シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

怒りって・・

2007-01-15 | Weblog
今日は不思議な一日でした。久しぶりに「キレテ」しまいました。この「キレル」て言葉、誰が最初に使ったのか知りませんが、本当によくできた言葉です。「キレル」時って本当にブッチンって音がしたかのように、怒りの感情が止まらなくなって自分ではどうしようもないですからね。ただ、今までの経験でも怒ってしまった後は、自己嫌悪になる場合が多いですが、「キレ」た後は「なんやったんやろう。あれ。何かが宿ったようだった。」と不思議な感覚で後で笑えたりします。机に足はのせるわ、人の話はきかんとエロ話ばかりする中学生の学級崩壊もどきのクラスを教えていたときは、何ヶ月かに一回はキレてましたが、それもそんな感じでした。

今日は、前からあんまりいい感情をもってなかったおばさんに対して私は「キレ」てしまったのですが、その人は単に顔を知っていて時々しゃべるくらいで全くもって友達でもなく、友達にもなりたくない人です。

彼女はまず私の年をきいてきて、私が答えているのにまずは「きいてない」。そこで発火。その後自分の知り合いが39歳の女の人で一目ぼれをして3回目で結婚を決めて・・と言う話をされたのですが、全くもって知らない人の話で何の興味もなかったので「はあ」と答えていると「あなたはどうなの?いい人いるの?」と言ったその一言がどうも油を注いだようで、そこでプッチ~ンという音が聞こえました。

「放っておいてくれますか。私別に困ってないんです。」「そりゃ、今は色々な生き方あるしねえ」「あなたに関係にないでしょう。そうやって自分の価値観押し付けるのやめてください。」と私が言った辺りまでは覚えているのですが、その後はよく覚えていません。おそらく言いたかったのは、友達でもないあんたになんでそんな私のプライベートな話せなあかんねん。人に聞くなら自分の話からせえよ・・てことだったのでしょうが。

しかし、こんなおばちゃん日本にごまんといるし、今までだったら「そうですねえ」とか流していたんですよね、私。おそらく私の内側は大きな変化をしているようです。勿論、嫌だなと思っていないのなら別に流してもいいのですが、今までだって同じように嫌な感情を私は持っていたのに、誰からも(とくにおばさんたち)いいお嬢さん(ていう年でもないのだけど)と思われたいがため、「いいお嬢さん」を演じていたのですね。まぎれもなく母の教育の賜物・・というよりは、今になればもう「呪縛」になっていたのでしょう。

今は別に親しくなりたくない人に何思われてもいいやって思うし、もし大事な人に私がキレテしまったならば、後で反省して必要なら謝るし、相手も許せるなら許すだろうし・・ただそれだけのことなんだと思います。

しかし、怒りってなんなんでしょうね。去年の夏、信頼するヒーラーの方に、「これから怒りのエネルギーがでてくるかも」と言われました。実は、その前から「怒り」を出すというのが私にとってはかなり苦手なことであるというのはうすうす気づいていました。だからこそ、毛穴から、体中から感情を出すフランス人の間に住むことを選んでいたのかも・・と思ったりもしていました。日本に戻って初めの頃、人の側にいって「あれ?何も感じないや」と不思議に思いました。それだけ、フランス人は側に居たら感情が分かるくらい出していて、そして日本人はできるだけそれを抑えているのです。

怒りを表すことは大人気ないこととして、泣くことと同様、特に日本では抑えられている(禁じられている?)ことです。勿論、何でもかんでも怒ればいいというものでもないですが、怒りがあるのに納得したフリをすることは、それこそ火がくすぶったものがずっと残ってしまうのではないでしょうか。

私は去年の春火傷をしました。落ち着いてから「あれはどういう意味だったのか、何をそこから学ばないといけなかったのか」を問うてみて、自分なりの答えは見つけたのですが、別の見解もありました。またもや登場「こころを癒すとカラダが癒される」(チャックスペザーノ他著)の本によると「火傷は自分自身や他の人への解決していない怒りを示しています」とありました。この本なんでこんなによく解るの? 

実は、その火傷をする前の日、私はある人からひどいことを言われ、怒りの感情があったのにそれを表現しなかったのです。あの頃は人を受け容れることばかり考えていたので、「この人の嫌な部分も以前に私を傷つけた人の何かを投影しているだけかもしれない。」などという考え方をしたので、その場で、私は怒らなかったのですが、帰り道々頭が痛くなるし、次の日も胸が気持ち悪かったのです。

人間の感情、喜怒哀楽の「喜」や「楽」の部分ばかりフォーカスされますが、人間なら「怒」や「哀」があって当たり前だし、それでこそバランスが取れるのです。思い出せば思い出すほど、私は人生で「大人だから」「しょうがないから」という理由で「怒」を押さえ込んで生きていたように思います。でも、もうそういうのもやめにしたいなって思います。自分の心やプライド(誇りという意味)を傷つけられたりしたら、自然に湧き出る怒りは表していこうと思います。勿論、ちゃんと落ち着いて言葉で言えれば一番いいのでしょうが、うまく言えないからと言って炎をくすぶらせたまま生きていくくらいなら、ちゃんと表そうと思います。そして、それがよくなかったと思えばちゃんと謝る勇気を持ちたいし、そうやって大事な人間関係を作っていきたいなと思うのでした。

実は私は今「ホメオパシー(同種療法)」を試したり、勉強したりしているのですが(これについてはまたゆっくり書きます)現在使用しているレメディー(薬とは言わない)の一つが、「くすぶった怒りを出す」というものなのです。ホメオパシーを始めたときに出てきた好転反応が「怒り」でした。このおばちゃんではないのですが、「え、私この人に怒り持ってたとは思わなかった・・」という人に対しての怒りがでてきたのです。

なので、人生で溜め込んだ怒りを出すというのも今の私のテーマなのかもしれません。今日のおばちゃんは、餌食になってしまったのかもしれませんが、ま、彼女も世の中には違う価値観の人が居るということを知ったかもしれないので、ま、いいか。私は怒った為に今でも頭が痛いです。その代償ですね、これも ま、いいか。