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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

葛飾北斎と栗と花で有名な小布施の雁田山トレッキング(妻女山里山通信)

2015-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 小布施の町から鳥が羽を広げているように見える山が雁田山。葛飾北斎を師と仰いだ高井鴻山の雅号の元になった山です。春の好日に取材トレッキングをしてきました。思いの外厳しい山で、花粉症で鼻呼吸が満足にできない私は、終始あえいでいました。早く花粉の季節が終わらないですかね。

 現在は、写真の一番右の峰を雁田山といっていますが、地元では電波反射板跡としか表記されていません。御多分にもれず、一等三角点を設置した際に国土地理院が記したものが定着したと思われます。こういった事例は、しばしば見られます。地元で雁田山という場合は、特定のピークでなく、この鳥が羽を広げているように見える山脈全体を、そう呼んでいたのでしょう。
 生坂村の大城は、地元の人がそう呼ぶ山頂から北へ600mも離れています。妻女山も600m離れた赤坂山に三角点があり、妻女山の名前が移ってしまいました。屋代の一重山も、本来の一重山から屋代城跡のあるところへ名称が移ってしまいました。これは、その事実を知らないと歴史検証などに結構混乱を引き起こします。国土地理院も、もう少し配慮して欲しいものです。
 写真で分かるように、赤松の緑は尾根筋にしかありません。結構自然林が残っているいい山です。谷筋の緑は植林された杉林です。峰の尾根筋の高いところには、シラカバの群生が見られます。稜線にはチャボガヤも自生していました。低いところにはエノキも散見されたので、オオムラサキも少なからず発生するのでしょう。この広葉樹林帯は守ってほしい。

 小布施といえばやはり岩松院が有名ですね。桜が咲く山門と仁王門のちょっとユーモラスな仁王像。そして仁王門の裏に鎮座する三面大黒天の像。仁王像は、明治の廃仏毀釈の煽りを受けて戸隠の中社から移譲されたもの。移譲の際には、戸隠の人々が涙を流して見送ったとか。英仏の傀儡クーデター政権の明治政府がなぜ文化否定の廃仏毀釈までして天皇制を制定維持しなけらばならなかったのかは、田布施システムで検索を。
 大黒天は、元々はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラですが、日本では神道の大国主命と神仏習合した日本独自の神へと変容しています。七福神の一柱としても知られていますね。
 「八方睨み鳳凰図」は、葛飾北斎作の肉筆画と紹介されていますが、美術史の専門家でそれを押す人はいないでしょう。北斎が下絵と色見本を作って、高井鴻山か北斎の娘が着彩した。あるいは両人が、というのが定説です。昭和50年の『小布施町誌』にも、それが通説であると書かれています。天井絵を拡大すると板の継ぎ目で色が変わっていたり、線がずれていたりします。
 下で描いたにせよ、天井を設置してから描いたにせよ、大きな一枚だったら修正できたはずなので、これはバラバラか、ブロック毎に描いて後で合わせたのでしょう。しかも、その時に修復していない。けっこう詰めが甘いです。
 2005年に東京国立博物館で北斎展を観た方なら分かるでしょうが、北斎の肉筆画はそれは凄いものです。世界では『富嶽三十六景』の「神奈川沖波裏」などは、The Great Wave off Kanagawaとして超有名ですが、そういう理由からか、さほど注目はされていないのが現状です。しかし、だからといって価値がないとか、偽物とかいうことではないのです。これはこれで素晴らしい作品です。

 登山口は、岩松院の左手の尾根の先端から始まります。すぐに石積みのある小城跡。板状節理の大岩をガシガシ登って行くと、大城跡。二つを合わせて苅田(雁田)城跡といいます。起源など詳細は不明だそうですが、この地を収めた高梨氏との関わりが深いそうです。堀切含め、城跡の遺構はかなりはっきりと残っています。この登りは特に危険箇所はありませんが、きついです。

 急登をこなして千僧坊のピーク。一番上の写真の左のピークです。明治の頃は、苅位山と呼ばれていたピーク。千僧坊というのは、むしろ俗称でしょう。実はそのすぐ裏にこの山脈の最高峰、滝ノ入城跡があった屠屋場山(とやばやま)があります。今回はパスして、雁田山脈を右へ辿りました。大きな姥石を過ぎて登って行くと、四阿のある展望園地。一番上のカットでは真ん中のピークです。ご覧の様にここの眺めは最高です。明治時代頃までは、不動山といわれていたピークです。まあこれが正名なんでしょうけど。
 北アルプスから北信五岳(斑尾・妙高・黒姫・戸隠・飯綱)、高社山までの大パノラマが堪能できます。向こうの麓に横一直線に延びるのは、新しく開通した北陸新幹線。手前に千曲川の流れ。眼下に小布施の里。

 右に目をやると、別名を高井富士、地元では親しみと尊崇を込めて「たかやしろ」と呼ぶ高社山。まだまだ残雪があります。中腹から下は果樹園です。その手前の崖地には、貴重なチョウゲンボウの繁殖地があります。高社山を境に豪雪地帯の飯山盆地と長野盆地が分かれ、気候や植生、生態系の大きな違いを生み出している重要な山脈なのです。

 花はまだ多くなく、山ではダンコウバイが散り始め。カタクリの群生地ではパラパラと咲いていました。スミレ類もこれからでしょうか。下りは、雁田山から辷り山へ下り、せせらぎ緑道を戻りました。途中の国指定の薬師堂がある浄光寺では、枝垂れ桜が満開でした。

 そして小布施町が大切にしているミスミソウの群生地へ。もっと南へ行けば普通に大きな群生地はあるのですが、この町では非常に貴重な植物です。なかなか見つけられず、同行したK医師の案内で、やっと数輪咲いているのを発見しました。一番右のカットでは、もう花後のものも見られます。
 標高差が450mもないのに、なかなか厳しい山で、久しぶりに膝裏の筋が痛くなりましたが、いい山行でした。信州山の日までには、自然と歴史を含めた写真満載のトレッキング・ガイドブックとして発刊される予定ですので、お楽しみに。

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