数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

米国の数学振興政策、数理論理革命に取り残される日本

2013-11-03 20:13:31 | 数理論理戦争
 文部科学省の科学技術政策研究所から『米国の数学振興政策の考え方と数学研究拠点の状況』という調査資料(2006年10月)が公表されていました。

 概要

 全文

「(1) NSF の数理科学課(DMS)のWilliam Rundell 課長及びDeborah Frank Lockhart エグゼクティブ・オフィサー
 
 インタビューを行った結果、両氏の意見は次のとおり。

① 世界的に優れた数学研究拠点は米国、フランス、ドイツ、英国、カナダ、スウェーデンなどにある。【日本の拠点の名前は出なかった】
 ここ10年間程で数学の強さを有する国のほとんどにおいて、数多くの数学研究所が作られた。
 NSF は、米国外のドイツのOberwolfach 数学研究所(図表1)、フランス高等科学研究所(IHES)、カナダのBanff 国際研究ステーション(図表1)に対しても投資している。

② 数学及び自然科学全般は国家の競争力とも関係する。最近の動向としては、中国では数学研究に対する国からの投資が年率25~30%程度増加しており(大学の施設費は含まない)、数多くの研究所を設立している。中国の地方の数学研究者の数やレベルも向上しており、夏の北京は最も活気に満ちた場所である。そこでは数多くの研究集会が開催され、研究者に旅費が支払われている。米国に滞在する中国系数学研究者の動向にもよるが、15 年後には数学研究において中国が米国を凌ぐ程の優位性を持ってもおかしくない。

③ 日本は明らかに数学に対する投資が十分ではない(under-investing)。これが何故なのかは全く分からない。10~20 年ほど前と比較して日本の数学研究は活気に満ちている(vibrant)ようには見えない。日本も数学研究の拠点を持つべきである。

④ 2000 年から2004、2005 年までの間にNSF の予算全体が60-70%増加した一方、数学では100%増加、つまり倍増した。NSF の数理科学振興に対して、Odom Report(1998 年)は大きな影響力があった。このようにNSF では数学研究に対して予算を増やすとともに、その評価も適切に実施している。研究機関の評価においては大量の具体的データが必要となる。NSF は研究機関がデータを用意するためのサポートスタッフを雇う予算を出している。

⑤ 我々は国家的な政策として数学のどの領域を振興するかを限定するのは大変危険だと考えている。10 年後にどの領域でブレークスルーがあるか予想できないからだ。そのため、NSF ではワークショップを開いて様々な専門家や数学コミュニティーの意見を聞き、それによって予算などを決める。我々はコミュニティーの意見に従うようにし、我々自身が政策を決めないようにしている。

⑥ 政府が多くの研究者に直接小さいグラントを与えることは非効率であるが、研究拠点があればそこから旅費などの形で研究者に小さいグラントを与えることができる。これが研究拠点をつくる利点である。また、研究環境が整っていない小さい大学などの研究者が最新の研究に触れることができるという知的な利点もある。

⑦ 仮に数学の研究拠点を設立するのであれば、最も重要なことは訪問研究者(visitor)にとって魅力的かどうかである。研究拠点の立地条件とともに内部スペースの確保なども重要である。」

 
 その他米国の専門家へのインタビューが続きますが、日本は「数理論理研究」に対する投資が物凄く少ないと思います。

 安全保障の根幹は「数理論理」にあります。米国NSAは「暗号化は力なり」という強い信念で設立されました。暗号(数理論理)こそ、科学技術の根幹です。そして宗教的な存在哲学の探求として行なわれています。

 今から100年くらい前には、まったく役に立たないと思われていた「メタ数学」は、コンピューターの基本言語となり(メタ数学なくしてコンピューターの成立はしませんでした)、そして今その言語(プログラミング)は物凄い勢いで多様化・増殖して世界を覆っています。

 今この世界にどれくらいのプログラミングが飛び交っているか、スマートフォンなど普及したことにより、無数の数理論理のコードが行き来しています。まさに映画の「マトリック」のような社会になりつつあります。そのうち仮想現実とリアルな現実は区別できなくなるでしょう。なぜならすべて数理論理に還元されてしまうからです。

 このような状況の中で、数理論理研究に後れをを取ることは、軍事・経済上での決定的な敗北を意味します。

 中国は数理論理研究に積極的に投資しているようです。このまま中国にこの分野でリードされると、中国の基本ソフトウエアが日本のすべての社会を制御することになりかねません。万が一、中国の勢力下に日本が入ることになると、チベットや東トルキスタンのような悲惨な運命になるかもしれません。恐らく想像を絶する強制洗脳プロジェクトとジェノサイドの併用したものになるかもしれません。

 早急に、放射能汚染の恐れがない、地盤特性の良い地域に数理論理研究の牙城(研究施設)を複数造るべきだと思います。そこが起爆剤となり、数理論理応用ソフトやそれを用いた新たな機器が創造されると思います。遺伝子研究も今やほとんど数理論理研究化していますので、数理論理研究所に遺伝子研究所も併設したらどうでしょうか?

 日本で「数理論理研究」が重要視されないのは、ある程度宗教的な態度が影響しているのではないでしょうか。小学校・中学校では、プラトンやアリストテレス、カント・ヘーゲル・ハイデガーなどの哲学教育(数理論理教)を行なった方が良いのではないでしょうか。

 そうしないと、また「神国思想」やら「原子力安全神話」やら「土地神話」=偶像崇拝思想にすぐに染まってしまいます。 

 福島原発災害がここまで酷くなってしまった原因も、やはり「数理論理思想」の欠如だったのではないでしょうかか?

 日本の原発規制はまったくの「ザル」だったようです。原子力安全委員会は委員長以下数名しかいなく、とても原発災害・事故の全体に助言できるような組織ではありませんでした。そして保安院は、その審査を丸投げしていたようで、結局原子炉メーカーなどが審査原案を作成していたようです。そして原子力安全委員会と保安院のダブルチェックなどと言っていたようです。これは詐欺に近い話ではないでしょうか。

 よくもここまで安全規制・審査を無視して、原発を稼動できたものかと驚いてしまいます。そして最高裁での原発訴訟では、高度に政治的なことに関しては判断できないと逃げていました。国会ではこの原発規制・審査の「ザル」状況を改善する立法は行なわれませんでした。国会は立法不作為の責任があり、最高裁は国民の人権を踏みにじった責任がると思います。そして国民(私も含めて)はそれを漫然と放置していた究極の責任があります。

 院長の独り言さんが記事にした、福島原発事故の現在の状況を良く理解して、どうしてこのようなことになってしまったのか、論理的に国民一人一人が真摯に考えないといけないと思います。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原発と安全保障 | トップ | 原発と安全保障(2)、フク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

数理論理戦争」カテゴリの最新記事