数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

カバラとは数理論理教の経典なのか??

2016-07-04 20:31:58 | 存在哲学(宗教)
(注意:私はどの宗教団体・政治団体等にも属しておりません。自分で思ったことだけを記事にしています。各人検証していただきますようにお願い致します。)

 
 ユダヤの経典としては、トーラー・律法(モーセ五書、旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)、タルムード(口伝律法)、カバラ(神秘主義思想)があるようです。

 旧約聖書は半分くらい読んだことがありますが、何か奇妙な書物だと思いました。「聖書」とはいえ、ユダヤ民族の祭祀形式(祭壇の配置・寸法・作り方など)・神の怒り・命令(しばしば罰を下し、他教徒を皆殺しにせよと命じる)・民族の詳細な歴史(氏族別の人口や歴代の長の名など)のことが延々と書かれてあったように思います。ただし偶像崇拝は徹底的に禁じていました。モーセ十戒「1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)、略、(引用終わり)」
 しかし、偶像崇拝禁止というのは、人間生活にとって結構難題なのではないかと思います。象徴性溢れる「偶像世界」から出て、抽象的なもののみの世界に入ると、人間は疎外感から不安になり、最悪精神が破綻してしまう場合もあると思います。偶像から偶像的な記号世界へ、そして抽象的な記号世界へ、最終的には超抽象的な数学的な世界へ、そしてさらにメタ数学的(純粋数理論理学的)世界へ至らなければならないのでしょうか? 

 タルムードは読んだことがありませんが、解説本を斜め読みしたところ、律法の注釈のような細かい規定のことが書かれてあるようです。法律書の解説にそっくりだと思いました。法律の条文に多くの判例に様々な学説の注釈がついているように、旧約聖書の記述に有名な歴代ラビの諸説等の注釈が付いています。そしてユダヤ教徒は、これらの注釈に対して自らの説を主張して議論しないといけないようです。法律学界でユダヤ人が突出しているのは、天賦の才があるからだと思います。

 最後にカバラですが、オカルトの方たちの間では「生命の樹」についてよく話題になっているようですが、詳しい内容は知りませんでした。

 今回上記の解説本を読んで、なぜこの「生命の樹」が神秘思想に結びつくのか少し理解できたように思えます。

 参考:生命の樹

 「生命の樹」については、いろいろな解釈があるようですが、上記の本を読んで私的には以下のように思いました。

1.最下層の「肉体・偶像・具象化」(マルクト)の形態から、徐々に上昇することにより「抽象化・聖性化」していきます。左側の「峻厳の柱」は「静的状態」「抽象的な客体化」の性質を、右側の「慈悲の柱」は「動的」・「抽象的な力動化(ベクトルのような力)」の性質を意味しているように思えました。そして中央の「均衡の柱」は左右・上下の影響を媒介する役割に思えます。
 
2.全体的に階層が上昇するごとに抽象化の程度が高くなるようです。物理学的な状況から、純粋数学的な状況、そして超数理論理学(メタ数学)的な状況になっていくように思えました。
 最高の形態の「ケテル 」は、通常では感知できない量子的(複素数的なもの?)な存在のように思われます。いわば構造主義(記号論)の頂点のような存在になると思えます。
 
3.またイエス・キリストは「均衡の柱」のティファレトのところに当てはまるとのことです。それは人間(最下層の肉体・偶像・具象化のマルクト)と最高神(最高抽象性・聖性を持つケテル、又は至高の三角形のケテル・ビナー・コクマーや他のセフィラ)を媒介する存在のようです。象徴とされた数字は「6」です。6は多くの約分数を持ちますが、媒介者としの属性を持つものでしょうか?
  「ティファレト(Tiphereth、美と訳される)
第6のセフィラ。生命の樹の中心に位置している。数字は6、色は黄、金属は金、惑星は太陽(太陽も惑星と見なす)を象徴する。神名はエロハ。守護天使はミカエル(上記「生命の樹」から引用終わり)」
 
4.なお至高の三角形のケテル、ビナー(峻厳の柱)、コクマー(慈悲の柱)はトランプの「キング」「クイーン」「ジャック」に該当するようです。上記の本では、「生命の樹」からタロットカードができ、それがトランプに継承されているということでした。
 私は「クイーン」がなぜ「峻厳の柱」なのか「慈悲の柱」ではないのかと思いましたが、どうやら次のような意味合いがあるようです。
「クイーン」・「ビナー」は静的な観念を持ち、大地の母のような象徴性もあるようですが、これは自由(動的要素)を束縛して、雁字搦めにしてしまう「安定化」のイメージにも繋がります。この「力」により、もはや自由に動き回ることもできなくなり、固定化されてしまうということです。この固定化・客体化が「峻厳」のイメージなのでしょうか?まるでギリシア神話のゴルゴーンのように、見たものを瞬時に「石」にしてしまうように…
 また「結婚は人生の○○だ」などと言われていますが、そういう意味では「女性」は「慈悲」といより「峻厳」さの象徴なのかもしれません?

5.もしこのカバラの教えがユダヤ教の骨格にあるとしたら、ユダヤ教には数理論理教の素養があるということになり、それを受け継いだキリスト教にも紛れ込んでいるということでしょうか?

 
 
コメント
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