数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

原子力は神聖にして侵すべからず

2013-06-27 20:05:10 | 数理論理戦争
 湾岸戦争・イラク戦争での米国兵士の劣化ウラン弾による健康被害(内部被曝による)は甚大なものだつたが、すべて隠蔽されたようです。
 『番組紹介 劣化ウラン戦争の恐怖を告白』

 自国の兵士までも冷酷に見殺しにするところに、この問題の底知れぬ恐ろしさがあります。この例から分かるように、福島原発事故の内部被曝も徹底的に隠蔽される可能性が強いです。

 何よりも人権を尊重するという建前の米国でも、原子力に関してはまったく専制主義のような露骨な圧制をおこなっています。

 原子力は科学(数理論理)教の最高教義(高度な数理論理と技術)によりもたらされました。その超絶した破壊力とエネルギー創出により、「奇跡」を示し、「神聖化」されました。それは安全保障上、最重要な情報であり、完璧な情報適格性の管理により統制しなければならないものです。原子力の情報の前では、一般庶民はただのモルモット並みの存在のようです。

 米国のマンハッタン計画(巨大科学開発)、それは原子力安全委員会、エネルギー省などと名前を変えても、今もって米国安全保障の根幹的部分です。原子力含め高度の科学(数理論理)の情報は、軍事技術に決定的な影響を与え、安全保障の核心となります。

 ある科学者は、福島原発事故などで原発を廃止するなどと叫んでいる輩は、それなら
「サルの時代」にでも戻れと言っていました。

 映画『猿の惑星』は、科学(数理論理)応用兵器により人間社会が滅んだため、科学(数理論理)的思考を一切禁止した社会だったように思えます。最後のシーン、自由の女神が半分埋もれて悲しい顔でこちらを見ていた場面は、ここが地球だったというオチだけでなく、自由の女神⇒フランス革命で解き放たれ数理論理教が破綻したという暗示だったのではないでしょうか?

 数理論理戦争は後戻りできないのかもしれません。もし原子力を止めれば、他の国が原子力(その他の科学応用兵器)で武装して襲いかかってくる。そうなると、下手をすれば国土がすべて放射能まみれになり、まったくの廃墟となってしまう。どんなに原子力が危険でも、事故により放射能まみれになってもやめなれない。最後には少数の科学者集団同士がロボットにより戦争を続けるのかもしれません。

 しかし原子力は危険です。原発はまともなメンテができないようです。

 『原発がどんなものか知ってほしい』平井憲夫さんの遺書 

 原発の機器からは絶えず放射能漏れがあり、本来人間は近寄れません。原発を推進している権力側の、知識ある学者、政治家、官僚・規制当局者、企業幹部・高級技術者などは誰も近づきません。実際にメンテや検査をする人は「下請けの下請けの下請け」のような知識のない者たちにばかりになるようです。

 それでは、まともなメンテができる訳がありません。原発の現場監督者が遺書として、原発のメンテがいかに不可能か、でたらめか、必ず事故につながると警告していまます。

 それでも止められないというのは、もう何かの宿命なのかもしれません。 


  

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