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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

上杉謙信の妻女山陣場平。枯れ葉を押しのけて突き破って、雪を解かして芽吹く貝母(妻女山里山通信)

2022-03-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2月26日(土)に陣場平の貝母(編笠百合)の芽吹きを確認しました。ここのところ最高気温が10ぐらいの日が続いたので、3月2日(水)、再び陣場平へ。前日に雨が降ったので、日陰の雪も解け始めたと思いました。ひと雨ごとに日陰や北面の雪も消えてゆきます。オフロードバイクで登ってきた男性と邂逅。拙書やブログを紹介して、信州のあちこちの林道の話などをしました。ハイカーだけでなく、マウンテンバイクの人達もこれから訪れるでしょう。

 前回、芽吹きを確認した陣場平入り口の西斜面の貝母。ほぼ同じカットです。たった4日ですが、ずいぶん大きくなっています。一日1センチぐらい成長している感じです。

 陣場平中心部へ。前回は、菱形基線測点の周囲以外は全部雪原でしたが、かなり地面が見えてきました。茎の太いものは、大きな球根なのです。小さなものは小さな球根。昨年移植した球根は、今年もう花が咲きます。種で増えるものは、開花まで数年かかります。

 こんな風に、枯れ葉をどけたり、突き破って芽吹いてきます。枯れ葉は微生物などにより分解されて腐葉土になります。

 貝母は、その体温で雪を解かして芽吹きます。雪を解かすのは、太陽や春雨だけではないのです。樹木や草本もその体温で解かすのです。また、ニホンカモシカやイノシシが通る獣道は、その踏まれた足跡で早く解けます。

 陣場平の北西の角に一基だけある帰化した高句麗人の積石塚古墳。前回は、この周りの灌木を切ったのですが、まだ終わっていません。非常に貴重な遺跡なので、整備して案内看板を立てようと思います。

 林道から陣場平の入り口。前回のカットと比べると雪解けが進んでいるのが分かります。山蕗が盛んに出てくるのは半月ぐらい先です。暖かくなってきて活動が活発になったのか、ニホンカモシカの足跡もあちこちにたくさん見られます。

 そこから見る天城山と鞍骨山(鞍骨城跡)方面と、堂平大塚古墳へ下る道。西面は雪が消えました。ログハウスで休憩します。

 ログハウス前の樹木。よく見ると芽が膨らみ始めています。その向こうは杉林。忌々しいスギ花粉が飛び始めるのは、3月中旬から4月上旬です。その後はヒノキの花粉に変わります。飛び始めたら薬を飲みましょう。

 古墳の南斜面と向かいの斜面に咲く福寿草。ずいぶんと増えて華やかになりました。まだまだ増えます。啓蟄(けいちつ)を過ぎて、最高気温が15度とかになると、ヒオドシチョウやルリタテハ、テングチョウやセイヨウミツバチなどが舞い始めます。下る途中で、登ってきた男性と邂逅。遅い時間なのでどこまで行けるかなと言うので、拙書を見せて鞍骨山(鞍骨城跡)を勧めました。落葉期なので見晴らしもいいですしね。

 国道403号の妻女山入り口から見上げる妻女山展望台(411m)。手前は上信越自動車道。展望台は、比高100mもありませんが、北アルプス、戸隠連峰、飯縄山、高社山、志賀高原、根子岳や四阿山まで一望できる稀有な展望台です。
 現在はここが妻女山と呼ばれていますが、正しくは赤坂山です。上杉謙信が本陣としたと伝わる妻女山は、ここより100mほど高い本名を斎場山という山で、山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。Googleマップでは、陣場平と斎場山について、私が写真を投稿しコメントも記しています。ぜひご覧ください。
 ここは川中島八景のひとつ。妻女山秋月に挙げられています。あと七つは、茶臼山暮雪、猫ケ瀬落雁、千曲川帰帆、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐。またここは、「信州サンセットポイント百選」に選ばれており、美しい夕焼けが見られます。

■「川中島八景」とは。
●妻女山秋月。現在は夕焼けのビューポイントとして有名で、カップルがよく訪れますが、江戸時代は観月の名所だったようです。
●茶臼山暮雪。茶臼山は北東の北風が吹き付けるので、妻女山になくても茶臼山が真っ白ということはよくあります。西日に映えて逆光に光る茶臼山は美しいものです。江戸時代はまだ南峰が崩壊していなかったので、おっぱい型の美しい双耳峰が見られたはずです。
●猫ヶ瀬落雁。猫ヶ瀬は、現在の松代SA辺りにあった猫でも渡れるほどの浅い瀬。浅いので雁もたくさん集まったのでしょう。
●八幡原夕照。有名な川中島合戦の古戦場です。八幡社があり、史跡公園になっていて市立博物館があります。松林越しに見る北アルプスに沈む夕日は一見の価値があります。敷地の東の千曲川の堤防上を歩くのがおすすめです。
●勘助塚夜雨。その対岸の堤防を下りたところに山本勘助の墓があります。勘助塚夜雨といいますが、雨の夜に訪れるのは、ちょっとおすすめできません。勘助の亡霊が出るかも・・。
●典厩寺晩鐘。八幡原から35号線を少し南下し、釜飯のおぎのやの交差点を右折すると典厩寺入り口。武田信玄の弟、信繁が八幡原で討死したことに因み、合戦から60年後、元和八年(1622)、松代藩主真田信之が信繁の官職「左馬助」の唐名「典厩(てんきゅう)」から寺号を典厩寺と改めて菩提を弔ったものです。閻魔堂には東洋一大きいといわれる閻魔大王像があります。小学校低学年の頃に遠足で訪れて閻魔像を見たために、夜幾晩も夢に見てうなされました。
●海津城晴嵐。現在の松代城のこと。昔から桜の名所だったので、晴嵐とは満開の桜が春風で舞い散る様をいうのでしょう。元々村上の筋である土豪、清野氏の館を山本勘助が築城したということです。現在は松代城と言いますが、近年改修されるまでは、海津城と言ってました。


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