妻女山でも低い所では、まだミンミンゼミが鳴いています。蝉はけっこう長生きで、鳴いているものは9月上旬頃に羽化したものでしょう。木々の葉も山桜や山椒やヌルデが色付いてはきましたが、まだまだ緑が多く、一見真夏と変わりません。それでも季節は確実に移ろってきています。そんな小さな秋を見つけに久しぶりに鞍骨山に登ってみました。妻女山駐車場から右の林道に入り、長坂峠を目指します。斎場山(旧妻女山)との分岐を経て左へ。天城山(てしろやま)の巻き道を使って二本松峠経由で約90分で鞍骨山山頂です。

今回は途中で山栗を拾いました。山栗にしては大きな粒です。渋皮もきれいに向いてマロングラッセでも作りましょうか。栗がセシウムをため易いのは、ひょっとしてお茶の葉と同じくタンニンが多いためではないかと思い調べました。すると、やはり渋皮に含まれるタンニンがセシウムと結合すると分かりました。高汚染地でなくても渋皮煮は避けた方がいいでしょう。玄米のセシウムがもみ殻とぬかに集中することも分かっています。渋柿やタマネギの外皮、柑橘類果皮などの植物系バイオマスは、高いウラン濃縮能力を持つそうです。つまり、その効果を利用して"汚染されていないタンニンを含む食品"によりセシウムの排出を促したり、タンニン系生体物質を放射性核種の除去剤として利用できる可能性もあるということです。

妻女山山系では、嫁菜は白嫁菜が比較的標高の低いところに、薄紫の嫁菜が高い所にあります。【追記】と書いたのですが、これはノコンギクですね。別のカットを見ると葉の表面がざらついていました。嫁菜は里の野草なので山にはほとんどありませんでした。ノコンギクは交雑種が多く、見た目だけでは同定が難しいとつくずく思います。
鞍骨城跡の馬場跡といわれる所にはカタクリの群生地があるのですが、秋は全草が猛毒のヤマトリカブトが咲きます。爽風に吹かれて揺れるヤマトリカブトは、怪しく美しい。撮影していると右下で突然獣の逃げる足音。見ると二頭のニホンジカが私に気づいて逃げ出しました。逸れ鹿がたまに来るのは見ているのですが、定着しているつがいだとすると非常に問題です。ニホンカモシカと違ってニホンジカは群れを作るので、食害が甚大になるのです。山奥に縦横無尽に作られた林道が、鹿の長距離移動を容易にしたのです。

駒止と呼ばれる3つの深い空掘りを超えると鞍骨城跡が目の前です。高さ50mの五段に別れた腰郭を登る事10分。ようやく798mの鞍骨山山頂に到着。ここが鞍骨城跡の本郭です。鞍骨山は、別名に倉骨山、鞍橋山、鞍掛山、清野山などがあります。信濃の小領主であった清野氏は、村上義清の配下でしたが、天文22年(1553)8月、村上義清が上杉謙信を頼り逃れると、清野氏は、道寿軒と長子清秀が上杉方に、次子信清(清寿軒)は武田方にと、親子兄弟敵味方に分かれて戦いました。どちらが勝っても一族が生き延びるという苦肉の策か。その後、武田が滅びると上杉の会津移封に伴って清野を去ったのです。
武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」(信濃史料)との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか・・。
山頂でお昼にしました。ピザドゥからソース、小布施茄子はもちろん、アンチョビーも手作りの茄子ピザです。買ったのはチーズとタバスコだけ。信州丸ナスのピザのレシピです。

鞍骨山頂は、北面のみ伐採してあり松代城(戦国時代は海津城)が見えます。冬枯れの季節は展望が開けます。写真の白い長野ロイヤルホテルの左下の森が城趾です。その手前に松代小学校の校庭が見えます。奥に横たわる山は金井山。左向こうにホワイトリング、中央奥にMウェーブが見えます。大手のある南面からは、鏡台山や眼下に万葉の里・倉科が見えます。

鞍骨山頂は、眺望があまりよくないのですが、そこから30m先にある二つのやせ尾根の岩場がいい展望台となっています。写真は手前の岩場からのもの。北西方向が開けます。手前の尾根の一番右下が妻女山(旧赤坂山)。今回の出発地点です。そこから尾根を伝って登ってきました。向こうに広がるのは川中島。稲刈りの最盛期です。昔は水田や畑の中に、集落が点在するのが見えたのですが、今は皆繋がってしまい、どこがどこやら分かりません。でもこれからどんどん人口が減少していくわけで、20年後、30年後にどのような風景になっているのか・・。写真の奥に薄く見える山並みは、2011年3月15日に放射性プルームが流れた所です。飯綱山麓の野生キノコからは、相当量のセシウムが検出されています。以前計測した時、鞍骨城跡は地表面で0.05μSv/hでした。長野市の中では低い方です。北へ行く程高くなります。

鞍骨城跡の本郭は嫁菜が群生し、三頭のミドリヒョウモンが吸蜜していました。梅雨明け頃羽化したのでしょう。翅はボロボロですが元気です。撮影後南面へ下ります。道は南面から西方へ下るのですが、相当に急なので転落に注意です。月の輪熊が鏡台山から遠征してくるのは、3月と12月です。奥山に食べ物が無くなる頃です。でも、それ以外の季節でも熊鈴は付けた方がいいでしょう。イノシシもいますから。

台風18号以降降雨がないので、キノコ狩りもできないのでさっさと下ります。途中の天城山の巻き道から奇妙山。まもなく仲間と、あの右側に見える30mの崖登り登山をします。その頃は雨も降ってキノコがじゃんじゃん出ているといいのですが。帰りに堂平大塚古墳の横にあるKさんのログハウスに立ち寄ったのですが留守でした。カメムシと蜂がぶんぶん飛び回っていたので早々に退散しました。林道脇にはヤマハッカが群生していて撮影していると、突然上からドサッとなにか落ちました。ミツバアケビの紫色の実でした。子供の頃の秋のおやつでした。甘い果肉を食べて種を吐き出したものです。大人になって開発したアケビのブルーチーズ入りミソハンバーグのレシピ。種ではなく皮を使う大人の味のハンバーグです。
鞍骨山は、初心者でも登れる往復約4時間の手軽なハイキングコースです。山城マニア、歴女には特におすすめ。
■【GWの花咲く鞍骨山トレッキング・ルポ】編み笠百合やカタクリ、山吹など。
■【信州の里山】妻女山-鞍骨山-象山 Mt.Kurabone at Kiyono in Naganoスライドショー
■【冬の鞍骨山トレッキング・ルポ】冬枯れの鞍骨城跡は、また趣があり周囲の景色もよく見える。
■【信州の里山】象山-鞍骨山-斎場山 Mt.Kurabone at Kiyono in Nagano スライドショー
■【信州の里山】キノコの汚染と除染について
腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。

今回は途中で山栗を拾いました。山栗にしては大きな粒です。渋皮もきれいに向いてマロングラッセでも作りましょうか。栗がセシウムをため易いのは、ひょっとしてお茶の葉と同じくタンニンが多いためではないかと思い調べました。すると、やはり渋皮に含まれるタンニンがセシウムと結合すると分かりました。高汚染地でなくても渋皮煮は避けた方がいいでしょう。玄米のセシウムがもみ殻とぬかに集中することも分かっています。渋柿やタマネギの外皮、柑橘類果皮などの植物系バイオマスは、高いウラン濃縮能力を持つそうです。つまり、その効果を利用して"汚染されていないタンニンを含む食品"によりセシウムの排出を促したり、タンニン系生体物質を放射性核種の除去剤として利用できる可能性もあるということです。

妻女山山系では、嫁菜は白嫁菜が比較的標高の低いところに、薄紫の嫁菜が高い所にあります。【追記】と書いたのですが、これはノコンギクですね。別のカットを見ると葉の表面がざらついていました。嫁菜は里の野草なので山にはほとんどありませんでした。ノコンギクは交雑種が多く、見た目だけでは同定が難しいとつくずく思います。
鞍骨城跡の馬場跡といわれる所にはカタクリの群生地があるのですが、秋は全草が猛毒のヤマトリカブトが咲きます。爽風に吹かれて揺れるヤマトリカブトは、怪しく美しい。撮影していると右下で突然獣の逃げる足音。見ると二頭のニホンジカが私に気づいて逃げ出しました。逸れ鹿がたまに来るのは見ているのですが、定着しているつがいだとすると非常に問題です。ニホンカモシカと違ってニホンジカは群れを作るので、食害が甚大になるのです。山奥に縦横無尽に作られた林道が、鹿の長距離移動を容易にしたのです。

駒止と呼ばれる3つの深い空掘りを超えると鞍骨城跡が目の前です。高さ50mの五段に別れた腰郭を登る事10分。ようやく798mの鞍骨山山頂に到着。ここが鞍骨城跡の本郭です。鞍骨山は、別名に倉骨山、鞍橋山、鞍掛山、清野山などがあります。信濃の小領主であった清野氏は、村上義清の配下でしたが、天文22年(1553)8月、村上義清が上杉謙信を頼り逃れると、清野氏は、道寿軒と長子清秀が上杉方に、次子信清(清寿軒)は武田方にと、親子兄弟敵味方に分かれて戦いました。どちらが勝っても一族が生き延びるという苦肉の策か。その後、武田が滅びると上杉の会津移封に伴って清野を去ったのです。
武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」(信濃史料)との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか・・。
山頂でお昼にしました。ピザドゥからソース、小布施茄子はもちろん、アンチョビーも手作りの茄子ピザです。買ったのはチーズとタバスコだけ。信州丸ナスのピザのレシピです。

鞍骨山頂は、北面のみ伐採してあり松代城(戦国時代は海津城)が見えます。冬枯れの季節は展望が開けます。写真の白い長野ロイヤルホテルの左下の森が城趾です。その手前に松代小学校の校庭が見えます。奥に横たわる山は金井山。左向こうにホワイトリング、中央奥にMウェーブが見えます。大手のある南面からは、鏡台山や眼下に万葉の里・倉科が見えます。

鞍骨山頂は、眺望があまりよくないのですが、そこから30m先にある二つのやせ尾根の岩場がいい展望台となっています。写真は手前の岩場からのもの。北西方向が開けます。手前の尾根の一番右下が妻女山(旧赤坂山)。今回の出発地点です。そこから尾根を伝って登ってきました。向こうに広がるのは川中島。稲刈りの最盛期です。昔は水田や畑の中に、集落が点在するのが見えたのですが、今は皆繋がってしまい、どこがどこやら分かりません。でもこれからどんどん人口が減少していくわけで、20年後、30年後にどのような風景になっているのか・・。写真の奥に薄く見える山並みは、2011年3月15日に放射性プルームが流れた所です。飯綱山麓の野生キノコからは、相当量のセシウムが検出されています。以前計測した時、鞍骨城跡は地表面で0.05μSv/hでした。長野市の中では低い方です。北へ行く程高くなります。

鞍骨城跡の本郭は嫁菜が群生し、三頭のミドリヒョウモンが吸蜜していました。梅雨明け頃羽化したのでしょう。翅はボロボロですが元気です。撮影後南面へ下ります。道は南面から西方へ下るのですが、相当に急なので転落に注意です。月の輪熊が鏡台山から遠征してくるのは、3月と12月です。奥山に食べ物が無くなる頃です。でも、それ以外の季節でも熊鈴は付けた方がいいでしょう。イノシシもいますから。

台風18号以降降雨がないので、キノコ狩りもできないのでさっさと下ります。途中の天城山の巻き道から奇妙山。まもなく仲間と、あの右側に見える30mの崖登り登山をします。その頃は雨も降ってキノコがじゃんじゃん出ているといいのですが。帰りに堂平大塚古墳の横にあるKさんのログハウスに立ち寄ったのですが留守でした。カメムシと蜂がぶんぶん飛び回っていたので早々に退散しました。林道脇にはヤマハッカが群生していて撮影していると、突然上からドサッとなにか落ちました。ミツバアケビの紫色の実でした。子供の頃の秋のおやつでした。甘い果肉を食べて種を吐き出したものです。大人になって開発したアケビのブルーチーズ入りミソハンバーグのレシピ。種ではなく皮を使う大人の味のハンバーグです。
鞍骨山は、初心者でも登れる往復約4時間の手軽なハイキングコースです。山城マニア、歴女には特におすすめ。
■【GWの花咲く鞍骨山トレッキング・ルポ】編み笠百合やカタクリ、山吹など。
■【信州の里山】妻女山-鞍骨山-象山 Mt.Kurabone at Kiyono in Naganoスライドショー
■【冬の鞍骨山トレッキング・ルポ】冬枯れの鞍骨城跡は、また趣があり周囲の景色もよく見える。
■【信州の里山】象山-鞍骨山-斎場山 Mt.Kurabone at Kiyono in Nagano スライドショー
■【信州の里山】キノコの汚染と除染について
腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。





