数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

中国の対外膨張(侵略)、かつてのナチス・ドイツとの比較?第三次世界大戦?

2015-05-23 19:48:45 | 中国関連
あるブログを見て、つくづく思いました。中国の第二次世界大戦以後の対外侵略がいかに大胆に行われているかというこについてです。

「ベトナム
 ベトナムは西沙諸島や南沙諸島の一部を侵略された。以下、Wikipedia から。
 旧宗主国のフランスが去ってから、北緯17度以南に成立したベトナム共和国(南ベトナム)が同諸島の西半分、中華人民共和国は1956年には東半分をそれぞれ占領し、以後18年にわたり、南ベトナムと中華人民共和国の対峙が続いた。
 1974年1月、中国共産党軍は西半分に侵攻して南ベトナム軍を排除し、諸島全体を占領した。その後、同諸島は中華人民共和国の実効支配下にある。」
「フィリピン
 フィリピンは南沙諸島の一部を侵略されてきた。以下、Wikipedia から。
 2011年2月末から5回以上にわたり、中華人民共和国探査船がフィリピンが主張する領海内において探査活動をくり返し、5月には無断でブイや杭などを設置した。フィリピンのアキノ大統領はこれを領海侵犯とし、同年6月国連に提訴した。」
「チベット
 チベットは 1948年以降、全土を中国に侵略された。以下、Wikipedia から。
 チベット侵攻とは、中国人民解放軍(中国共産党の軍隊)によるチベットへの侵攻をいう。侵攻は、
 (1) チベットの東北部・東部に対して(1948-49)
 (2) 中央チベットに対して(1950-51)
 の2段階にわかれる。
 チベットの全域が中華人民共和国の支配下に入った。」
「ウイグル(中国名:新疆 )
 ウイグルは 1949年以降、全土を中国に侵略された。以下、Wikipedia から。
 1949年、国共内戦で勝利した中国共産党は中華人民共和国を建国すると、国民党勢力の残存していた地域へ侵攻してこれを制圧した。これによって新疆は中華人民共和国に帰属されることとなった。
 入植当初人口7パーセントだった漢族が1991年には40パーセントになり、ウイグル族に匹敵する割合となった。」
「タジキスタン
 タジキスタンは、中国の「その場所はおれのものだ」という言いがかりを受けたすえ、領土紛争を解決するために、国土を1000平方キロも奪われた。」
「 南モンゴル(内モンゴル)
 モンゴルの南側領域である南モンゴルは、第二次大戦後に中国に編入されて自治区となっていたが、 1966年以降、民族虐殺をされたり、漢民族の移入を受けて、国家を実質的に奪われた。以下、Wikipedia から。
 中国政府は内モンゴル人民革命党粛清事件と呼ばれるモンゴル人への大粛清を行った。これにより数十万人が粛清された。さらに中国共産党は漢民族数千万人を内モンゴルに移入させることによってモンゴル人の割合を人口の20%余りにした。これによりモンゴル人は内モンゴル自治区における少数民族になり、漢民族は人口の80%を占めるにいたった」
「ラオス
 ラオスは、軍事的に侵略されたわけではないが、経済的に賃貸・借用という形で、領土の中国側の部分を中国に支配された。以下、SAPIO から。
 間接的に中国支配が進行している国もある。中国南部の雲南省に隣接する、ラオス人民民主共和国。中国が狡猾に仕掛ける“援助交際”による変貌は著しい。ラオス北部の中国国境の町ボーテンの経済特区は、人民元で賭けるカジノ、ホテル、ビル、マンション群などの乱開発が進む“中国人による中国人のため”の地域と化し、「ボーテン・ゴールデン・シティ(磨丁黄金城)」と呼ばれる。
 同地を訪れた日本人は、「街は中国語ばかり、歩いている人たちも99%が中国人。ラオス人は国境管理員や警官、中国人経営のホテルやカジノの従業員、小売店の経営者くらい」と語る。^
 ラオスへ大規模な投資や融資を行なうと同時に、中国人労働者らを大量に現地へ投入し、インフラをラオスへ献上。その見返りとして、数十年の賃借権を得ることで“自治区”を拡大し続ける。」
「ブータン
 ブータンは 2000年ごろから、じわじわと中国人の侵入を受けていた。そのうち中国人の数が多くなり、中国は勝手に国境線を書き換えたすえ、2006年に新たな国境線で合意を強要する形で、侵略を済ませた。しかしその後さらに中国は侵略を続けており、ブータンはどんどん実効支配の領域を失っている。この件は、Wikipedia にも記してあるが、文章が読みにくい。SAPIOの方がわかりやすい。
 2006年、ブータン政府は新国境線を発表。北部の突起部分が切り取られたラインで、国土面積は約4万6500km2(九州地方の約1.1倍)から約3万8400km2(九州地方の0.9倍強)へ、18%近くも縮小してしまった。
 そして2009年8月より、中国は道路の延長工事を再開。「道路を敷設した地域までが、中国に組み込まれるのでは」との危機感から、ブータン政府は同年、4度も抗議を行なっているが、中国側は「チベットを含む西中国の経済発展のため」と居直ったという。」
「ネパール
 ネパールでは不思議な事件が起こった。2001年、王族の一人がおかしくなって、国王や王子・王女を含む王族9人を皆殺しにしたあげく自殺した、という事件だ。
  → ネパール王族殺害事件
 これはまったく道理が通らない。クーデターならばまだわかるが、クーデターに成功したあとで自殺した、というのでは滅茶苦茶すぎる。あまりにも不可解なので、今日まで筋道の通った説明はなされていない。
 しかしながら、その後の経緯を見ると、背景がわかる。「事件によって得をしたのは誰か?」を見るといい。この事件のあとでは、毛沢東主義者(マオイスト)が政権を握って、首相の座を手にしたのだ。
 その後、ネパールは親中の国となり、中国の意を受けてチベット弾圧に協力もしている。
  
 ここまで見ると、ネパールの政権はほとんど中国の傀儡だとわかる。つまり、中国は傀儡政権を樹立させることで、ネパールをなかば支配することに成功したのだ。
 とすれば、王制の政権を転覆した首謀者が誰であったか(どこの国であったか)は、今では明らかだろう。推理小説のセオリーに従って、「事件で一番得をした奴が真犯人」なのである。(引用終わり)」



 現在中国は習近平主席が腐敗撲滅の大改革を行っているようですが、対外膨張政策は変わらないようです。中国は上記の侵略をすべて正当化していますが、どう見ても「侵略」としか言えないと思います。メディアは、この「侵略行為」について、まったくというほど報道していないと思います。大中華帝国の諜報・謀略は広く深く浸透しているのかもしれません。メディアへの影響力強化も謀略の一つのようです。


 私は、安部首相のように太平洋戦争は日本の正義の戦いであったとは思いませんが、中国が日本だけを「侵略国家」と悪者にして、上記の自国の「侵略」については全く無視又は正当化していることは噴飯ものだと思います。勝った者(強い者)が歴史を決めるということは、世の常なのかもしれませんが…。日本叩きは、中国国内の不満のガス抜きでもあるようで、共産党の正当化のプロパガンダでもあるようです。
 「海と陸のシルクロード経済圏」も新たな対外膨張の布石かもしれません。

 しかし、この壮大なインフラ計画はAIIBも含めて、中国の新たな(苦し紛れの)土建国家の需要・雇用創出策との見方もあります。
「海と陸の新シルクロード「一帯一路」は、昨年11月に北京で開かれたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議でお披露目になった、中国の国内外に跨る大構想である。昨年末の中国共産党中央政治局会議では、2015年の重点課題として一帯一路が確認された。いまや中国は世界最大の土建国家にして最大の鉄道大国であり、その巨大な土建マシーンは国境を越えて動き出している。
 …高度経済成長期以後の日本がそうであったように、いったん形成されてしまった土建開発装置は、しばらくは公共事業という形で自己増殖する。一帯一路構想もその何割かは、本質的にはそれだろう。胡錦濤時代のアフリカ政策を支えた石油資源閥が汚職スキャンダルで後退したあとをうけて、今度は土建業界がアフリカ政策を担っていくのだろうが、しかし物流の伸びが鈍化したあとにつくられる輸送インフラは、これもまた日本が苦しんだように、相当部分が不採算資産になる。(引用終わり)」

 土建国家+帝国主義?とにかく中国(共産党)には膨張(資源獲得、市場獲得、需要・雇用創出)主義しか生き残る道はないようにも思えます。

 また上記の『nando ブログ 中国による侵略 』では、以下のような指摘もしていました。
「今の中国の傲慢な拡張主義を見ていると、ナチス・ドイツの時代を思い出す。ナチス・ドイツは経済的に復興したあと、領土的な拡張主義に染まったあげく、ついには第二次世界大戦を引き起こした。
 同様にして、第三次世界大戦が起こるかもしれない。その張本人は、経済的に成長した中国だ。中国が今のように驕りに染まっていれば、いつかは戦争を引き起こしかねない。
 尖閣諸島のいざこざは、第三次世界大戦の前触れなのかもしれない。それはほんの小さな島における一点の出来事に見えるが、その背後には中国の巨大な野望がひそんでいるのである。ちょうど氷山の下には、見えない巨大な氷塊がひそんでいるように。(引用終わり)」

 ナチス・ドイツに似ているというのは、結構当たっているのではないかと思います。(ただ私の個人的な考えです)
1.「ナチス」は「国家社会主義ドイツ労働者党」の独裁体制でした。「国家社会主義」と「共産党」の組織体制は似ていると思います。
 これは一種の「プラトン原理主義」のような哲人国家のようにも思えます。そしてその正当性をもって、他の国を従え(従わない場合は侵略して)、いずれはすべてを全体主義国家(理想的な統一した哲人国家)のようなものにする野望があると思います。しかし指導者が「哲人」であるのは難しく(不可能?)、その独裁によるチェック機能喪失により、やがて機能不全に陥る、又は無謀な拡大政策を行い破綻するようにも思えます。また哲人国家には妥協というものがない(理想主義)ので、計画的な虐殺や粛清は容赦なく行われるようです。目的のためには手段を選ばない(究極の形?)。

2.ドイツは第一次大戦の敗戦で、英仏より過酷な(返済不可能な)賠償請求をされ、領土(産業上重要な地域)も割譲をしなければなりませんでした。中国は欧米・日本に植民地化され、塗炭の苦しみと中華民族(偉大な文明の後継者)のプライドを傷つけられました。見捨てられた国として、被害者意識が高まり、他の国には恨み骨髄に徹していたと思います。(復讐の念に燃えていたと思います。)

3.ナチス・ドイツは世界恐慌から驚異的な経済復興を成し遂げました。
5年ほど前『ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 』祥伝社新書 武田 知弘著を読みましたが、その効率的で平等的な手法には驚くばかりでした。ナチス・ドイツを礼賛する気は毛頭ありませんが、横暴な金融資本に毒されている現在から見ても、この物々交換のような経済運営は健全そのもののように思えてなりません。


 ドイツ国民はただメディアによる洗脳によってナチスに忠誠を誓ったのではなく、実際の「政治経済政策」が成功したのでナチスを固く支持したようにも思えます。
 
 中国も捨て身の経済改革を行い、様々な問題もありますが、世界第二位の経済大国になり、そのうち米国をも追い越す勢いです。中国人も斑模様(貧富の格差が大きく、腐敗まみれ)ですが、年々豊かになるのを実感し、共産党を支持しているのではないでしょうか。また経済成長することで、プライドを回復し、やがて尊大にっていくのかもしれません。

4.ナチス・ドイツも中国も、政治・経済・軍事は一つの目的のために統制されているよう思えます。両者とも「総力戦」思想が強く、国民一人一人がすべて国家目的に従うような体制になっていると思います。私は、「大日本帝国」はナチス・ドイツのある意味「コピー」だったのではないかと思います。また戦後の日本の開発独裁体制も少し当てはまると思いますが、日本は米国の占領により民主的体制に改革され、かろうじて一線を越えていないようですが…。中国(台湾・韓国など)は日本の開発独裁政策をコピーして、経済成長してきたと思いますが、中国だけは民主的な思想がまったくなく、ナチス・ドイツや大日本帝国のような自国民の絶対的な優越性に基づく膨張主義を始めているのではないでしょうか?

5.ナチス・ドイツに対する「宥和政策」がドイツの膨張を助けることになったように、中国に対する「宥和政策」はその膨張を加速させてしまう危険性もあるのではないでしょうか。
 残念ながら、ナチス・ドイツや大日本帝国には、他国と協調して共存するという考え方を欠いていたように思います。「大東亜共栄圏」は本当に共存共栄するのではなく、大日本帝国の侵略を正当化する主義主張だったと思います。いわゆる「帝国主義の世紀」はイギリス・フランスはじめ各国が膨張(侵略)主義を行い、遅れた帝国主義国とも言えるかもしれませんが…。なお私は「帝国主義」とは、レーニンの定義などはありますが、精神的な数理論理革命に基づく、科学技術応用の産業機器・商品と軍事兵器の優越性により侵略・市場拡大・資源獲得などを目的に行われた膨張主義だと思います。

「…友好的で民主的な中国の形成を目指した米国の「建設的関与」政策が戦略的競争者を生み出してしまったと信じる専門家が増えている。その中国は西太平洋における米国の優越性に挑戦し、いつか世界の覇権を握ろうとするかもしれないのだ。
 ここで「誰がアジアを失ったか」という新たな問題が浮上する。
 米国防総省顧問を務めたマイケル・ピルズベリー氏は近著「100年のマラソン:米国に代わってグローバル超大国になろうとする中国の秘密戦略」(The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower)で、自分自身を含め、この失敗を引き起こした数多くの人物を指摘した。同氏は「数十年にわたり、私は中国に技術的・軍事的支援を与えるよう、両サイドの政権を駆り立てる派手な役回りを演じる時があった」と著書で述べている。」
「…米国の政策サークルの中には、中国に対して犯した失敗を挽回し、頂点にとどまる方法についての提案がたくさんある。米国が自分の問題を自ら引き起こしたのであれば、解決方法も自分の手の中にある。外交問題評議会のリポートによると、必要なのは中国に対する新たな「大戦略(グランド・ストラテジー)」を描くことだ。米国は中国を国際経済に取り込むのではなく、その台頭とバランスを取ることに焦点をシフトさせるべきだ。具体的な提言として、リポートでは米国経済の強化や軍事支出の拡大、アジア太平洋地域で中国を除く新たな自由貿易合意を推進することなどが列挙されている。(引用終わり)」

 中国は表面的には資本主義的な仮面を被り、米国と経済的に繋がり、あらゆる情報(特に科学技術)を吸い上げ、経済・軍事上自立して拡大できる時期に来ているのかもしれません。チベットやトルキスタン・南モンゴルはもはや中国の領土とみなし、今度は尖閣諸島や南シナ海にその矛先を向け、海と陸のシルクロードという大戦略も立てているようです。
 そして、ナチス・ドイツが膨張主義の挙句に第二次世界大戦を始めたように、中国が第三次世界大戦を引きを越す可能性もあるのではないでしょうか?
 安部首相の政治経済政策には賛成できないところが多いですが(特に原発震災関係)、日米同盟の強化による中国への牽制は必要不可欠のように思えます。中国やロシアに付くより、米国に付いたほうがマシだと思います。今後、中国の思想洗脳戦は激しさを増すと思われます。

「ネパールの王族殺害事件」は奇妙な事件ですが、そのあまりにも手荒な手口に誰が関与しているのかと想像してみると、ゾッとするものがあります。
「有力紙『デシャンタル』でもディペンドラを検死した医師らの証言をもとに、右利きのディペンドラの左側頭部から右側頭部にかけて銃弾が貫通しており自殺説に疑問が残ること、また事件時に泥酔状態であったとされるディペンドラからはアルコールが検出されなかったことが述べられている[11]。さらには、現場では王太子の使用した自動小銃も含めライフル銃など4種類の銃器が発見されたことから、事件がディペンドラの単独犯行ではなく複数犯行であったのではないかと疑問を投げけている。(引用終わり)」

また中国と同盟関係にあるロシアは、内心では中国の東シベリア侵略を恐れているようです。
「奇襲に成功したナチスドイツはロシアの冬将軍にてこずり、逆転負けしたが、中国は周到に準備し、大成功を収めるというシナリオ。このレポートが東部軍管区での大演習中に公表されたことは、16万人参加の抜き打ち演習が、中国の奇襲攻撃を想定した演習であることを暗に示唆している。中露は2004年に国境協定を結び、両国国境は画定したはずだが、中国はなお失地回復の野心を持つとロシア側はみなしているようだ。(引用終わり)」
 
 (私の妄想)
 なお中国は米国が「もう侵略はやめろよ」と言ったら、「インディアンは嘘つかない(正直者を皆殺しにしたのは誰だ)」と答えるかもしれない。英国が「いい加減に侵略するな」と言ったら、「アヘンを有難う(お前みたいな元マフィアに言われる筋合いない)」と答えるかもしれない。日本が「野蛮な侵略反対」と言ったら、「お前だけには言われたくない、米国基地だらけのくせして平和国家とはチャンチャラおかしい(まあうちが占領するのには都合が良いが…)、それにな、歴史は勝ったものが作るんだよ!善とか悪なんて決めるのはうちの方なんだよ、お前は負けたんだよ、いっちょまえにとやかく言うんじゃないよ、米国さえいなければ簡単に占領してすぐに中華民族が8割ほどになるよ。」と答えるかもしれません?
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原発震災列島(4)伊豆小笠原地震+南海トラフ地震、慶長大地震に類似?浜岡原発は砂上の楼閣?

2015-05-20 20:27:16 | 原発震災列島
「南海トラフ地震」のことは警告されることが多いですが、「伊豆小笠原地震」の発生も間近との研究もあるようです。どちらも津波被害が尋常ではないようです。

「「国の地震研究者は南海トラフ地震のことばかり指摘するが、実はこちらのほうが危ない」

 琉球大学の木村政昭名誉教授(地震学)がそう指摘するのは、伊豆半島の東側から東に伸びて日本海溝とつながり、そのまま南に向かって走る「伊豆・小笠原海溝」だ。

「伊豆・小笠原海溝は東日本大震災を起こした日本海溝とつながっています。三陸沖の海溝に長い年月をかけて蓄積された歪みは東日本大震災で解消されましたが、伊豆・小笠原海溝の周辺には依然ストレスがたまった状態。実際、この海域では1960年以前に頻繁にM7クラスの地震が記録されていますが、1960年以降はピタリと止まっており、不気味な状況です」(木村名誉教授)
 現在、伊豆・小笠原海溝を震源とした地震への注目度は決して高くないが、木村名誉教授は“発生間近”と予測する。
「誰も伊豆・小笠原海溝については言及しないが、東日本大震災が発生するまで、三陸沖での巨大地震の可能性も多くは語られていなかった。私は2015年までに、最大M8.5の伊豆・小笠原地震が発生すると予測しています」
 つまり、あと1年あまり。今この瞬間に来てもおかしくないというのだ。では、ここで巨大地震が発生したらどうなるのか。
「この海溝でM8.5の地震が発生したら、伊豆・小笠原諸島は震度7の揺れに襲われるでしょう。首都圏や本州沿岸部でも最大で震度6程度が想定できます。より深刻なのは津波です。この海域にあるフィリピン海プレートは柔らかく、地震時の跳ね上がりは東日本大震災の比ではない。
 最悪の場合、房総沖から西日本沿岸にかけて、東日本大震災を凌駕する30m級の大津波に襲われる可能性もあります」(木村名誉教授)
(引用終わり)」

 伊豆小笠原地震は2012年+-5年、マグニチュード8.5と予想されています。

 木村教授は地震空白域での小地震が頻発している場所を「地震の目」として、震源域を予想しているようです。
 これは、ストレスが解消した地域(巨大地震が発生した地域)以外のストレスが蓄積してる地域(地震空白域)の中から、断層破壊活動の前兆である小地震(これは岩石を割るときの「クサビ打ち」に似ていると思います)集積地点を探し求めて、巨大地震の震源域を予想するものだと思われます(私の考え)。
「木村教授は地震の空白域と小規模な地震の発生回数に着目し、空白域で小地震が頻発している「地震の目」と呼ばれる場所を発見しました。この「地震の目」が観測されると、その付近ではかなり高い確率で大地震が発生するため、木村教授はこれを利用して地震予測の手法を確立させたとのことです。
番組中で木村教授は「伊豆諸島や鳥島沖(小笠原諸島)付近で地震の目が観測されている」と発表し、その裏付けとして昨年に発生した西之島の大規模な火山噴火などをあげています。
 地震と噴火には密接な関係があり、かつて関東大震災が発生する前にも伊豆諸島では大規模な噴火が発生していました。木村教授はこれらの情報をまとめた結果、2017年までに伊豆諸島でマグニチュード9クラスの巨大地震が発生するという予測を導き出したと述べています。
(引用終わり)」

 なお1605年に起こった慶長地震は従来南海トラフが震源域だったと言われていましたが、伊豆小笠原海溝が震源域ではないかとの研究もあるようです。
「2013年10月の地震学会で、石橋克彦・原田智也らは、慶長地震が
南海トラフのプレート境界型地震ではなく伊豆・小笠原海溝の一部(鳥島付近100km四方前後)の
M8.2-8.4の地震を仮定すると津波の再現ができるとした。

※石橋克彦, 原田智也(2013):
1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説,
日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集,D21-03

東京大の原田智也特任助教らは伊豆・小笠原海溝で津波が起きると、各地でどれくらいの高さになるか試算した。
図2014117-1で示した12カ所の震源域を組み合わせて試した結果、
四角の斜線領域、鳥島の東側の100キロ四方の領域のM8・4程度の地震、海溝の東側の細長い領域のM8・2程度の地震の場合、
記録に残る慶長地震の津波の高さと最も一致した。(引用終わり)」

 また慶長年間は大地震が続発した時期のようです。慶長大地震
「慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年-1615年)に日本列島で起こった地震。慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されている。
 1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、豊後地震を9月1日とするものもある。1605年慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され、従来三陸沖が震源とされた1611年の地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出される等、震源域に諸説あって不明なものが多い。

慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いと推定される地震。

慶長豊後地震(大分地震) - 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者710人。中央構造線と連続している可能性がある別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。

慶長伏見地震 - 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。

慶長地震 - 1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9~8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4~8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1~2万人を数えた。

会津地震(慶長会津地震) - 1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者3,700人。

慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)- 1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1。従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。

慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。
(引用終わり)」

 上記の地震と現在を比較しますと、慶長伏見地震→阪神淡路大震災、慶長三陸沖地震→東日本大震災と仮定しますと、発生の時期は前後しますが、これから慶長地震→伊豆小笠原地震、慶長19年地震(南海トラフとそれに連動する直下型地震?)→南海トラフ地震が起こるかもしれません。あまりにも短絡的ですが、木村教授の予測でも伊豆小笠原地震の2年後あたりに日向灘地震(南海トラフ)が想定されています。もしかすると南海トラフに連動して中央構造線も動くかもしれません。また伊豆小笠原地震に連動して房総沖(東日本大震災の割れ残り)や相模トラフ(大正関東地震の割れ残り)などが連動することはないのでしょうか?

 伊豆小笠原地震及び南海トラフ地震による「津波被害」で最も危惧されるのは、浜岡原発です。放射能まみれになったら復興も何もあり得ませんので…。

「浜岡原発は、想定される東海地震の震源域の直上にあります。」
「浜岡の地下には、南東側から北西側に、フィリピン海プレートが年間およそ4cmの速度で沈み込んでいます。そのため浜岡の岩盤は少しずつ引きずりこまれていきます。(図11)
 図のように浜岡は、20km内陸の掛川とくらべると、毎年5mmづつ傾き下がっています。それとともに岩盤中には年々ひずみがたまっていきます。そして、限界に達したときに一瞬に岩盤が破壊されてずれ動きます。
 このとき、いままでの沈降分のほとんどは数10秒間に隆起します。その隆起量は1mていどになると予想されています。」
「1.原発の重要な建物は、建築基準法の3倍の強度で作ってあるという
  が・・・
 通常の耐震基準は、建物が壊れても人命に被害が及ばないことを目標にしています。
しかし原子力発電所では、放射能が漏れ出すことは許されません。」
「2.「活断層の上に建てない。周辺の活断層を調査している」としている
  が・・・
 浜岡原発から3~7kmのところには、活断層が姿をあらわしています。(図13)浜岡原発は、御前崎が隆起していく折れ目にあります。
原発のすぐ近くに、地表からは見えない活断層がないという保証はありません。 2001年鳥取県西部地震は、マグニチュード7.3の浅い地震ですが、活断層が知られていなかった場所で発生しました。」
「4.「堅い岩盤の上に直接建設」としているが・・・
 「固い岩盤」と聞くと、普通の人は「固い石」を思い浮かべるでしょう。ところが、原発の地盤は相良~掛川層群比木層という400万年前の砂と泥の地層です。工学的には「軟岩」に分類されます。
 東海地震説の提唱者である石橋克彦神戸大学教授は「浜岡での地震動の時刻歴や持続時間は、兵庫県南部地震の震度7の地点よりも複雑で、長時間で、はるかに激しいはずである。」と述べています。(『科学』1997・10月号)
 固い岩盤から軟岩へ入るところで地震波は増幅されます。軟岩から柔らかい沖積層へ入るところで再び地震波は増幅されます。地下の構造によって地震波は増幅・反射・屈折・干渉を起こします。地下の深いところの構造はほとんど分かっていない。神戸では、六甲から大阪湾の底へ続く固い岩盤の形から、場所によって地震波が大きく増幅されたと考えられています。また、神戸では強い揺れは10秒間ぐらいでしたが、東海地震の浜岡では2分とほど続く考えられます。(引用終わり)」

「東海地震の震源域に位置する中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の前面の海域には、浅い海底が外洋に突き出すように広がり、津波のエネルギーが集中しやすい地形であることが、東京大地震研究所の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)准教授(地震学)の分析で分かった。
 浜岡原発の前面には、深さ200メートルより浅く、約20キロ沖まで舌状に広がる「御前崎海脚」と呼ばれる海底があり、その先は深さ500メートルまで急激に落ち込んでいる。また、御前崎海脚の両側も急に深くなっている。
 津波の速度は水深が深いほど速く、浅いほど遅い。都司准教授によると、海から陸に向かう津波は、海脚の中央に近いほど速度が遅くなる一方、中央から離れるほど速度が速く、津波の進む向きが中央方向に曲げられる。そのため、光が凸レンズを通過して焦点に集まるように、海脚の根元に当たる同原発周辺に津波のエネルギーが集中するという。(引用終わり)」

「1波1波の間隔である波長が非常に長く、波高が巨大になりやすいことが特徴である。地震による津波では波長600km、波高5m超のものが生じた事がある(津波が陸上に達するとこの値は大きく変わる)。
 津波という現象は、例えるならば大量の海水の塊の運動であり、気象など他の要因で生じる波とは性質が大きく異なる。大きな津波は陸地に浸入し、種々の災害を発生させる。」
「断層が活動して地震が発生した時に、海底にまで断層のずれが達して海底面が上下に変化すると、海水までもが上下に移動させられてその地形変化がそのまま海面に現われ、水位の変動がうねりとなって周囲に拡大していき、津波となる。大地震においては、数十kmから時に1,000kmを超える長さ、数十kmから数百kmの幅の範囲で、数十cmから数十mという規模で、数十秒から数分の間に、海底が一気に隆起する。この体積変化のエネルギーは巨大で波長が非常に長いため、ほとんど失われることなく海水面の隆起や沈降に変換されて津波を生じる。」
「津波は、沖合から海岸に近づき海底が浅くなるにつれて波高が高くなり、海岸線では沖合の数倍に達する。湾口で2mのものが湾奥で5m超になった事例もある。また海底が浅くなるにつれて波長は短くなるが、海岸線でも数百m - 数km程度ある。
 上陸した津波は、依然として大きな水圧を伴った高速の波として、数分から数十分の間押し寄せ続けたら(押し波)、今度は海水を沖へ引きずり続け(引き波)、しばらくしたら再び押し寄せて(押し波)、という具合に押し引きを繰り返し、やがて減衰していく。大きな津波は、陸上にある建物、物品、そして人間を押し流し、景色を一変させ、甚大な被害をもたらすことがある。また大きな津波は海岸に続く河川を遡るほか、海上でも被害をもたらすことがある。」

 津波は「大量の海水の塊(波長数十Km~)」のエネルギー体です。地形による増幅により波高は激変します。


 どうも防波堤も当てにできるものではないようです。


「…使用済み燃料集合体6,575体(2011年末)の「死の灰」は広島型原爆約60,000発分です。巨大地震と巨大津波の襲来で全電源が失われ、炉心及び燃料プールの冷却に失敗したならば、福島第一原発で現実となったように、炉心溶融→水素爆発や(水蒸気爆発) →放射性物質の大量放出→広域放射能汚染 (大気・河川・湖沼・海洋・土壌・動植物・人体など) を避けることはできません。(引用終わり)」

 使用済み核燃料も冷却できなくなるとアウトになります。またこのような原発の立地地盤・津波被害を考慮しますと、容器自体が損傷して漏出するということも考えられるのではないでしょうか。

 浜岡原発は文字通り「砂上の楼閣、砂上の原発」のようです。

 また南海トラフ地震に連動した中央構造線が動けば、伊方原発もタダでは済まないと思います。

〔H27-06-13追記 なお平成27年5月30日に小笠原諸島西方沖で地震が発生しましたが、木村教授の解説では、上記想定した地域とは異なるため、引き続き注意が必要とのことでした。
 なお5月30日の震源の深さは682kmもあり、他のブログではプレートのスラブ破壊による沈降(その反動によるホットプルームの上昇)ではないかとの意見もあるようです。いずれにしても、環太平洋地域のリングオブファイアーは活動期にあり、それにともない日本列島でも地震・火山噴火が多発する可能性が高いです。
 『検証!首都直下地震~巨大地震は避けられない? 最新想定と活断層』技術評論社によると、太平洋の海嶺から湧き上がるマグマは間欠的に(ある周期で)一度に大量に出るようです。それにともないプレートの動きも間欠的に強く(移動速度が速く)なる時期があり、プレートが純粋な剛体でなく「剛体と弾性体の中間のようなもの」だと仮定すると、ある時期(活動期)に地震と火山噴火が集中して起こるようです。現在がその集中期のようです。〕

〔H27-07-18追記 
「伊豆諸島の八丈島近海で14日頃から群発地震を観測しています。この2日間だけで10回以上の有感地震を捉えた上に、震度1以下の無感地震に至っては20回以上も観測しました。
このような群発地震を伊豆諸島沖で観測したのは東日本大震災以降では初で、何らかの大地震の前兆である可能性が高いと考えられます。
 東日本大震災前に群発地震を観測していたことは有名ですが、他にもチリ沖地震など世界中の大地震で本震発生の数日から数週間前に群発地震を捉えていました。今回もそのような前震に似ていることから、当面は伊豆諸島沖周辺の強い地震に注意が必要だと言えるでしょう。(引用終わり)」
 これは「地震の目」でしょうか?クサビを打って固着岩盤(アスペリティ)にヒビを入れ、やがて一気に断層破壊するのではないでしょか?
いずれにしても「緊急事態」だと思われます。伊豆小笠原地震に対する緊急防災体制を至急取るべきだと思います。」

参考:
『検証!首都直下型地震 巨大地震は避けられない?最新想定と活断層』木村政昭監修 技術評論社より引用します。
「…どこで地震が起こるかを精度よく予測していくいちばん最初の「鍵」となるのは、「空白域」の確定です。
…けれども空白域だからといって、どこもかしこでも地震が起きるわけではありません。木村氏によれば、空白域のなかでも…「地震の目」ができているところを探し出すことで、より大きな地震を発生させる空白域を絞り込むことふができる、と主張しています。

 空白域は「第1種空白域」(木村氏は「A型」と呼称)と、「第2種空白域」(同「B型」と呼称)の二つに分類されます。第1種空白域とは、過去に大きな地震のあった地域と地域との間にあって、これまで地震が密集して起こっていないエリアがポッカリとできている(空白の)場所です。

 その空白域の周辺では、地震の震源がドーナツ状に現われる「ドーナツ現象」が起きていることがはっきりすることがあります。…周囲には小さな地震が続発しているにもかかわらず、ドーナツの輪のなかだけは、人体にその揺れが感じられないくらい(無感地震も含めて)微小な地震すらも起きないほど、地震が少なくなっているエリアがあります。この状態の空白域を第1種空白域とします。

…こういった傾向がさらに強くなっていくと、ドーナツの輪の中で小地震が頻繁に起こるような場所が発生するようになってきます。氏はこれを「地震の目」、あるいは「サイスミック・アイ」と呼んで警戒を強めます。地図かを上から見ると、ドーナツの輪の中に「黒目」があるような状態にまで達します。この状態を第2種空白域とします。そしていよいよ直前近くなると、このサイスミック・アイはますます発達して移動し始め、その延長線上で「本震」が発生するのです。

 図…は、東日本一帯を対象に、東日本大地震前の1960年1月1日~2011年2月28日までに起きた、M6.0以上の通常の地震活動をプロットしたものです。地震の活動域を囲んでみると、M7.5未満の「地震の目」が見えてきます。通常のM6.5以上の大地震の「目」では、N6.5未満の地震活動が行われています。しかし、この「目」内ではM7クラスの地震活動が行われいます。
 一方、「地震の輪」は、北は北海道の襟裳岬から三陸沖を南下して房総半島沖に至り、さらにその南西方面から伊豆大島・三原山に向かって西に延び、駿河湾から本州を貫くフォッサマグナを北上し、新潟県中越地方を通って日本海を北上し、下北半島を突っ切って襟裳岬に戻る巨大な輪となっています。
 この「地震の目」の巨大さと目の中の地震規模の大きなことから、本震は「スーパー巨大地震」になることが予想されました。
 …このような「地震の目」は、1995年の兵庫県南部地震でも発生しており、実際、本震が起こる30年くらい前よりそのような地震発生の傾向が生じていました。同じような現象は、規模は異なりますが、奥尻島を壊滅させた津波を伴った1993年の北海道南西沖地震でも、1994年の三陸はるか沖地震のときにも見られた、いわば共通した現象です。(引用終わり)」

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プラトン原理主義?数理論理教とは何か?

2015-05-05 22:14:04 | 存在哲学(宗教)
[注意 私個人がただ考えたことを記事にしています。私は、どの宗教団体・活動団体にも属しておりません。]

 ○○教原理主義という言い方があります。「原理主義」とは、もともとは神学論争で用いられた用語のようです。私は単にネーミングが良いので、「プラトン原理主義」として、数理論理教を説明してみようと思います。なお「数理論理教」などというものは、学問的にまったく議論されているものではありません(私の思い入れでしかありません)。

 以前「イルミナティ、ルシファー、悪魔?」という記事を書きました(一部引用)。

「 「数理論理教」の根本教典は、私はプラトンの『国家』等の教えだと思う。
 
 
 1.この世の真理(最高道徳・美)は、抽象的な数理論理性にある。現実にある現象はすべて、この抽象的な数理論理性に還元できる。なお「数理論理」であり、単なる「数」ではありません。プラトンもピタゴラスも伝統的な数学(算術)は、究極の数理論理性の解明(存在哲学の論理化、現在のメタ数学的なもの)のために役立つと考えていたようです。

 2.家族愛や恋愛などは普遍的なものではなく、朽ち果ててしまうべきはかないもので、このようなものに真理はない。

 3.社会道徳のような政治的な倫理は、偽善に満ちてまったく確実なものがない。今まで長い歴史の中で倫理的な諸制度が行われてきたが、すべて腐敗して醜い欲望の渦と化しているに過ぎない。このようなものに真理はない。

 4.最高の数理論理性を極めれば、その「真理体=神」に一体となり、魂は救済される。

 5.そのために、家族は禁止、男も女も数学的素養、音楽(音階による論理性)、軍隊教練(精神=身体の数理論理性)に励み、その中のエリートだけがこの数理倫理性を持った「真理の王国」を運営することができる。素養の欠ける人間はすべて間引きする。子供は国家がすべて管理して教育する。

 このように非常にカルト的ですが、宗教教義的にはすごく完成されていると思います。神秘主義(神との一体化)の手法は、数理論理性の探求のみです。よくある瞑想とか悲惨な修行より合理的だと思いますが…、まあ趣味の問題でもあるかもしれません。

 (数理論理教での実際的な社会への応用としては、「理想的で人工的な規律=法律」「合理的な社会経済の裏付け=会計」などによるものと思います。欲望人間を矯正する「法律体系」「会計基準」が必要です。)(引用終わり)」

 この中では、「数理論理的思考」が最も重要だと思います。これは究極的な自由で創造的な思考でなければなりません。何らの社会的・民族的な慣習や因習、宗教的教義などにも囚われることなく、文字通り「数理論理」のみを基に探求することが必要です。そして、それは実存的な絶対的真理(精神と物質の究極の統一原理)を解明することであり、そしてその絶対的なな真理を分かち合うことにことにより、真理と融合的に一体となることができ(神秘思想)、魂は浄化され救済されます(願望?)。おおむね、そのようなストーリーになる考え方だと思います。

 プラトンの数理論理教的な教えを私なりに解釈して説明してみます。

 1.コンピューターのソフトに例えてみます。

(1)数理論理的な根本的な思考=機械語(0と1の二進法のみの論理言語)
(2)(1)では分かり難いので、言語的な思考(基本的な記号による思考)=プログラミング言語
 なおプログラミング言語でも数理論理的なもの(例、C言語)や言語的なもの(例、昔のCOBOL)があります。
(3)(2)でも分かり難いので、象徴化された記号の使用、分かり易く手順方法を定める=アイコンや単純な操作手順((例)ウインドウズの様々なアイコンや操作方法など)
(4)(3)により作られた様々な記事、表や絵(マンガなど含め)など=象徴化やドラマ化された様々な具象的なモノ(スローガン、差別用語、性的図像、昼メロ的なワンパターンドラマ化などのお話など)。ブログでよく差別用語丸出しで、論争というか貶し合いしていることもありますね。

 私たちは普段(4)の世界で暮らしていると思います。(3)に詳しい方は事務処理能力があると見られるかもしれません。(2)に詳しい方は、もう「オタク」などと呼ばれているかもしれません。そして通常(1)に携わっているいる人を想像することすらできないかもしれません。(1)から(4)に向けて偶像化していきます。人間というのは、ある意味象徴化・偶像化された世界にいないと生きていけないのかもしれません。


 2.記号論的(私が感じた程度)に考えてみます。

(1)数理論理的な根本的な思考=メタ数学を頂点に、様々な数理論理学、そしてその基礎の上にある数学。ある意味数学は数理論理学を分かり易くした記号に当たると思います。数字も記号。
〔以前記事にした「存在哲学とは何か」の中で引用した『素数は「神の暗号」』でも説明されているように、この数理論理的な考えは、精神と物質の両方を統一するかもしれません。〕

(2)(1)を基礎とした物理化学など自然科学=記号である数学で表された法則性など(記号のカテゴリーされた記号のようなもの?)。この段階では仮説が多くなり、時として神学論争のようになります。大昔ニュートンの万有引力がすべてでしたが、それはアインシュタインの理論の特定な場合だけ正しいということになり、量子論が導入されるとまた修正されました。

(3)(2)でも一般の人には難解ですね。もっと具象化されて分かりやすい記号=言語、色、形、音階、ボディーランゲージなど。
 例えば「怒り」のような感情を表そうとすると、言語的には「怒り」「憤怒」「怒髪天を衝く」「あったまきたー」「チキショー」などありますね。色で表すと「赤」などでしょうか。音ですと周波数が高い音域ですか。形だとマンガにある怒り印?ギザギザ図形など?。ボディーランゲージだと、憤怒の形相、拳骨を突き上げるなどですかね。記号論では、大元の意味に関して、これらの表現方法は変換可能だと考えられています。
 昔、動物行動学(入門書は『ソロモンの指輪』コンラート・ローレンツ著)などを読みましたが、動物の様々な動きなどには意味がある(記号である)とのことでした。
 レヴィストロースは未開人の生活様式(最も単純な社会構造)を観察して、その社会関係を「記号化」して、その基本型から現代の複雑な社会構造を解き明かそうとしていたようです。

 
 
 
 
(4)(3)の具象化された記号を組み合わせた表現。もうこれは日常的に行われている様々な会話やドラマ化などですね。
 ドラマ化というのは、「感情(怒り・喜び・悲しみ等)を発するための様々な記号(裏切り・死・愛情・救済等)を組み合わせる技術だということだと思います。
 記号論ではドラマもカテゴリー化して研究されていたようです。例えば「白馬の騎士願望」、これは「救世主願望」という類型の中に、様々なパターンがあるようです。ウルトラマンの物語もこの「救世主願望」の一つと言われています。もうこの世界になりますと、様々なドラマ化が入り混じり、何が何だか分からなくなります。

 
 3.宗教的に考えてみます(あくまでも私の考えです)。

 今度は(4)から見てみます、まず(4)は上記1.2の(4)のような世界です。
 つまり象徴化・偶像化・ドラマ化されて、グチャグチャな世界です。 

 (3)(4)の混沌を解消するために、社会的・習俗的な普遍的な価値を考えます。=道徳的な考え?

 (2)(3)より普遍的な考え。主に言語的に考える。宗教的な経典など。
 言語というものは、「抽象的な想念」を「客観的な記号論理」に表したものだと思います。そしていったんできあがった「言語的客体の論理構造」は、人間の行動様式を深く律することになります。
 特に法律関係の「言語的論理構造」は、その定義(ことばの意味=論理構造)の変遷にともない、法治国家の国民を決定的に支配します。そういう意味では「法律の言語的論理構造」は宗教にも似た決定論的な重要性(宗教のような)を持っていると思います。
 また会計における「言語・数式の論理構造」は、現代では主要な目的行動である経済行動様式を決定的に律しています。これも宗教に似た一種の「言語(数式)的論理構造」だと思います。
「法律・会計」の「言語学的論理構造」は、数理論理教の俗世において、人間社会を実際的に律するものだと思います。日本や中国・韓国などが「法律・会計基準」をあまり重要視しないのは、根本的に数理論理教への親和性がないのだと思います。法律・会計基準に反する行為は、形式的には(数理論理の)神に対する最も重い罰だと思います。

 (1)(2)より普遍的な考え=数理論理的な考え。もう宗教というか存在哲学=純粋論理学です。瞑想というのは脳(又は人間全体)からの電磁波なようなもので、大元の根本存在を探っているとしまうと、非常に面白いと思われますが?
 「宗教」というのは、私は「存在哲学」のことだと思います。そして一番真理に近いのは数理論理的思考だど思います。
  なお空海さんの『十住心論』 で説かれている内容は、道徳的な教え⇒言語的な真理(教え)⇒記号論理的な真理(真言密教)というような段階的な認識手法を紹介されているのだと思います(私の考えですが…)。
 
 
 
 
 4.自由、博愛、平等(私の解釈)
 「自由、博愛、平等」というスローガンを掲げて、フランス革命やアメリカ独立戦争が行われました。私はこのスローガンは、プラトン原理主義のカルト的な考えを覆い隠すものだと思います(カモフラージュ)。
 この中で最重要なのは、「自由」だと思います。この「自由」は数理論理的思考をするための根本的な権利で、「人権」と同じ意味合いだと思います。(以前「人権と数理論理教」という記事を書きました。)
 「自由」=「人権」=「数理論理的思考」だと思います。これは絶対的に必要な「権利」であって、侵すことは許されないものだと思います。「博愛」というのは、この「数理論理的思考」を持った人たちだけの間に通用するものだと思います。数理論理的思考をしない人たちには、「愛」など差し向けることはないのです。「平等」もこの数理論的思考をする人たちだけに通用します。数理論理的思考をするために、平等も与えられているのだと思います。
 アメリカではインディアンが大量虐殺されましたが、数理論理的思考がない人たちには「人権」はないと思っているのかもしれません。


 5.近代科学、プロテスタンティズム、資本主義
 この奇妙な「プラトン原理主義」は、近代科学、資本主義とともに爆発的に広がり始めました。近代科学の応用として、様々な「商品」・「機械」・「武器」などが発明・製造されました。これらは、人間社会に絶対的(決定的)な影響力を与えました。これらにより自然も人間社会も人工的に改造されるようになりました。
 イスラム世界などでは、「コーラン」の教えで完結した社会であるはずなのに、この数理論理主義はどんどん侵略していきました。仏教や儒教という偉大な精神世界を持つアジア社会も侵略されました。なぜ可能となったのか?それは「科学技術応用兵器の威力」と「数理論理的な戦術・戦略(諜報・謀略含め)によるものだと思います。
 
 
 共産主義というのも、一種の数理論理主義だと思いますが、旧共産圏(ソ連・中国など)は「自由」=「数理論理思考」を言論統制などにより抑圧してしまいました。これは、本末転倒だと思われます。「共産主義」=「数理論理主義の頂点」は単なる具象化されたマンガ的なものに喩えられてしまったようです。労働者が単に団結して、経営者に代わってみても、自由な数理論理思考の競争なしでは、相対的剰余価値の拡大→有機的構成の高度化は達成できないと思います。
 

 6.世界政府、子供の世界管理、プラトン原理主義の世界宗教化?
 今後、数理論理主義競争が進めば、科学技術の負の側面の公害悪化(放射能含め)や地球環境の激変などなければ、もしかすると「プラトン原理主義」が世界宗教になることもあり得るかもしれません。そうなれば、子供は国家が管理するようになり、差別はなくなるのでしょうか?もし過激なプラトン原理主義者がいたとすると、この主義を受け入れない人たちは全て虐殺(ハード・ソフト含め)されてしまうかもしれません。「文明化」・「工業化」・「近代化」とは、このプラトン原理主義の皮相的なメリット面を言っているのではないでしょうか?
 しかし、米国では本気に火星移住なども考えているようで、遺伝子操作による新たな生物の創造、電子頭脳を持ったロボット、UFOのようなもの(TR-3Bなど)なども開発しているかもしれません。イラク・湾岸戦争で米国の最先端兵器にびっくり仰天してしまいましたが、今度の戦争では想像を絶する兵器が登場するのではないでしょうか。「プラトン原理主義」(近代化・文明化でカモフラージュされている)はますます広まるのでしょうか?
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