世田谷奥沢にある浄真寺。
境内に「さぎ草園」があり、日本の野生蘭であるさぎ草が群落し咲いていた。
さぎ草は8月上~中旬が見ごろであり、ちょうど見ごろを迎えていた。
サギソウの花が白鷺が飛んでいるように見えることから、名前がついている。
この浄真寺に、さぎ草にまつわる悲話がある。
「室町時代 世田谷城主・吉良頼康には、家臣の奥沢城主大平出羽守の娘で常盤姫という美しい側室がいて、頼康の寵愛を一身に受けていた。古くからいた側室がこれを妬んで、常盤が不義をしたとあらぬ告げ口をしたため遠ざけられた。悲しんだ常盤は幼い頃から愛育した白鷺の脚に遺書を結びつけ、両親の住む奥沢城に放った。たまたま奥沢城附近で狩をしていた頼康が、白鷺を射落としたところ、脚に手紙が結んであった。これを開いてみると常盤の遺書であった。頼康は驚いて城に帰館したが、時すでに遅かった。白鷺の射落とされた場所からは一本の草が生え、やがて鷺に似た白く可憐な花をつけたのです・・・・」。
サギソウの栽培は容易なようで難しい。
私も栽培していたサギソウを1年前に枯らしてしまった。
(写真は浄真寺のさぎ草園とサギソウ)
境内に「さぎ草園」があり、日本の野生蘭であるさぎ草が群落し咲いていた。
さぎ草は8月上~中旬が見ごろであり、ちょうど見ごろを迎えていた。
サギソウの花が白鷺が飛んでいるように見えることから、名前がついている。
この浄真寺に、さぎ草にまつわる悲話がある。
「室町時代 世田谷城主・吉良頼康には、家臣の奥沢城主大平出羽守の娘で常盤姫という美しい側室がいて、頼康の寵愛を一身に受けていた。古くからいた側室がこれを妬んで、常盤が不義をしたとあらぬ告げ口をしたため遠ざけられた。悲しんだ常盤は幼い頃から愛育した白鷺の脚に遺書を結びつけ、両親の住む奥沢城に放った。たまたま奥沢城附近で狩をしていた頼康が、白鷺を射落としたところ、脚に手紙が結んであった。これを開いてみると常盤の遺書であった。頼康は驚いて城に帰館したが、時すでに遅かった。白鷺の射落とされた場所からは一本の草が生え、やがて鷺に似た白く可憐な花をつけたのです・・・・」。
サギソウの栽培は容易なようで難しい。
私も栽培していたサギソウを1年前に枯らしてしまった。
(写真は浄真寺のさぎ草園とサギソウ)