新型コロナウィルス
猛威は続く
地学で習った太陽のコロナ
メキシコのコロナビール
暖房機器メーカーの株式会社コロナ
ビールとストーブは
名前が一緒なだけで風評被害
固有名詞の難しさ!
〔おまけ〕
コロナビールは最近また店頭で見かけるようになりました。
株式会社コロナは社長名で「コロナという社名に誇りを持っている。」と新聞広告を出していました。
自分と同じ姓・名と同じ人が誇らしい成果をあげるとなんとなく胸を張り、逆の場合は意気消沈。
難しいものですね。
新型コロナウィルス
猛威は続く
地学で習った太陽のコロナ
メキシコのコロナビール
暖房機器メーカーの株式会社コロナ
ビールとストーブは
名前が一緒なだけで風評被害
固有名詞の難しさ!
〔おまけ〕
コロナビールは最近また店頭で見かけるようになりました。
株式会社コロナは社長名で「コロナという社名に誇りを持っている。」と新聞広告を出していました。
自分と同じ姓・名と同じ人が誇らしい成果をあげるとなんとなく胸を張り、逆の場合は意気消沈。
難しいものですね。
何にしようか
売り場の中をウロウロ
どこにいても同じものが買え
地元の商品がやぼったく見え
いつの間にか消えていく
今回も
買ったのは
いつもの
決まり切った
飽きられた
お土産!
〔おまけ〕
昨夜、帰ってきました。
出かければシャッターが閉まり、見慣れたチェーン店の看板が目立ち、人がどんどん減って行く。
地元紙の年頭記事を読むと、各自治体の長の空虚な挨拶。
陳情する、協力を得る、企業を誘致する、若年者の定着、ハコ・モノ幻想。
どこの自治体も同じ言葉。
昔は、それぞれ特徴があったような。
かく言う私も、故郷を出た一人。
2011.3.11、14:46
15,895人、2,539人、3,647人、約73,000人
数字は順に、東日本大震災が発生した日時
死者、行方不明者、震災関連死、今も避難を続けている人
合わせて9万人以上
他に、数字には入っていないが今も困っている人々もいるはず
復興って何?
以前の場所に元通りの町を作ること?
7年でできたことは何?
ハコはできても人はどこ?
震災の年に生まれた子供はもう7歳
この子らの故郷は避難した町
「復興は着実に進んでいる」との発言に、避難者の気持ちは「?」
復興って何!
〔おまけ〕
転勤族の子供だった私は、中学の2年半を海辺の町で暮らしました。
地球を半周して来襲したチリ地震津波対策のための頑丈な堤防ができたのは、私が転校して行く数年前でした。
東日本大震災はその頑丈な堤防を破壊し、地元で暮らしていた中学の同期生15人を飲み込んだのです。
今、海辺の町は、山を崩して旧市街地のかさ上げ工事が進んでいますが、人は・・・。
震災対策の7年はあまりにも長く、そして夢中で生きてきた被災者には短い7年です。
〔もひとつおまけ〕
震災後に記したブログを読み返してみました。
当時の私の気持ちを知ってください。
第436章「みんな無事か」の話 第437章「一筋の光」の話
第438章「踊る人」の話 第439章「がんばれ日本」の話
第445章「日常と危険」の話 第452章「消えた思い出」の話
大雪
四年ぶりとか
タイヤチェーンが売れ
スコップや雪かきが売れ
早めの帰宅と交通渋滞
雪は降り続く
革靴で転び
ノーマルタイヤでスリップし
コンビニに商品が届かず
学校は始業時間を繰り下げ
閉じこもる家、ちりとりで雪をかく家
何年に一度のための準備
はたまた仕組みづくり
喉元過ぎれば・・・
大事なのは備え!
〔おまけ〕
雪国では毎日のことなので、そういう地域の方々から見ると、この大騒ぎは「?」ですよね。
有事に備えてとか未曾有の災害に備えてとかの投資は行われても、大雪に備えたルールや仕組みづくりがなかなか整備されないのは、票にならないからなのでしょうか、それとも二・三日みんなが我慢すれば雪が溶けてまた元に戻るからなのでしょうか。
出番を待っていたスコップが大活躍、広い道まで除雪したり、車を掘り出したりしましたが、なまった身体には苦痛、腰が痛いのです。
スコップを持ったあまり知らない近所の人たち、同じ作業をしていると連帯感が生まれます。
懐かしい雪の山に挨拶をし
お土産を持ってお隣に顔を出し
紅白を観て
作ってもらったお雑煮を食べ
いつものお正月を味わい
家の片付けをし
特に高い所
買い物をし
特に重いもの
あちこち修理し
特に力のいる所
新年のゴミ出しの準備をし
家中の不便を解消し
「また来るね!」と家を出る
新幹線の中で思う
何か悲しい!
〔おまけ〕
ここ何年も続く、暮れから正月の行事です。
一週間はあっという間でした。
親からはありがとうと言われますが・・・。
帰りの 新幹線の中で色々と想いを馳せたコーヒー
また今年も「3.11」がやって来た
あれから4年、1,461日目目の今日
長かったのか、「アッ」という間だったのか
人それぞれの感慨があり
人それぞれのかかわり合いがあり
いつまでも自分のこととして考えざるを得ない人
無関心にいつも通りの暮らしを送る人
東京では国立劇場の中だけに「3.11」
銀座にはいつもの人ごみ、ただの2015年3月11日水曜日
いつまでも忘れずに
くりかえされることのないように
復興を願って手を合わせる!
〔おまけ〕
転勤族の子供だった私は、「3.11」で被災した海辺の中学校を卒業しました。
以後の転勤・転校の煩わしさを逃れるため、卒業と同時に下宿をして内陸部の高校へ進学することにしました。
中学の同級生たちは、卒業後も同窓会やら歳祝いに誘ってくれましたが、遠距離や多忙を理由にあまり参加して来ませんでした。
その同級生のうち15人が「3.11」に海に飲み込まれてしまったのです。
2年半しか住んでいませんが、心の温かい人の居る街でした。
チリ地震津波の被害をを教訓に、頑丈な堤防が砂浜に完成した直後に転校して行った私は、その大きさに驚きました。
しかし、「3.11」では津波がそれを乗越え破壊してしまったのです。
今、被災地では、進捗の早い遅いはあっても復興工事が進んでいます。
しかし、仕事もなくなってしまい完成を待ちきれずに転居する人も多く、復興はしたものの住む人は減少するという矛盾が起きかねない状況です。
私たちにできる支援、それは被災した地域の産業を維持し人の定住を促進するために被災地の産品を、できる範囲で愛用することも一つの方法ではないでしょうか。
5月35日
意味不明だが、意味ある日付
5月35日=5月31日+4日=6月4日
大っぴらには言えぬ6月4日
そう、25年前
天安門事件の日付
事実を事実と言える日は、いつ!