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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

雪解けが進む上杉謙信の妻女山陣場平。高句麗からの帰化人の積石塚古墳の整備を(妻女山里山通信)

2022-03-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 金曜日は最高気温が9度と前日より1度低いのですが、寒風がないために体感気温は高めです。今回は、上杉謙信が陣城を構えたと伝わる陣場平にある積石塚古墳の灌木の伐採のために登りました。明日5日(土)は、昼ごろから春一番並みの強い南風が吹きます。落枝や倒木の危険があるので、山登りや山歩きは控えましょう。

(左)午前中、陣場平へ登る北側の林道はカチカチに凍っています。スタッドレスではとても登れません。ビブラムソールの靴でも厳しい。午後になれば解けてシャーベット状になります。(右)フユヅタ(アイビー)に絡みつかれたクヌギ(椚)かエンジュ(槐)の木。ここまで絡まれると葉に日が当たらず枯れてしまうかもしれません。

 長坂峠手前の林道の上のクヌギの枯れ木。穴があいています。森林病害虫のカシノナガキクイムシによる「ナラ枯れ病」かもしれません。ナラ類やシイ・カシ類などの樹幹にカシノナガキクイムシが潜入し、ナラ菌を樹体に感染させ、菌が増殖し、感染木は7月梅雨明け直後から枯れ始めます。この木もいつ崩壊してもおかしくないので、伐採しないといけません。長坂峠から陣場平までの西斜面のクヌギが異常に枯れ始めたので、専門家に見てもらうつもりです。早急に対策をしないと大変なことになります。

 長坂峠から、拙書でも掲載の三峯山。山頂には展望台と麻績村のスキー場があります。山頂の下には聖湖があり、へらぶな釣りのメッカとして人気があります。子供には山頂からのスライダーがおすすめ。このブログでも何度も登って紹介しています。

 陣場平は、少しずつですが確実に雪が解けています。貝母も二日前よりずっとたくさん芽吹いていました。枯れ葉が膨らんでいるところは、その下で芽吹いています。

 上のカットの右手前の枯れ葉をどけると、芽吹始めの貝母がたくさん現れました。日があたっていなかったので、モヤシみたいに白いのですが、太陽ですぐに緑になります。

 陣場平の貝母もあちこちで芽吹き始めました。雪の下でもすでに芽吹いています。見学する時は、足元に注意して入ってください。踏まれたぐらいで枯れるほどやわではありませんが。

 高句麗からの帰化人の積石塚古墳。前の記事のカットと比べていただけると伐採の状況が分かると思います。30本以上伐採しました。鋭いトゲのある山椒が多いので、革手袋をはめての作業です。右の立ち枯れの木に絡みついた山藤も切りました。2時間半ぐらいの作業でしたが、けっこう疲れました。ハイキング途中のご夫婦が立ち寄ったので、説明をしました。貝母は見に来たことがあるそうです。
 高句麗は、紀元前100年ぐらいから唐・新羅の挟撃によって668年に滅びるまで続いた国です。現在の韓国北部と北朝鮮から満州ぐらいにあったツングース系の騎馬民族で、日本に馬産を伝えました。石の文化を持ち、現在の半島の人とは異なります。積石塚古墳は、日本全体では1%ですが、信州ではなんと25%にもなります。つまり、それだけ多くの人が高句麗から帰化したのです。埼玉の狛川や東京の狛江市もその系統です。茶臼山の麓の篠ノ井は、高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されています。それが現在の篠ノ井(旧篠ノ井市)の名称の元です。縄文人や春秋戦国時代の越に滅ぼされた呉や、その後に滅びて帰化した越の人々などの倭人や、秦の始皇帝を欺いて帰化した徐福一族などと共に、信州人の祖先といえるでしょう。

 上の写真の後方、雪がある部分は半円形に野面積みの石垣があります。古墳時代のものか、その後に作られたものかは分かりません。山城や古墳に樹木が生えて大きくなると、根で壊してしまうので伐採が必要です。いずれ古墳上の枯れ葉も注意して除去します。

 クヌギの落枝にタコウキン科タマチョレイタケ属のハチノスタケ(蜂巣茸)。傘の裏が蜂の巣状になっています。食べられませんが、出汁はとれるらしいのですが、試したことはありません。独特な出汁? やってみましょうか。

 疲れたのでログハウスへ休憩に。福寿草はまた増えていました。まだつぼみのものも多いので、もっと増えるでしょう。かなり強い毒草なので、扱いには注意が必要です。

 ログハウスから見る鹿島槍ヶ岳と千曲川。少しずつ春めいています。

 ログハウス入口付近にニホンカモシカの足跡。何度も通った跡があります。食餌歩行のルートはだいたい決まっているので、いつ頃通るかを知っていれば出会うことはそう難しくはありません。拙書でもニホンカモシカのカットを載せていますが、あの頃はニホンカモシカの家族を追いかけていました。母親と子供がいつどこで集うかを知っていたので、観察や撮影は簡単でした。今は塒(ねぐら)も移動してしまい、追いかけられていません。それでもたまに遭遇します。

 陣場平から長坂峠へ下る途中の御天上という平坦なところで、マウンテンバイクの男性と邂逅。拙書を見せて、色々なルートが有ることを説明しました。真冬でもファットバイクで来る人もいますが、これから暖かくなるとハイカーだけでなくマウンテンバイクの人も増えます。自転車はバイクや車と違って野生動物を驚かすことも少ないのでおすすめです。若い頃は、プジョーのロードレーサーやビアンキのクロモリのマウンテンバイクに乗っていたのですが、今は長男のところに預けて、私はもっぱら車と歩きです。

 長坂峠から見る斎場山(旧妻女山)。手前中央の細めの木はエノキ(榎)で、国蝶のオオムラサキの幼虫の食草です。冬は樹下の枯れ葉の下にいますが、葉が出ると登って食べ始めます。昨年は発生が極めて少なかったので、今年は大発生を期待しています。

 妻女山松代招魂社。左手前の軒が腐っていた様で、瓦が落ちてしまいました。修理が必要です。奉賛会も高齢化している様ですし、氏子が多い神社ではないので保全は大変です。松代藩の重要な神社なので公費が使えるといいのですが。どうなんでしょう。

 松代方面の眺め。左にこれも拙書で掲載の奇妙山の大きな山塊。歴史がある非常に面白い里山です。山頂は古い時代の山城で、麓には古墳がたくさんあります。右奥の根子岳と四阿山も拙書に載せていますが、ゴールデンウィーク過ぎまで残雪があります。それなりの装備が必要です。
 ブログでは、政治的なことは発信しません。Twitterではつぶやいたりリツイートしたりします。ひとことで言うと「戦争反対」。それだけです。亡父は第九師団にいましたが、沖縄から台湾に移り、一度も戦闘をすることなく終戦を迎えました。そのまま沖縄にいたら私は生まれていないでしょう。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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