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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(42)金融立国 転じて、金融亡国

2009年02月22日 | 浜矩子語録
(危機に立つ世界経済 どうなる日本-04)
以下は2月18日、碧南商工会議所主催の新春経済講演会で、演題『危機に立つ世界経済 どうなる日本』を講演した、妖艶なエコノミスト・浜矩子の語録第四編である。
>>>○○●○<<< 内はoff-the-record

~・~・~
それでは、カネの大暴走をどう見るか?
今や、お金の大暴走は、金融亡国と云わざるを得ない状態を引き起こしています。
かつては、金融立国ということが盛んに言われました。
「今は、金融立国の時代である。今や貯蓄から投資への時代である。間接金融から直接金融へ向かう時代である」と「日本も金融立国で行く時代になった」いう一連の金融立国主義をプロモートしていた人が一人いたことを皆様はよくご存知のはずです。
>>> 大学の先生であると思っていたらばそのうちに大臣になってしまい、そうこうするうちに参院議員にまでなってしまい、そして今はまた大学の先生に戻っているフリをしつつ、虎視眈々と政界への返り咲きのタイミングを狙っている、あの人!!でございますが、<<<
その彼などは盛んに金融立国ということを言ってカネとモノの決別現象を煽ってきたと言えますが、その金融立国主義というのが、今まさに金融亡国以外の何者でもないことを、ひしひしと感じる今日です。

ちなみに申し上げれば、金融立国転じて金融亡国という展開の痛み、悲哀、悲しさ、惨めさをもろに感じている国が地球経済上にございます。そう申し上げればすぐに思いついていただけると思いますが、その国は即ちアイスランドという北極圏の小さな小さな国でございます。

(中略)アイスランドの経済はどんな姿を呈していたかといえば、国全体の金融資産の総残高は、実にGDPの9倍というレベルに達していたのです。
金融資産が実物資産の9倍という数字は、如何にモノづくりの世界を置き去りにして金融の世界が勝手に暴走していたか、を物語っています。
ここまで、カネの世界がモノの世界を置き去りにして暴走すれば、問題が起きないはずはないわけです。カネとモノの決別は、恐ろしい、とんでもない歪みをもたらすことが示されています。

ひとつ立ち戻って、(皆様は)もう少し認識を高めなければいけないことがあります。
じゃあ何故、カネとモノの決別がここまで拡がったのか、どういう状況のなかで出てきたのかということを踏まえておきませんと、これからどうする?これからどうなる?ということが見えてこないわけですから、そこを確認した上で先に進んで行きたいと思います。

カネとモノの決別関係を煽ってきたのが、金融の自由化でありグローバル化であり、そこにプロセスがあるわけです。
それにしても、その波に乗って、何故ここまで金融の世界は舞い上がることになってしまったのか? 或いは、舞い上がらざるを得なくなってしまったのか?
その根源的な事実は、2002~3年頃から地球経済的に空前の金余り現象が出現しましたが、地球経済規模での大金余りというのが背景にあって、カネとモノの決別関係がここまできてしまったのです。  ~・~・~ 以下、次編

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