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新宿歴博 & 新宿御苑

2016年07月06日 | 散歩
 新宿歴博=新宿歴史博物館、初めての訪問! それと 新宿御苑の大温室、新宿御苑は何度も来ているが、大温室はこれも始めて。
初めてということで、期待が弾みます!

営団丸ノ内線「四谷三丁目」下車。

<新宿歴史博物館>
 新宿区に関する歴史資料を収集保存し、展示公開している。常設展示は六つのテーマから構成され、旧石器時代から現代までの新宿区の歴史、新宿区にゆかりのある文人などについて、大型の模型や展示品で紹介、なかなか見所の多い施設である。 


新宿歴史博物館 入口


内藤新宿模型
江戸時代に設けられた宿場の一つ。甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。現在の住所では、東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。


「近代文学にみる新宿」
近代文学にみる新宿、
新宿に住んだ数多くの文学者たちとその作品、また新宿をえがいた文学作品などを紹介している。


夏目漱石の展示
夏目漱石(本名・金之助)は、慶応3年江戸牛込馬場下横町に父小兵衛(直克)母ちゑ(千枝)の五男として生まれた。生家は現在の喜久井町一番地にあたり、夏目漱石の『硝子戸の中』によれば、この喜久井町の名は夏目家の家紋(井桁に菊)にちなんで、当時町名主であった父が名づけたものであるという。また、生家の脇を馬場下町から南東に上がる坂を「夏目坂」としたのも漱石の父であった。


漱石山房、模型
晩年、早稲田南町七番地に転居、亡くなるまでこの地に住んだ。いわゆる「漱石山坊」はこの早稲田南町の家であり、ここは『坑夫』『三四郎』『それから』『門』など漱石の代表作の殆どが生み出されたところである。また、この漱石山房には小宮豊隆、森田草平、鈴木三重吉、寺田寅彦、芥川龍之介など数多くの門下生が出入りし、毎週木曜日を会合の日としたので「木曜会」とよばれた。


林芙美子・太宰治
林芙美子は昭和16年、下落合(現・中井)に数奇屋風の日本家屋を建てた。。『晩菊』『浮雲』などの晩年の代表作を生み出したこの邸宅は、現在「林芙美子記念館」として一般に公開されている。
太宰治は昭和5年弘前高等学校を卒業後、東京帝国大学仏文科に入学し、三兄である圭治の住居に近い高田馬場駅近くの、戸塚町諏訪の学生下宿「常盤館」に入っている。その後、淀橋町柏木の下宿等転々とする生活をした。







東京市電
昭和初期に活躍した「東京市電5000形」という路面電車。いわゆるチンチン電車!



「昭和初期の新宿」特設コーナー
昭和初期、急速に発展した新宿駅周辺の風俗や娯楽と、そこに集まる人々の日常生活を、時代相も含め展開している。


ムーラン・ルージュ新宿座
昭和の初期に馬糞横町といわれていた武蔵野館通りの奥、甲州街道の陸橋の手前右手にあった「ムーラン・ルージュ新宿座」は、屋根の上にその名の通りの赤い風車がくるくるまわる小さな劇場で、そこで上演される軽演劇とレヴューは、山の手の学生やサラリーマンたちの人気を集めていた。

 新宿中村屋で昼食。名物カレーライスを食べる。

<新宿御苑>
 新宿御苑 (しんじゅくぎょえん). 江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があった土地の一部が、明治に入り農事試験場を経て皇室の御料地となり、明治39年に完成した皇室庭園で戦後一般に開放されるようになった。


イギリス風景式庭園


大温室
 2012年にリニューアルされたばかりの「新宿御苑大温室」は、熱帯の植物や珍しいラン、絶滅危惧種の植物などが鑑賞ができる隠れた穴場スポット。以前来た時は、工事中だった。


ハス池


オオオニバス(大鬼蓮)
葉の大きいものは直径2mを超える世界一大きな葉を持った被子植物。子供3人が乗っても沈まないと言われている。


ヘリコニア・マリアエ
奇怪な形と色だ!


サラソウジュ(紗羅双樹)
平家物語で有名。


イエライシャン
これは、一般に夜来香(ユウライシャ)として有名。


イエライシャンの花


フランス式整形庭園
バラ園




プラタナス並木




日本庭園(内藤家の庭園)
ここは御苑のルーツだったところ。

 今回は新宿御苑の一部を散策したが、他に広大な日本庭園があるが、ここは後日としよう。
 梅雨の合間の、ゆっくりとしたひと時を過ごすことができた。

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