また更に、なお善し」と言うべきように思います。
なぜかといえば、恐慌という現象は、即ち経済活動の原点回帰現象だと思われるからでございます。
しからば原点とは何か?
原点とは、出発点という感じの意味ですが、もう一つ意味があります。縦軸と横軸の交点のことをも言いますが、これにどういう意味があるかと言いますと「均衡点」の意味があります。
つまり、ゼロ点ですから、全ての力がバランスしている、あらゆる力の均衡が取れていて、打ち消しあってゼロになる。いわば黄金バランスの成り立っている場所でございます。
私が「恐慌とは、原点回帰現象だ。経済活動の原点回帰現象である」と申し上げるときの原点は、まさに座標軸の交点としての原点、即ち均衡点のことです。
というわけで、恐慌という現象は、歪みきってしまった、膨張し過ぎてしまった経済活動が、均衡を回復しようとして必死に原点に向かって戻って行くという現象。2つの座標軸の交点を目指して大急ぎで経済活動が立ち戻って行こうとするプロセス、それが恐慌という現象である、と私には思えるのです。
(繰り返して申し上げれば)地球経済は大きく大きく膨らみ過ぎて、その過程で大きな歪みを抱え込んでしまった。なぜそうなったかは後で申し上げるとして、その過大膨張・歪みのゆき過ぎ、それを経済活動が自ら正そうとして、均衡点を再び取り戻そうとして大急ぎで縮んでゆく、原点に立ち戻ってゆく、このプロセスが恐慌という現象なのです。
もし恐慌というものがそういう現象であるとすれば、「恐慌は、また更に、なお善し」という他はない現象でございます。
自己浄化作用と言ってもよろしいかも知れません。経済活動が自ら、健康を取り戻そうとして調整を進めるプロセスですから、「そのことでいいことがある(聞き取り不能)」とさえ言えるのです。
そう考えれば、「恐慌という力学が働かないことのほうが遥かに恐ろしい」と言えます。
経済活動が自浄作用を失う、自己矯正の力学が働かなくなれば、歪みは果てしなく歪んで、膨張は果てしなく進むということですから、これほど怖い話はありません。
ですから、今、恐慌が起こっていることは「ありがたい」とさえ思う必要があると思うのです。
恐慌という現象は、経済活動が過激に萎むということですから、大きな痛みを伴い、我々は痛みを肌身にひしひしと感じているわけです。
恐慌は、我々の行き過ぎに対する天罰と感じられる面がありますが、よくよく考えてみれば、この恐慌現象によって我々は均衡点に戻れるということですから、これは「天罰の容をもった天恵」、天の恵みと言えるのです。
「恐慌は、また更に、なお善し」と、松下幸之助さんなら、そのように仰ったことでしょう ~・~・~ 以下、次編
浜矩子(はまのりこ)語録 目次へ
2月18日、妖艶なエコノミスト・浜矩子は愛知県碧南市商工会議所ホールで、主催者・碧南商工会議所の新春経済講演会に招かれ、演題『危機に立つ世界経済 どうなる日本』を講演した。本稿から5編に亘って、その語録を記録する。
碧南商工会議所・黒田昌司会頭が開会の辞で
~・~・~ 「世界経済の混乱の中で私たちはどうしたらいいか。松下幸之助氏は「好況よし。不況さらによし!」と言われた。その意味は、好況時は稼働で精いっぱい。不況時は、事業や組織の仕組みを見直するチャンスだと考える。企業は継続しなければならないが、では、どう見直すか。近江商人の哲学に「三方よし」ということがあるが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」と、こういうような仕組みづくりをしてゆけばいいのだと、経営者の私は思っている。
浜先生の講演を聴講するこの場の皆様にとって、有意義なものになることを祈念する ~・~・~
と語った。
黒田会頭から紹介を受けた浜矩子は、背筋を美しく伸ばし、主催者や我々聴講者にしなやかにお辞儀をして演壇に立った。
私は、最前列正面で黒田会頭の隣席に陣取り、講演を待った。
浜矩子は語り始めた。
~・~・~本日私にいただきました「お題」は「危機に立つ世界経済 どうなる日本」ということでございますが、危機に立つという認識では甘いかも知れないという気がいたします。
まさに「恐慌の嵐吹きすさぶ世界経済」と言うべきところだと思います。
こういう中で「日本はどうなる」のということ考えるわけですが、先ずは恐慌という言葉が言い表している意味内容がどういうことなのかと言うことをきちんと把握するところから始めなければなりません。
冒頭のお言葉で示唆を頂戴いたしました。(黒田会頭が松下幸之助氏の言葉として)「不況さらによし」と言う言葉がありましたが、それになぞらえて言えば「恐慌は、また更に、なお善し」と言うべきように思います。
なぜかといえば、恐慌という現象は、即ち経済活動の原点回帰現象だと思われるからでございます。
しからば原点とは何か?
原点とは、出発点という感じの意味ですが、もう一つ意味があります。縦軸と横軸の交点のことをも言いますが、これにどういう意味があるかと言いますと「均衡点」の意味があります。
つまり、ゼロ点ですから、全ての力がバランスしている、あらゆる力の均衡が取れていて、打ち消しあってゼロになる。いわば黄金バランスの成り立っている場所でございます。
私が「恐慌とは、原点回帰現象だ。経済活動の原点回帰現象である」と申し上げるときの原点は、まさに座標軸の交点としての原点、即ち均衡点のことです。
というわけで、恐慌という現象は、歪みきってしまった、膨張し過ぎてしまった経済活動が、均衡を回復しようとして必死に原点に向かって戻って行くという現象。2つの座標軸の交点を目指して大急ぎで経済活動が立ち戻って行こうとするプロセス、それが恐慌という現象である、と私には思えるのです。
(繰り返して申し上げれば)地球経済は大きく大きく膨らみ過ぎて、その過程で大きな歪みを抱え込んでしまった。なぜそうなったかは後で申し上げるとして、その過大膨張・歪みのゆき過ぎ、それを経済活動が自ら正そうとして、均衡点を再び取り戻そうとして大急ぎで縮んでゆく、原点に立ち戻ってゆく、このプロセスが恐慌という現象なのです。
もし恐慌というものがそういう現象であるとすれば、「恐慌は、また更に、なお善し」という他はない現象でございます。
自己浄化作用と言ってもよろしいかも知れません。経済活動が自ら、健康を取り戻そうとして調整を進めるプロセスですから、「そのことでいいことがある(聞き取り不能)」とさえ言えるのです。
そう考えれば、「恐慌という力学が働かないことのほうが遥かに恐ろしい」と言えます。
経済活動が自浄作用を失う、自己矯正の力学が働かなくなれば、歪みは果てしなく歪んで、膨張は果てしなく進むということですから、これほど怖い話はありません。
ですから、今、恐慌が起こっていることは「ありがたい」とさえ思う必要があると思うのです。
恐慌という現象は、経済活動が過激に萎むということですから、大きな痛みを伴い、我々は痛みを肌身にひしひしと感じているわけです。
恐慌は、我々の行き過ぎに対する天罰と感じられる面がありますが、よくよく考えてみれば、この恐慌現象によって我々は均衡点に戻れるということですから、これは「天罰の容をもった天恵」、天の恵みと言えるのです。
「恐慌は、また更に、なお善し」と、松下幸之助さんなら、そのように仰ったことでしょう ~・~・~ 以下、次編
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